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「推し」に絶望した話

あなたは「推し」に何を求めていますか。あなたの「推し」は、あなたに何をもたらしてくれましたか。『推し、燃ゆ』を読み、そんなことを考えさせられました。

人間、何かの見返りなしには動かないものです。労働だって、お金をもらうためにやっている。人間関係も、その人との会話が楽しいから、その人と行きたい場所に行くと楽しいから、その人と仲良くすると良いことがあるから、無意識のうちにそういった見返りを求めているはずです。

そう考えると、「推し」はあなたに何を与えてくれるのでしょう。

『推し、燃ゆ』読了

「推し」は人それぞれです。俳優、アイドル、キャラクター、はたまた学校の先生まで。「推し」とは便利な言葉で、恋愛感情とは少し違う、「推している」ことを表すことができます。

『推し、燃ゆ』の主人公あかりは、アイドル上野真幸を「私の背骨」と表現しています。彼の言動一つ一つを噛みしめ、解釈し、自分の生きる糧にしていました。そんな彼がファンを殴った。自分の生きる糧が突如、世間の批判に晒される。怖すぎる。

主人公あかりは現実生活で不自由を感じていました。推しを推している時だけ生き生きとしていました。そんな彼女が推しの不祥事、さらにはラストに待ち受ける結末を目の当たりにして、どうなってしまうのか。『推し、燃ゆ』は言葉一つ一つが丁寧で、繊細で、美しく、すっと物語の世界に入れるような作品でした。まだ読んでいないなら、ぜひ読んでみてください。読後、しばらくは自分の心の中に衝撃が残ります。

「推し」に絶望した話

私自身、あるスポーツ選手を「推して」いました。彼はテレビ出演も少なく、彼自身の性格について知る機会は少なかった。でも彼のプレーは美しく、見る者を魅了しました。私もそのプレーのファンで、彼のグッズも持っていました。

しかし、状況が変わったのは、彼のメディア露出が増えてからです。決して良いとは言いがたい、彼の人間性が表れていました。私は彼のプレーしか見ておらず、彼の人間性などを全く知らなかったのだと気づかされました。

「推し」に絶望した私は、しばらく自分の心の中の理想の「推し」と、実際の「推し」の性格のギャップに悩みました。それから気づいたのは、

「実際の推しの姿」ではなく「推しのプレー」が好きなのであって、彼がどんな人間性であろうと関係ない

ことです。

当たり前ですが、人間はみんな、自分が理想とする姿を他者に押しつけてしまう傾向にあります。仲の良い友人でも、自分がそうであってほしいと思う姿を押しつけてしまい、その友人の実際の姿をちゃんと見ていないかもしれない。そう気づきました。このことをよく理解した上で彼を「推し」続けたいです。

「推し」が与えてくれたもの

話を戻します。「推し」はあなたに何を与えてくれるのか、そういった話でした。私が結論を出すとしたら、それは「信仰と、それに伴う安心」だと思います。

私たちが「推し」を無条件で、信仰に近い形で愛することによって、安心を手に入れることができます。「推し」は完璧な存在、絶大な信頼の対象、愛することで自分の存在意義を示せる対象、推しても拒絶されない、しかも手に入らないからこそその立場が変わることのない、永久的な存在である。そう思っています。

手に入ってしまったら、その関係性は変化します。「推し」ではなくなります。『推し、燃ゆ』の作中でも、アイドルとつながってしまった友人の姿が描かれていました。もちろん彼女を否定するつもりはありませんが、それは「推す」行為とは遠く離れたものになってしまいます。

身近なものではないからこそ、「推し」の嫌な面を見ないで済みます。画面の向こう側にいるくらいの方が、勝手に信頼を押しつけて、勝手に信頼できます。便利な存在ですね。

絶対に手に入らない「推し」に近づこうと努力する自分を愛する、なんてことも「推す」メリットでしょう。自分の存在意義を示すことができます。

まあ、私は推し選手の嫌な面を見てしまったことで彼は完璧な存在から離れてしまったんですが。プレーのみを推すことにしています。プレーは完璧。絶対的宗教。

「推しへの絶望」を克服した小技

推しへの絶望を克服した方法を3つ紹介します。

「推し」の何を「推して」いるのか、明確にする

「推し」を複数作る

絶対に裏切らない「推し」を作る

しょうもない小ネタですが、お付き合いください。

①「推し」の何を「推して」いるのか、明確にする

先ほどのスポーツ選手の場合の克服方法は、「彼自身を推しているのではなく、彼のプレーのみを推すと決める」ことです。『推し、燃ゆ』の作中でも部分的に言及されていたのですが、そういった割り切りは自分の心を楽にします。特に、スキャンダルに見舞われた時には一歩離れた所から俯瞰することができ、便利です。

②「推し」を複数作る

これは単純な話ですが、「推し」がたくさんいればその分、逃げ場が作れます。『推し、燃ゆ』の主人公あかりは一人のアイドルに執着していましたが、彼女に10人の別ジャンルの推しがいれば、彼女の悲しみは分散されたでしょう。もっと分散させたらいいのに、そう思って読んでいました。

③絶対に裏切らない「推し」を作る

つまり、架空のキャラクターを推すということ、二次元に逃げるということです。これは便利です。私は今ツイステにハマっているのですが、彼らは実在しないので、ファンを殴ったりしません。そりゃそうですよね。もちろん麻薬もやらないし、多目的トイレも利用しません。熱愛報道で事務所を解雇されることもありません。なんて理想的なんでしょう。もちろん、作中で死ぬ可能性はあります。だからといって、pixivを覗けば楽しく友人とおしゃべりする彼がいる。供給がストップすることはない。

最後に

『推し、燃ゆ』は現代の様々な種類の「推し」に対応した最強の本であり、救われる人も、絶望する人もいるでしょう。十人十色の「推し方」があるわけで、もちろんそれを強制する人もいない。ただ、色々と考えさせられる本でした。貴重なお時間をいただきました。ありがとうございます。

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