見出し画像

何気なく費やす一食の重み

毎日昼ごはんに何かチャレンジをしています。
半ばワクワクで、半ば作業的に
食を楽しみつつ、分析しつつですが
食べることにおいて何かにチャレンジするとき
費やす一食の重みってどうなんだろうと。

食は自分を安定化させるために重要なもの。
生きていくためだからね。

たった一食、されど一食。
大切にしても一食、しなくても一食。

「たった」と考えれば軽く
「されど」と考えれば重い。
状況に応じて一食の重みが変化するのが人間。
生きていくことに必要なのにコレです。

軽い重いという表現は重要性の話。
食べるとき重要性を意識しては食べない。

でもあとで思い返せばその重要性に気づく。
やっぱり人間の気まぐれだ、重要性って。

意識したいと思えば最初から考えられるし
そうでなければまったく考えない。
考えようとしたときが考えどきなのかも。

人によっても、場所によっても、場合によっても
変わってくる重要性。

もしかしたら重要なことなんて
命に係わることくらいではないか。

生存すら前提にしないのであれば
命に係わることすら重要ではないかもしれない。
死を前にして怖れなく対峙でるときなどが
そうであるように。

重要性は人間が考え出した考え方。
何を以って重要とし
何を以って重要ではないとするか。

これが変化してしまう以上
重要性に絶対的な価値を置くのは危険だね。

「重要なことだから」の枕詞を理由に
何かを決断するときは気をつけよう。

その重要性ってほんとに大切?
誰にとっての重要性?

昼ご飯の一食はまぎれもなく自分だけの一食。

だから自分の状態に関わらず重要なはずだよ。
あるいっときの一食なんだから。

それを自分の状況を理由に軽い・重いをつけるのは
なんか違う気がするよ、未来の自分。

一食は一食だ。
ちゃんと日毎のご飯に向き合おうぜ。

#大切さ #食事 #生きる

いいなと思ったら応援しよう!