「怒る」ことと「叱る」こと
最近私が思うことは、「怒る」と「叱る」の区別がつけられない人が多いということである。それはどういうことか。
私が思うに、
「怒る」 というのは自分の怒りの感情を相手にぶつけること。
「叱る」というのは相手の間違いを正すため、相手を思ってオブラートに包まずに伝えること。
である。このふたつは、言葉をストレートに伝える点では同じである。そのため、パッと見は似ているのだがよく見ると違っていることが分かるだろう。しかしこの区別ができない人が増えてきて、「叱られた」のを、「怒られた」と勘違いして逆ギレする人なんかもでてきた。
その結果、叱る方が損な時代になってしまったのだ。
しかし私は声を大にして言いたい。
もし叱ってくれる人がいなくなったら、どうやって間違いを正せるのだろうか、いや、それ以前にどうやって気づくのだろうか
自分の間違いなんて自分でわかるものでは無い(なぜなら、自分の行動は正しいと思って行動しているわけだから)。しかしそれを誰がか指摘してしまえば、ハラスメントに直結してしまう。自分の、直せたはずの間違いによって大きな過ちを犯してしまってからでは遅いのだ。
もし道から外れてしまったら、誰ももとに戻してくれないので、失敗するのを極度に恐れだしてしまう。失敗することで得られるものは多いのに。お互い損な時代だとつくづく思う。
したがって、もう一度「叱る」ことの重要さを考え直していただきたいのだ。私みたいなバカを生まないためにも。
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