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続きが気になるその先に

少しの休み時間にまったり考えに浸ったお話。

だめだ~昼ご飯やっちまった。

メニューは完璧。カレーと唐揚げだぜ!
失敗するメニューではないのになぜか失敗だ。

その失敗はひとつだけ。
カレーにコンソメスープが合わん!!!!!

それだけだ
ぐふっ。。。あとは頼んだ

昼ご飯戦で華麗に散ったわたし

脳内でごくまれにこんなことが起きて
食べ(る|た)のおすそ分けが書けなくなるとき
そんなときはだいたい何かについて語りたいとき
ということで今日は時間の許す限り
ゆっくりと思ったことを書いていきます。

語り部なので見やすさ重視で。

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普段から気にしていることがあってね。
ドラマや映画などで見る「つづく」。

「楽しみにしている度」が高いそれらほど
画面につづくと表示されたら
「え?もう?」ってなる。みんななるよね?
そして次回が待ち遠しい。

映画のつづくはTo Be Continuedで
ドラマのつづくよりも遥かに長い先のつづき
ドラマは1週間後にはつづきを体験できます。

この「つづく」の先に何があるのだろうって
よく考えるんです。

つづきだから物語ストーリーのつづきでしょ?と
それはそうなんだけど、私たちってなぜ
つづくことに期待をするんだろうって。

見ていた話が途中で途切れたから?
やりたいことが途中で中断されてしまったから?

それもあるんだろうけど
それだけじゃないなぁとやっぱり思ったのです。
で、考えてみた。

つづくことに期待する人はこんな感じだ。

つづくことに期待する人は
今まで体験した「つづいていく物語」の中に
感情移入したモノやコトや人があって
それらがどうなっていくのかが
とても気になっている人たちのこと

つづきを期待する人

そんなこと言うたらみんなそうやんか~!って
そうですよ。言語化しただけだからね。

だけどさ、こう考えれないかな。

物語の中のモノやコトや人にもし
感情移入しなくなったならば
それって(つまり期待って)つづかないんじゃ?

友達も 恋も 結婚も
学校も 仕事も 生活も
感情移入がしなくなったならつづかないんじゃ?

このことに気づいたときは少しショックだった。

感情移入って自分の意志ではできないんです。

外的要因があってそれに自分の何かが動かされて
はじめてそれに感情が移り入ることができる。
だから感情移入ができたときはとても大切にしたい
いつもそう考えてはいるけれど
自分でコントロールはできない。

感情移入をしなくなったらつづかない、つまり
終わってしまう。

終わらせたくなかったら
感情移入をし続けなければならない。
でも感情移入は自分でコントロールできない。

ね?矛盾だよね~これ。どうしよっか(笑)

まったり考えに浸っていると
こういう答えのない問いが心地よくさえ思えてきて
頭がぐにゃぐにゃしてくる(笑)。

そんな中で出した考え。

感情移入のその先が
「続きが気になるその先」だと認識しよう。
そしてその先には自分しかいない。
感情移入に浸っている自分しかいない。

だから頭の上にもう一人の自分を抜け出させて
もう一人の自分から客観的に自分を見つめさせる。

そしてもう一人の自分に囁いささやいてもらう。

「ほら、そこ感情移入するとこだよ」って。

そしたら感情移入なんて
いつでもできるんじゃない?
感情移入に浸っている自分を上から見下ろして
命令するんだから。

わけわかんないか(笑)、つまり
自分を究極の視点から客観視しようってことです。

外的要因に左右される感情移入ならば
外的要因さえコントロールできるもう一人の自分に
客観的に見てもらってアドバイスをもらおう。

そうしたら「見たいことのつづき」を
いつでも見ることができる。
いつでも期待することができる。
裏切られてもののしられても
それでも期待することができる。

結局は、自分をどうコントロールするか?に
つながるんだなぁ

というところで時間がきちゃいました。
とりとめない話ではあったけど
何かのきっかけを残せていればいいなということで
この辺にしておきます。

また気が向けば加筆なり書き直しなりするかな。

#よもやま話 #つづきの話 #考え方 #自己コントロール #生活

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