オリジナルの創造はない
純粋なゼロ→イチの創造はないとわかったときに思うことのお話。
この表現だけは
モノづくりに関わるクリエータとしては
直視したくないものです。
その本質は、もうこれしかないでしょう。
モノづくりをしたことがある人は
その過程で起きるいろいろな事象を体験し
そこから気づきという学びを得て
そこから生まれる感情を生みだしています。
その感情の中にどっぷりつかっていると
生み出している自分がとても素晴らしく思えて
「俺ってすげぇ!」的なことを
感じてしまう傾向が誰にでもあります(笑)。
それは悪いことでもなんでもなく
むしろ自然で当たり前のこと。
ですが「俺ってすげぇ!」の感情の裏には必ず
「オリジナルの創造なんて存在しない」という
事実が付きまとっていて、これに気づく度に
勝手に落ち込んでしまう。
そしてまたどこかで吹っ切れて
新しい創造に向かう。
私たちは成長する過程において
自分の可能性を無限に感じる子供時代から
その有限性に絶望して受容し
限られた可能性の中で
生きることを選択する大人になるまで
創造という行為への認識が変化していきます。
これが普通のクリエータの話。
でも頭ひとつ抜きんでているクリエータは
この「オリジナルの創造なんて存在しない」の
認識の仕方が上手なひと。
この表現に打ちのめされず
野球でいえば流し打ちみたいな
力をこめず現実を遠くへ飛ばす。
そんな「事実の受け流し」がうまい人。
それが頭ひとつ抜きんでているクリエータ。
で、どうせならそういう人になりたいよね。
それにはやっぱり子供時代に誰もが経験している
「自分の可能性を無限に感じる」こと
ここにどのようにアプローチするかがポイント。
自分の可能性を無限に感じることが
大人になってもできるのであれば
たとえオリジナルの創造はないとわかっていても
気にせず腐らず前を向いて進むことができます。
そうありたいよね^^。
そうあろうよ。
こないだのnote創作大賞。
たくさんの才能が芽生えた素晴らしい人たちの
界隈を見させていただきました。
純粋にすごいなぁと思った。
でもね。彼らもね。
💩する😅。いやマジで。素晴らしい彼らたちでも💩する自分と同じ人間。
彼らみたいになれない訳はない!
そう思わせてくれたきっかけの記事は
👇Nasekaさんの記事です。
いいこといっぱい書かれてます😊。
気づきをありがとうございました!