日記の定義とは?
私の文章は為になることも学びなどは少しもなく、
着地点がどこなのかもわからない、文字の羅列。
私は書くことに苦しんでいる。
と言っても、作家さんやブロガーさんのような人が持つ、
書くことに対する悩みとは、全く違う。
私はきちんと書き終えたことがない。
そのことについて書こうとしたけど、それも途中で書くのをやめた。
以下。
学校の作文からはいつも逃げ出し、
どうしても絶対仕上げなければならないものは
先生の方が折れて、内緒で書いてくれたりもした。
実は3人、そういう先生がいた。
作文は難しいよね、
うん、仕方ない。
でも日記も書けなかった。
ただその日に起こったことと、どう思ったかを書く、あれ。
小学生の時、毎日、連絡ノートの下部にある
5本線の中に日記を収め、
何なら朝の会で月に1回はその日記を発表する番が回ってくる。
なんて、嫌な記憶を思い出してしまった。
日記を書けと言われても、
田舎の平凡な小学生の1日は毎日一緒なのだ。
それを書き続ける意味とは?
それなら天声人語を書き写した方が得なのでは?
その他大勢と代り映えのしない、
もしくは更につまらない日常を発表されて何になるのか、
なんて入学して最初の月に思った。
最初の月の発表は、
人前で話すことが出来ず、
1分か、5分か…私の記憶の中では30分くらい沈黙し、泣いて終わった。
日記とは言え、何か意味を持って欲しい。
少しくらい笑える話とか、
そうだったんだ、なんて感心してもらいたい。
ここで言う日記は人の目に触れてしまうものだから、
厳密には日記ではないのかもしれない。
そして、日記というものに、
意味を持たせたいと考える事もちょっと違うのかもしれない。
それに小学生なのに
しかも書けないのに
人を感心させたいなんて思っていた自分が恥ずかしい。
私は昔から、というか、今でも
私なんだなぁ。
周りよりもちょっと何か秀でているところがないと気が済まないのか。
結局、日記の定義とは何だったんだろう。
その日あったことを記すこと。
私の今日の日記は、自分の本質に少し触れたこと。
書くことで自分がさらけ出される、と言うことなのか。
そうか。
更に書けなくなりそうだ。