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世界は円い心でおさまる
この世に完璧な人間などは存在しません。
周りからあの人は、人格者だと言われている人でも、家族から見れば一つや二つくらいは、角があるものです。家族は全方位から、いつも見ているのですから。
円錐は真横から見れば三角に見えますが、真上から見れば円に見えます。
人も同じように、どの角度から相手を見るかが、大事なことだと思うのです。
角のない円の方向から見る意識をした方が、相手も自分にとっても幸せなことではないでしょうか。
いつも角ばかりを見て、人の粗探しをするほど、つまらないことはありません。自分には一銭の得にもなりませんからね。
それより自らを内観することの方が大事なことだと思います。
また円球は何処から見ても円です。
金太郎飴のように、どこを切っても同じ形になります。
変わらないことは真理ともいえます。
先日、あることを調べていたら、気づいたことがありました。
それは円と球の定義です。
円の数学的定義は、平面上である定点から等距離にある点の集まりを円といいます。また、空間において、ある定点から等距離にある点の集まりを球といいます。
点の集まりが円や球となる。面白いなと思ったのです。
無知な僕は、今までは点の集まりは線としか思っていませんでした。
これを少し強引ですが、点が人と例えると、その集まりの円は組織ともいえます。
定点となる中心は、会社なら社長。学校なら校長とかにあたるのでしょうか。
神が全てのものに対して平等であるように、どの組織でも中心となる芯の人は、誰に対しても平等でなくてはいけないと思うのです。
それが正しく平等であったのなら、どんなことがあっても、すべてが丸く治るということになるのでしょう。
人間の本性は本来、善である性善説を信じるのです。
人は絶対的な善や正義などに対峙したとき、自らも自然に正すようになると思います。
しかし逆に、龍頭が狂えばみな狂う。
時計の龍頭が狂っていれば、すべてが狂ってしまいます。
中心となる芯のものは、常にその自覚と内観と覚悟が必要ですね。
またこれからの時代は、従来のピラミッド型の組織形態ではない、DAO(分散型自律組織)のような、誰もが平等なフラットな形態の組織や仕組みというものが、増えてくるのかもしれませんね。
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連日ニュースに流れてくるのは、イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザ北部の難民キャンプに大規模な空爆をして、なんの罪もない多くの人々が犠牲となっている傷ましい出来事です。
複雑な過去の深い負の歴史があるのかもしれませんが、しかし復讐というだけで闘うのなら、何も得るものはないと思うのです。復讐の連鎖となり、哀しみだけしかそこには残らないのでしょう。
世界は20世紀に戦争や侵略の歴史を経験してきました。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
オットー・フォン・ビスマルク
歴史に学び、負の歴史は絶対に繰り返してはいけないと思うのです。
現代では国連で各国の代表が話し合いによって、平和的な解決策を模索します。
人が成長するように、人の集まりである国家も経年して、成長していくのかもしれません。
また人の心はコロコロと変わる不安定なものです。
しかし変わってはいけないものもあります。
例えば教えや自身の信念。
これは時代は変わっても、変わってはいけないものだと思うのです。
フェイクニュースや詐欺などが蔓延する今の世に惑わされないように、間違いのない信仰や自身の信念という定規をもつことが、これからの時代は大事だと思うのです。
正しい定規。迷ったときは、そこに合わせればいいのです。
それが信仰なのか。自分の哲学、信念なのか。
どちらにしても、信じてその道を歩むしかありません。
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稿本天理教教祖伝逸話篇(天理教の教祖から直接導かれた人々が、記し語り伝えた逸話二百編)に以下のような話があります。
『皆丸い心で』
明治十六、七年頃の話。久保小三郎が、子供の楢治郎の眼病を救けて頂いて、お礼詣りに、妻子を連れておぢばへ帰らせて頂いた時のことである。
教祖は、赤衣を召してお居間に端座して居られた。取次に導かれて御前へ出た小三郎夫婦は、畏れ多さに、頭も上げられない程恐縮していた。
しかし、楢治郎は、当時七、八才の子供のこととて、気がねもなくあたりを見廻していると、教祖の側らに置いてあった葡萄が目に付いた。それで、その葡萄をジッと見詰めていると、教祖は、静かにその一房をお手になされて、
「よう帰って来なはったなあ。これを上げましょう。世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。この道は、先永う楽しんで通る道や程に。」と仰せになって、それを楢治郎に下された。
皆が丸い心でつながる。
世界の人々が、みんな丸い心になって、平和やたすけあいという絶対的な善の定点に繋がっていけば、この世から戦争や紛争がなくなり、いつか平和な円い世界が訪れると思うのです。
今は想像すら出来ませんが、いつかその世界に辿り着くことを信じて、まずは『家族』という一番小さな単位の『社会』を、円くおさめていきたいと思うのです。
−了−
最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇