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今の時代に音楽評論の需要はあるのか?

上記の記事で素直に思うのは、音楽理論的な分析など、音楽を実践している人向けの情報以外に需要が無くなっただけではなかろうか?
だってYoutubeで1曲でも聴いたら関係する体系的な音楽をおすすめされるし、素人にとって未知の世界だった関連情報をすぐに得られる時代だし。

楽器未経験者の評論って、基本的には音楽をやっている人には余り有益な情報ないし、素人が読むには前提知識が多いしで、どっちつかずな印象。
何か1つでも楽器を経験していれば、いや、楽器をやらなくても、右手で8ビート、左手で2/4拍と4/4拍を叩いて、慣れてきたら左右のリズムを逆にしてみる、それも慣れてきたら任意でいつでも入れ替えられるようにする、楽器をやらずとも、それくらいの音楽経験でもいいからやってみれば、音楽の理解は深まるし、評論にも役に立つと思うけどね。
例えば、単純なリズムの話でも100万再生される動画だってある。

他にも、作曲家が素人向けに作曲家を分析、実演で解説する動画。

内容を理解できなくても、聴いてたら何となく感じる事は出来る。
しかし、音も無く演奏の知識も技術も伴わなず譜面も無い音楽の評論って読んでて楽しいのだろうか?

例えば、ファミコン音楽の作曲家である近藤浩治の曲を解説した本がある。
ファミコン音源だから3和音としょぼいし、小節も2小節しかない曲もある。

「スーパーマリオブラザーズ」の音楽革命 近藤浩治の音楽的冒険の技法と背景
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それでも、譜面さえ読めればこれが何の曲で本の執筆者が何を言っているかわかるし、譜面が書いてるだけで心がときめく。

これだと素人には伝わらないのは確かだ。
しかし、楽器経験者はこれを元に動画にしたり別の形で解説も出来る。
それに対して、楽器未経験者の評論はどこまで言っても音楽表現を伴わない言語情報だ。
確かに、歴史などの知識は、そういった人の方が知識があるかも知れないし、そういう情報は是非とも紹介/解説して頂きたい。
だが、自分のやってる楽器や演奏者の歴史など言語情報は楽器演奏者もおさえてる事が多い。
そらそうだ、自分が人生かけて憧れて尊敬する人や分野なんだから。
そう考えると、楽器未経験者が評論を書くのが悪いのではなくて、結局の所、突き詰めると1個人の好き嫌いだけで終わってしまう文字情報/他人の話に需要が無い、というだけかと。
アウトプットは需要ではなく自分の理解のためにやることだけど、それなら非公開の日記でも良いわけで、世界に公開する以上は、それなりの需要や価値を見出されないと士気を含めて続けるのは難しいのではなかろうか。

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