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エッセイについて考えた

何げに書いてる自分の文章について言語化したお話。

やっぱり書いてたら3000字を超えちゃいました😅。
ゆっくり読めるときに読んでみてください。


エッセイってなんだ?


エッセイってなんだね?

菅原文太 風

この表現にニヤッとできる人は「北の国から」をご存じの方でしょう。
あなたがそうだとすると、もうこの文章に足を半分引き入れられていますね。そしてこの次に何が書かれてあるのかが気になるでしょう。

自分が知っていることが短文に書かれている。あなたがこの状況を目にしたとき、その後の展開に興味を持つはずです。だって知っていることですから。自分が知っていることのインパクトは強く、大きく、その先を知りたいという欲求を脳に呼びかけます。

こんな風にエッセイは

読者に 「語りかける」 「話題に引き込む」

エッセイの本質のひとつ

ことを大前提として書かれた文章のひとつ。小説のように一定の世界観を作っていくようなものとは一線を画していると考えています。

一般的にエッセイの基本理解というのは

自分の体験や考えを自由な形式で表現したもの。
他者に読まれることを前提とする

エッセイの基本理解

そしてその目的は

読者を楽しませたり、考えさせたりすること。
そこから得た感情や思考を深掘りすることが求められる。

エッセイの目的

ということのようです。

だけどこれ、果たして本当ですかね?もしかしたらもっと他にもエッセイというものを表す何かがあるんではないでしょうか?

ということで今日はエッセイを深堀してみます。


エッセイを読むのはどんなとき?


見渡す気になればまわりにはたくさんの文字で出来たものを見ることができます。電車に乗れば中吊り広告やポスター、街を歩けば宣伝の看板、バスの車体壁面にはアピール広告。それぞれの文字はそれぞれの目的を与えられてそこに居て、いろんなメッセージを投げかけてくる。

そんな文字の洪水に生きている私たちが巷に転がっている文字たちの影響を受けつつも、自ら進んでもっと沢山の文字で書かれたものに影響を受けようとして文章を読もうとする。人間って面白いですね。

人はなぜ読むのか。

そこに字があるから、というベタな回答ではないでしょうね(笑)。

読む理由は人それぞれ。そして自ら読むことを読書という。読書の対象は本とは限らないけど、まとまった文章であることは確かですね。

そして、読んでみたいという裏には知りたいという動機があります。知りたいと思うその先にもしかしたらやりたいことがあるかもしれません。

エッセイを読みたいということは


でも、エッセイってさ。

短い文章のまとまりで、書いた人がすぐ傍に感じられるというか、どういう風に書いたのかなぁって、小説などと比べて身近に感じられる種類の文章だと思うんです。

これまで約一年。

毎日一記事を書いてきて、書けるものから順番に書いてきたけれど、読んでもらえる人のことを忘れて書ききってしまうことはなかった。

noteは最初は好きに書けばいい、そういう風に誰かが言ってくれていたので気が楽だったし、自分中心で書いても当然よかった、自分のnoteだから。

でも自分が書いているのが、エッセイと言うものにまがりなりにも近いのならば、読んでもらえる人はやはり隣にいる。もしかしたら書いているすぐ後ろから覗き込んでいるのかもしれない。そう考えると読んでもらえる人の存在を忘れることはなかったですね。

そしてエッセイを読む側にたったとき、やはりひとつの本質にぶち当たりました。それは、

エッセイを読みたい = 書いた人をもっと知りたい

これに尽きると思うんです、エッセイを読むことって。

この人うまい文章書くなぁ~とか、どうやったらこんなの書けるのかなぁ~とか、笑いのつかみがうまいなぁ~とか、なんのはなしかわからんけどおもろいわぁ~とか(笑)。

細かく言えばいろんなことが読みたい動機にあげられるけど、私がいろんな人のnoteを読んできて思ったのはたったひとつ。

書いた人を もっともっと 知りたい

これです。

noteやXでのつながりって文字だけなのです。

文字が集まったのが文章で、文章が集まったのが記事。記事が集まってマガジンになり、マガジンの種別が書いた人の頭の中を表してくる。

私たちはそんなnoteのプラットフォームの上で、その人が書いた文章を通して、その人を知る。どんな内容のことをどんな風に書こうとも、この本質はエッセイにおいては変わらないでしょうね。

そういう意味で、私が考えるエッセイとはなにか?に答えるなら

書かれた文章を通して
書いた人の動機や気持ちや心の揺れを手掛かりに
書いた人をもっと知りたいと願う。
書いた人の文章から知らない一面を覗くとうれしくなり
書いた人の文章から嫌な面を見つけると悲しくなる。
でも最終的には、、書いた人のことをやっぱり知りたいと願う。

これを実現・体現してくれるのが「エッセイ」ではなかろうか。

と思います😊。


エッセイの書き方


せっかくなんで書き方のステップも残しておきます。

1.テーマを選ぶ

自分が興味を持っていることや、過去の体験から題材を選びます。特に印象に残ったことをや感情などにフォーカスを当て、最大限にそれを広げること。

2.構成を考える

何を言いたいのかをざっくりメモ。そしてどう伝えたいのかをそのメモを頼りに組み立てる。ここでね、一般のエッセイの書き方なら導入をどうするとか、有効な言葉はどうするかとか、具体的なテクニックを書いていることも多いでしょう。でも、構成はあくまで目的があっての構成。構成を考えるための構成ではないんですね

ですから、読んでもらう立場にたったとき、どう書かれてあればうれしいのか?この視点から具体的なテクニックを選んで組み立てればいいと思います。

3.書く

初稿を書く。思いつくままに書き進める。自分が思うこと・感じることを目に見える形にしていく。そして、自分の言葉で表現できるように文章を修正していく

4.見直す

ラブレターもほら、渡す前には必ず、思いの丈を書きなぐったあとの読み返しますよね😊。これ読んだら相手はどう思うだろうって。それと同じ。読むひとの立場に立って、書いてある内容を読んで、こうだったらいいな?と感じるように修正していく。

修正するときはね、感情のままに修正はしない。
コツの一つは、修正に必ずひとつの理由をつけること

これを心がけていれば文章を見直すときに大きな失敗はまずしない。そしてなによりその理由が積み重なったとき、自分の中である論理体系がおぼろげながら出来上がり、今後の自分の文章を組み立てていく力になります

5.奇をてらって、書くこと&読むことを楽しむ

ここまで来たらもう、伝えたいこと・伝わるだろうことはほとんど完成に近いはず。あとは読む人を思って奇をてらってみたり、優しい心遣いを入れたり、びっくりさせる仕掛けを入れたり、いわば文章の味付け。

文章って、この味付け次第でガラッと面白さが変わるよ。昨日書いた文章のトーンもこの味付けでいろんなトーンに変化するから😊。


最後に

いろいろ書いちゃいました(笑)。
私がエッセイとして書くときに気を付けてることの一部を書き留めました。

みなさんはどんな風に書いてるんですかね~。
もっともっといろんなみなさんの文章を読んで、みなさんを知りたいなぁと思います。

もう一回だけ書いておこう、しつこいけど(笑)。

エッセイを読むことは、書いた人をもっと知りたいと思う行為。
エッセイを書くことは、読んでくれる人い自分をもっと知ってもらう行為。

一方だけでもよいけれど
日常におけるコミュニケーションと同じように
読む、書くの両方ができるようになれば
文字・文章の世界でこんなに楽しいコミュニケーションはない。

顔が見えない、声が聴けない。でも想像力だけはいっちょ前!(笑)

そんな感じでやっていくことができたら
文章を書く・読むがとても楽しくなっていくと思います。

ディエムが考えるエッセイ

noteを最近始められた方、しばらくやっているけれど書くことに困っている方、バリバリ書いているけれど疲れてきた方。

大丈夫^^。ゆっくりやっていきましょう。
自分のペースで。楽しんで。ぜんぜんOKです。

でも忘れないでいただきたいのは、書く・読む の裏にある「知りたい」という動機。これだけは絶対に、常に忘れないでください

それができれば、読み続けること・書き続けることに、一抹の不安も感じる必要はないことを、たった一年だけど書き続けてきた自分が保障いたします^^。

大丈夫だから、前向いて書いていきましょうぞ!

ちょっと長くなり過ぎたか(笑)、失礼しました。

本記事もどこかで有料化をめざした場合は、もっと体系的にきっちりまとめあげようと思います。それまでは書下ろしで失礼!😅

ではみなさま。素敵なエッセイライフを一緒に送りましょう。


#note #文章 #エッセイ #書き方 #コツ


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