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最上の業(わざ)
過去に出会ってしまった「自らの理解」に必要なお話。
動いた感情のすべてを担うこと
いつどこでどんな風に心が動くかは自分にはわからない。それは自ら動いた結果で得る場合もあるし、自らの外からもたらされる場合もある。
心を動かされるのを期待して自ら動くと、自分が望む望まないにかかわらず思わぬ感情を揺さぶられることに出会います。そして得てしまった「揺さぶられた感情」はすべて自分で背負わなければならない。
辻村深月さんが書かれたツナグ。
この映画の中で「揺さぶられた感情」に翻弄される4人の生きざまを見ました。そのとき「最上の業」という詩を知りました。
映画「ツナグ」が表現したもの
一生に一度だけ死者と生者が会うことができるという設定が気になり、前情報を得ずに見に行きました。
ツナグという「死者と生者を橋渡しできる能力」を持つ人たち。そのツナグを祖母から譲り受けるための見習いの主人公。そして主人公が4人の依頼者から依頼を受け、死者との面会をセッティングします。
依頼者は4人ともそれぞれの人生を持ち、それぞれの後悔を持ち、その後悔へ向き合う覚悟を決めてツナグに希望を託します。
結果として満足する者、後悔する者。ツナグに依頼してよかったのか悪かったのか。4人それぞれの結末はそれぞれで本当に考えさせられました。
主人公はツナグの見習いを通して4人の人生に触れ、祖母と自分の家族への想いを育てながらツナグとして生きていくことを決心します。
最後に「人はどう生きていけばいいのか」を最上の業の詩の朗読とともに映画は終わります。
最上の業
この映画の最後で語られる「最上の業」。最初はただのセリフかと思い、よくできたセリフだと感心しましたが、あとで調べたらヘルマン・ホルベルス氏の「人生の秋に」にある詩でした。
映画では一部の朗読で終わってましたが、全編を載せておきます。
何かしら心に刺さるものがあるのではと思います。
この世の最上の業は何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうな時に希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架を担う。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人の為に役立たずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心にこれで最後の磨きをかける。まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、まことにえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。
あとがき
この最上の業の詩は、ツナグのキャストの樹木希林さんがこれを読もうと提案して実現したらしいです。
この映画のキャストは本当に演技が上手で、ツナグの世界観もそこにありふれる感情の起伏も本当によく表現されていました。特に橋本愛さんの絶望に伏した時の演技、八千草薫さんの息子を優しく諭す演技が脳内にこびりついています。
ネット等でまだ見るチャンスはあると思うので、ぜひ映画ツナグ、そして小説のツナグを体験してみてください。
とても考えさせられること間違いありません。