裏目に出た学歴社会の改革
学歴重視をなくして経験を重視すると危険な罠に陥るというお話。
66日ライティングマラソン。52日目。
経験を重視する社会の落とし穴
成田氏が興味深いことを言われていました。
👇学歴重視をなくすと格差が生まれる(成田悠輔)
経験を買う。
この表現は、誰もが一度は聞いたり使ったりしたことがあるか思います。
日本の学歴社会の入り口は基本はテスト(入試)。点数さえ取れば誰でも入学が可能で、人となりは合否に関係ありません。この仕組みに慣れてしまった私たちは、仕組みの外に置かれた経験重視のデメリットに気づくことはできないでいた。しかし成田氏はそれをスバっと述べています。
成田氏は「学歴重視をやめると格差が広がる」と主張。
この現象はアメリカでの経験重視社会(AO試験のような経験重視の入学試験)において顕著であり、お金がある人が経験を買って入学するということが起きていると。
入試が経験重視で判断されるなら、履歴書には人に評価される経験を書く必要があります。そして経験を得ることの需要が高まれば経験を売るサービスが出てくる。つまり受験者は経験をお金で買うようになる。
経験を買った受験者はそれを履歴書に書いて大学に入る。そしてこう言う。
「私はこういう経験をしました」と。
経験を買うことはよい方法なのか
金で買った経験なのにそれ経験?
いや既に経験してるから立派な経験?
買った経験ってどうなんでしょうか。
私が思うに、買った経験とは、経験ではなく体験です。お金を払うことで手に入れるまでの時間をショートカットした、単なる体験に過ぎない。
そしてそれを経験だと言うには無理がある。買った経験を胸張って「経験しました」と言える人たちは「経験と体験の区別もついていない」「体験を経験にする方法も知らない」「経験を得るにはどうしたらいいか?を考えることをしない」人たちでしょう。
ある意味、ちょっとかわいそうな人たちなのかなぁとも思います。
資本主義が提供するサービスに踊らされない
資本主義は需要と共有の上に成り立っています。
需要と供給により発生した資本主義のサービスは、取引対象のモノの本質を捻じ曲げてしまうことがあります。
今回の場合、経験という
「実際に得るには時間が必要な無形のモノ」
を取り扱ったために、経験を得たい人たちが本来なら得るまでに時間を要する経験を安易に買ってその事実を使うこととなり、『経験を得る本質』が捻じ曲げられています。
だからお金で買える資本主義が提供するサービスを使うときは、
「お金で買うことでその本質が変化させられていないか?」
をよく考える必要があると思います。
体験から入って経験に変える
ただ、何らかの経験を得るための入り口として買うことはありですね。
まず体験を買って「得たい経験がどのようなモノか」の概要を把握し、その後その体験を重ねることで知見・技術などを会得し、それらを最終的に自らの経験とする。
こうすれば入り口は買うことでも、自らの経験を得ることができる。まわりに「自分は○○を経験しました!」と胸張れるようになると思います。
経験を得るまでに大切なことをまとめると、
・経験得たいと希望して
・どうすれば得られるかを考えて
・それを実行して
・得た体験を繰り返して経験に変える
となります。
どうすれば得られるかを考える一番しんどいところを飛ばして金で買った経験は、短期的には使えたとしても、本当に得た経験にはならないので色褪せるスピードも速い。
ほんとうに自身に有効な経験はその後の人生にいろいろな役にたってくれます。間違った入り口から得た偽の経験を、あたかも経験があるふうに使い続けるのは改めたほうがよいですね。
入試の話をしてましたが、これは仕事にも言えそうです。
いくつになってもいろんな体験をし、そこから経験を得て、自らの内を充実させていくことは大切だなぁと思います。
#66日ライラン #経験 #AO入試 #デメリット #学歴社会 #教育 #仕事