終わったのは努力神話ではなく根性論
この記事は凄く良かった。
自分も、00年代以降の作品には努力が減ったなという認識ではあるものの、漫画/アニメ/ゲームの作風は幅広く、あるジャンルは衰退こそすれ滅びることは少ない。
何故ならばマニアックを掬い上げるのがオタク文化だから。
例えば、主人公が才能あふれる超能力者のジョジョの奇妙な冒険なんかは、努力した様は見せないが、作風が知識と発想を求めているので作者の努力を暗に示している。そういうやり方もある。
記事では古典的努力と近年の合理的努力をわけているが、根本的には同じ事で、無くなったのは根性論だと思う。
努力には精神や覚悟が必要なのはもはや常識で、持ち出すまでもない。
人間が生きるのに水分や酸素が必要な事は確実!
そうコーラを飲んだらゲップが出るっていうくらいに確実じゃ!
その上で、何となくに甘んじて怠けてしまう生活を、実は簡単な仕組み、環境と習慣で改善が出来るなど、そういう努力の前提が一般的になり精神論を倒した。
それでも一定数努力をしない人もいるけれど。
苦労を努力と勘違いしている人とか。
努力してますアピールをするのはこのタイプ。
努力も定義次第だが、努力は最大の娯楽だと思う。
ロジェカイヨワが遊びと人間で提示した遊びの4種類——競争、運、演技、目眩——運以外は努力が必要だ。
仕事はおろか、娯楽すら努力を出来ない人間が信じられない。
ただ、ここが努力の定義が難しいところで、楽しさを追求したら、それが結果的に努力になっていただけで、努力が目的じゃない人間や行動はあるからね。
努力を努力と思わない人種。
それが最強。