映画とアニメとゲームがつらくて本と音楽に走った理由
自分はファミコンと宮崎駿とハリウッドで育ったので、映画もアニメもゲームにも理解がある。そして、最近ではオッペンハイマーを見て、今は真・女神転生5をプレイしている。アニメは正直もう何も見ていないのが、ここでは映画と同じとする。
んでオッペンハイマーや真・女神転生5でつらいと思ったのは、作品の良し悪しではなく、目を閉じて楽しめない、目を閉じて考える隙が無いメディアという事。
科学的根拠に基づく最高の勉強法を読んで以降、自分は憶えたい事や考えたい事は目を閉じて思考している。書けない漢字や憶えたい英単語やピアノの鍵盤や楽譜や詰将棋など、自分の頭をフル回転させるのに目を開けていると無意識の視覚的ノイズが邪魔で没頭出来ない。だから憶えたい事は目を閉じて頭をフル回転させて場合によっては手指を動かす。自分が1番頭を使っていると自覚出来る時間。そこで、オッペンハイマーを見て思ったのは、映画って自分の時間で楽しめない。カット割や音楽の切れ目などがあって、配信で見る分には一時停止を出来るとは言え、堪能しようと思ったら等速で2時間程度を間断なく見続けなければいけない。それがつらい。1000頁の本は自分の速度で読めるが2時間の映画は見続けられない。
真・女神転生5も、ゲーム自体は面白いが、登場人物や新要素を憶えるのに目を閉じたいのに、ムービースキップはあるが一時停止が無いので目を開けて見続けなければならない。それがつらい。ゲームはインタラクティブな娯楽だが、それでも本や漫画や音楽ほど能動的では無いのだな、と思い知った。
今はもう娯楽は本と漫画と音楽が主だが、これらの利点は、目を閉じて自分の頭を使えるから。読む速度は自由だし、わからない事があればすぐに調べられるし、いつでも目を閉じて考えられる。音楽は割と時間に関しては強制的だが、目を閉じて演奏してる姿や楽譜や自分が弾く鍵盤などを想像しながら聞けるし、音楽を聞かずに演奏や楽譜を脳内再生が出来る。
自分は盲目ではなく、得意な記憶方法も視覚依存だが、それだけに見ないという選択肢を取れない行動はきついと感じる。映画もゲームも面白い文化娯楽だが、放置しても進行する点が受動的で読書や英単語の暗記や漢字の空書やピアノ演奏してる時ほどは頭を使っていないな、と感じる。
特にムービーがあるゲームに思うのは、いつでもどこでも一時停止をさせて欲しい。登場人物の名前や姿や用語を憶えたいのに、演出で注目しやすいように誘導してる割には、スキップだけで一時停止は業界標準になっていない。
昔、金の無い家はラジオで落語を聞いていたなんて話もあるが、それは想像力を育む良い娯楽だと思う。視覚的な娯楽は、わかりやすい反面、どうしても刺激が強すぎてそれに釣られてしまう。知識や経験に欠ける子供の頃にはそれが必要だし、それで良いと思う。しかし、ある程度の知識と経験がある年齢に行くと、そういう受動的な要素に退屈するし疲れてしまう。
オッペンハイマーはちゃんと見終えて面白かったし、真・女神転生5も面白くてクリアするまでプレイするが、どうも目を閉じる時間がないのがつらい。
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