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お金の使い方にまつわる価値観
活きたお金の使い方はどこからくるかのお話。
noteでとっても興味深い記事を見つけました。
話の切り口、展開の仕方、どれをとっても納得~♪の感しかない素晴らしい記事です。
今日はただの記事紹介になっちゃいそう😅なくらい、私が書きたかったことを書いていただいているので、今回も「センスが同じでよかった~」と思いながら、少しだけ所感を付記して残します。
まずはイケダトモミさんの👇の記事を読んでみてください。
「どうして夫さんの趣味を許せるんですか?」という質問に答えるなら、「あなたも自分の心に従ってお金を使ってみてはどうでしょう」ということになるのかもしれない。
望ましいお金の使い道って
実はこれ、自分ができていない・できなかった・これからもできない「お金の使い道」を色濃く反映したものだと思うのですよ。
イケダさんも書かれてるとおり、「そんなものにお金をかけてどうするの?」という表現を言い換えれば、「私はお金をかけてもいいという価値観を持っていない」という意味になる。
つまり他人に対してお金の使い道の価値観を説くことは、えてして自己の価値観にない憧れを抱いている、いわば「カネの使い方に対するヤキモチ」なんじゃないかなぁと。
他人のお金の使い道を認められないとき
この場合は、自分のお金に関する価値観が凝り固まっているか、偏っているか。いずれにせよ、自分の中でお金の使い道の価値観を棚卸する必要があるときだと思います。
自分が信じられない!と思ってしまえばしまうほど、自己の価値観で凝り固まった自分から抜け出せない。そんな場合は、イケダさんのご主人の話で言えば、一旦ロボットの世界に足を踏み入れてみてもいい、といういことですね。
身近な人にそう思った場合は、身近なんだから踏み込もうと意志を見せれば相手は快く迎えてくれるはず。誰だって自分がスキな分野についてあーだこーだ説明したりするのは楽しいからね😊
お金を使うことへのセーブを解放する
お金を使う=価値の交換 です。よって得られる価値に興味がない場合は、お金を使うという欲が湧きません。
しかし人間は理性を併せ持つ生き物。交換したい価値がちゃんと自分の中にあっても「お金を使う」という行為には至らないことがあります。
それが
「このお金ここで使わずにいたら、別のことに使える」
こう考えるとき、大抵の人はこの判断が理性的であると錯覚します。「より有意義にお金を使える」と錯覚するわけですね。
でも実はこれ自分を抑圧しているだけなので、後々お金の使い方についての考えに負債を乗せていくことになります。負債がたまっていけばどこかで解放しないと自己不満が爆発してしまう。
だから考え方としては、お金を使うことへのセーブ感を最初から解放すること。私は「これにお金を使うことが素晴らしいという価値観を持てている」自分を認めてあげること。
そうしておけばフラストレーションを貯めることなく、価値観が異なる相手のお金の使い方も認められるようになる。理解はできなくとも(笑)、認めることはできるのです😅
家族という共同体でも価値観は尊重する
近しい家族ほど、価値観のすれ違いは大きいもの。同じときはハッピーだけど、異なればめっちゃ不幸(笑)。まぁハッピー、不幸は感覚だから捉え方でどうにでもなるんだけど、やっぱり価値観は尊重しあいましょう。
ぜったいその方がハッピーですよ😅。
そしてなにより、家族を構成している自分ひとりの人間としてみたときの「自分の心に従ったお金の使い方」を考えること。
生活に支障がない範囲でのお金の使い方はもはや、誰も口出しする部分ではなく、「えっそんなこともやってるの?それ面白い?」でいいんじゃないでしょうかね。
その方がやっぱりハッピーですよ😊。