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この世でいちばん憎まれるべき存在は、「悪気なくネタバレしてくる友人」

つい5分前の出来事である。ネタバレされた。最悪だ。全てが嫌になった。行き場のない怒りをnoteにぶつける。

相手を恨む気持ちよりも、何で悪気なくネタバレしてくるような性格の友人と、ずっと楽しみにしていた録画を観る前に会話をしてしまったのだろうと、自分が嫌になる。

楽しみにしていた録画

1年ほど楽しみにしていた試合。試合時間はちょうど仕事が重なり、リアルタイムでは観れなかった。もちろん仕事を恨みはした。でも、まあ組織に所属する限りは仕方ないことだと自分で諦めつつ、終わってから観ればいいじゃん!と、ポジティブな思考で淡々と仕事を済ませた。

帰宅。早く録画していた試合が観たい。1秒でも早く観たい。支度を済ませ、部屋をセッティングし、いざ、視聴!!!!!

と思った時に、友人から電話がかかった。数日後のイベントの打ち合わせらしい。

まぁ、出てやるか。試合は観たいけれど、打ち合わせならすぐ終わるだろう。しかしその友人は時々絶望的に空気が読めないことがあり、そのせいで何度も苦汁をなめてきた。

一応、「ネタバレしないでね」と伝えた。友人は結果を知っているだろうから。

そこで、友人はネタバレしやがったのだ。許されるはずがない。なんでそこでネタバレする?どうして「あー、その試合、途中逆転されたね、でも結果は良かったから安心して観てね」なんて言うのか?

ネタバレされたショック

その瞬間、我慢して仕事をしていた時間が無駄になったことへの悲しみ、1年ほど前から楽しみにして温め続けてきた行き場のないわくわく感、電話をとってしまったことへの自己嫌悪等々、様々な感情が襲いかかった。それらは涙となって溢れたが、このやるせなさは友人には届かないのだろう。

「ネタバレする人」はなぜネタバレしてしまうのだろう

ここで、スッと冷静になった。なぜ友人は、「ネタバレしないでね」と念を押されたにもかかわらず、勢いよくネタバレしたのか。

きっと、ネタバレをネタバレだと思っていないのだろう。

映画のキャッチコピーや、小説の紹介文などで、「ラスト5分で全てがひっくり返る!」「伏線回収がすごい!」などといった文言を目にすることがある。

もちろん、そういった読者を欺くような技法は面白く、読んでいて楽しいのは確かである。しかし、それを事前に知っていては面白さが半減してしまう

「ラスト5分でひっくり返るんだな……ほら全部ひっくり返った、やっぱりそうか、言われてた通りだな」というような。

どうして、そのようなネタバレを平気で垂れ流してしまうのだろう。映画のキャッチコピーのような場合は、広告担当者がそれを重大なネタバレだと思っていなかったのだろう。ひどい。

いやまあたしかに伏線が綺麗に張り巡らされた作品は面白いし、逆転する試合は面白い。人に勧めたくなる気持ちもわかる。しかしそれを言ってしまうのは違うだろう。なんかもっと違うアプローチは無いのだろうか。


なんて思いながら、結果は知っている録画試合をどん底の気持ちで観てきます。友人を恨みたくはないので、ネタバレはきれいさっぱり記憶から消します。逆転されるんだっけな。でも勝つんだったな。




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