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「ねじった言葉」で関係性が拗れてしまう

暇真(いとま)です。
私はちょっと心が幼稚なところがある。休職中は、それを根本的に解決しないと駄目だと思って、いろいろ本を買っていた。そして、そのほとんどは手付かずのまま本棚に眠っている。

その中の一冊が金城幸政さんの『あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法』だ。たしかメルカリでパケ買いして、ページをめくってすぐに胡散臭すぎて読むのをやめてしまったんだ。

たぶんあの頃の私は、自分が必死に悩んでいる問題を、筆者が軽く一言二言であしらうもんだからイライラして読めなかったんだと思う。私の悩みはこんな本を読んだだけで解決できる程ちっぽけじゃないぞと深刻ぶっていたから、受入拒否していた。

でも、会社を辞めてしまった今となっては、結構すんなり言葉が入ってきた。ところどころ「そのエピソードはどうかと思うよ」と反抗しちゃう部分はあったけど、おおかた「言いたいことはわかる」と思えたから、最後まで読めた。

本の割と序盤に「ねじった言葉」という表現が登場するのだけど、私にはそのワードが一番刺さった。

ねじった言葉というのは、彼氏に「私だけを見て」と言いたいところを「浮気しないで」と伝えるような、不平不満に言い換えてしまう表現を指す。

私はこの手をよく使う。私の場合は、言葉にすら出さず、態度を冷たくしたり、静かに距離を置いたりするからより一層タチが悪いかもしれない。

フツーに本音を話せばかわいいヤキモチで収まったのに、「ねじった言葉(態度)」を使うことで、関係性を拗れさせてしまう。そしてどうせ上手くいかないんだ…もう終わりだ…と勝手に被害者ムーブをかます。

それに私は、自分がねじった言葉ばかり使うから、相手もきっとねじってるんだろうと推測する癖がある。コレが事態を一層ややこしくしている。

「〇〇と言っているけどその本心は?」とか「それってつまりどういう事?」とわざわざ言葉の裏をかいて、ねじれた状態で受け取ってしまう事がある。

例えば、「コレやっておいてもらえますか?」と仕事をお願いする時、「いいっスよ」と言われると、私は引っ掛かりを覚えた。私のイメージでは、仕事を頼まれたら「はーい、わかりましたー!(ニコニコ)」とか「OK、やっとくねー!(スマイル)」なのに「いいっスよ(無表情)」は、全然良さそうに見えなかったのだ。

無表情って事はつまり「(やってやっても)いいっスよ」というニュアンスじゃないか?他にも仕事があるけど断るのも面倒だから、「(とりあえず)いいっスよ」なんじゃないか?「いいっスよ」と冷たく返す事で、他の仕事は振ってくるなよという合図を送っている可能性もある。そういう事するってことはつまり、私のことがあんまり好きじゃないんじゃないか?など、余計なことを考えまくって、そんな言い方するなら仕事頼まないけど!と謎に疲れていた。

文字にすると、とっても馬鹿馬鹿しいね。
でも私はそれに真剣に悩んでた。相手はただ本当に「いいっスよ」と言っただけかもしれないのに。ちょっと表情が乏しいだけで、本心からの「いいっスよ」だった可能性が高いのに。

本当に申し訳ないことをしたなと思う。
私は、相手の言葉を辞儀通り受け入れるべきだった。余計な考えを巡らせず、本心として言葉を扱うべきだった。それが難しい時は、自分の本心を話せば良かったのかもしれない。「〇〇さん、顔怖いからホントに良いのかわかんないです(笑)」「マジで忙しい時は断ってくださいね〜!」って。

そんな風に思った。
これからは、もう一回「感情」とか「心理学」とか「メンタルヘルス」の勉強をしてみよう。

今なら自分ごととして、冷静に向き合える気がする。「変わろう(変容しよう)」という気持ちが自分の中にあるから、たぶん大丈夫だ。勉強したら変われる気がする。本当は勉強しなくても変わろうと思えば変われるのかもしれないけど、私はちゃんと勉強した上で変わりたいから勉強してみる。

私が理想の30代になるために、必要な手続きな気がするから、ちょっとがんばってみよう。

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暇真
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