音楽聴取の影響を乗り越える
GIGAZINEさんに興味深い記事を見つけました。
この記事の中で👇の部分、経験的には知っていたもののデータとして裏付けられたのは大変興味深いです。
10代に得る体験について
10代の頃の「知ること・触れること」の内容は、人の成長過程にとても大切なものになっています。
自分で思い返してもその頃は、
・知りえたこと何にでも新鮮さを感じる
・可能性を覚える
・目の前が開けるような感覚を得る
を何度もしました。それと同時に何にでもなれる根拠ない自信を自分の中に見出したものです。
そういう体験を支えてきたのは、10代でふれることができた体験(本・音楽・映像などを通した疑似体験)。自分にとってはとりわけ音楽の影響が自分に強かったのですが、人によってはさまざまなものになります。
音楽にふれた体験
10代の心身的特徴は、心技体を意志でコントロールし、すべて自分ひとりで実行できると錯覚している不完全な状態にあります。不完全だからこそ触れたものには純粋に傾倒でき、音楽聴取へもまたそうであるため受ける影響が大きいことは容易に推測できます。
そして10代のうちにいろいろな音楽に触れておくことがその後の音楽聴取体験を決定づけます。どれだけ「日常生活にいろいろな音楽が溢れているか?」これが音楽聴取体験への大きな入り口になるんですね。
日常生活に音楽が溢れていれば、その音楽を聞いた時に自分がしていた体験を想起することができ、その追体験が可能になります。このような音楽+体験のパターンを10代のうちにどれだけ多く持つことができるか。これによってその人の未来における音楽聴取への意欲が決定されると思います。
さらなる音楽聴取体験へ
ある程度形成された10代での音楽観をベースに、人はその後に聞く音楽を選定していきます。いろんな音楽に触れて「こんな音楽もあったのか!」の体験を多くした人は、音楽の中に発見するたくさんの楽しみを感じます。
先の記事では「年齢を重ねるごとに新しい音楽を聴く意欲は減退していく」と書かれていますが、あながち私はそうは思いません。10代でどのような音楽聴取体験を重ねたのか。これがその後の音楽聴取への意欲を決めるバロメーターになるからです。
しかしその音楽聴取体験は、その量が多ければ多いほど良いとも思えません。
音楽聴取体験とは書きますが、本当の音楽聴取は「聴く意志」がないと成り立たず、多くの人は「聞く」体験になっています。これではもう音楽聞取体験ですね。でも本来の音楽に耳を自分の意志で傾けるという聴取の行為に、もっと知ってみたいという意識が加わることによっていつでも本来の音楽聴取体験が可能になると思います。
若い頃はよく聞いていたけどね~なんて声もまわりでは耳にしますが、聴く行為が年齢を取るわけではない。
いろいろな制約の中でも、自分の中で聴く姿勢になれるのなら、いつでもどこでも本来の音楽聴取体験が可能です。
いつになっても新しい音楽に出会えるなんて素晴らしいじゃないですか。
過去の音楽もよいけれど、今を生きているなら新しい音楽にも出会いたい。そういう考えを持っていきましょう。