『ことばと国家』より
ルールは私たちが暮らしやすくするためにあってほしい。縛るものではなく。制限するものではなく。それは、私たちの自然の欲求に関わると思う。探求するという欲求。人には3大欲求があるとか、マズローの欲求説とかいわれているけれど、ひろがって、変化していく欲求を見逃していないか。
”言語学は正しいとか誤りとか、あらかじめきまったものさしをもってことばにのぞまない。ちょうど生物学が、カブトムシは正しいがミミズは誤っているなどとは言わないように。(中略)自分が慣れた基準でしか他者を見ることのできない、みじめでとらわれた思想から解かれて、やっと手に入れた成果であった。(中略)「文法」というものの意味が、いつでもこういうふうに理解されているかというと、まだまだそこまではいっていない。”
”母語にあっては、文法は話し手の外にあるのではなくて話し手が内から作っていくもの”
文法という学問は外のルールを解し、外界とコミュニケーションするのに役に立つ。文法はことばを否定しない。そして、その文法を否定しない。そうでありたい。
””は『ことばと国家』田中克彦(1981)より引用