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不安まみれで誰とも繋がれなかった私が、気づけば結婚して幸せな無職になっていた話

人の目が怖い。

どう思われてるんだろう。

そんな不安に縛られた、臆病で殻にこもった人間だった。



高校時代、吹奏楽部に所属していた。

音楽は好きだったけれど、今思えば私は、雑多な大人数の中でワイワイ楽しく過ごすすべを持ち合わせていない人間だった。

当時は、その場に合わせてなんとなくニコニコしていたけれど、その実、いつも居心地が悪くて。

「吹部っていつも一緒にいて、仲良いよね!」

と、他の子たちには言われていた。

でも私は、そうやって言われる通りの「吹部の仲間は固い絆で結ばれていて仲良しだ」っていうことを演じさせられている気がして、その言葉への違和感がずっと消えなかった。

実際、吹奏楽部はいつも賑やかだったし忙しいしで、「明るく活発な人たち」であったことは間違いないと思う。

だけど私は、「誰とも仲良くなんてない」と思っていた。

いつも、自分が周りにどう思われているのか不安だった。

「私はみんなに嫌われている」
「私の音はみんなの合奏に必要ない」

と勝手に思い込んでいた。

毎朝早く来て、人一倍真面目に練習していた。

それでも、私の音はいつも弱々しく籠(こも)っていて、トランペットの華々しい、スパンと通る明るい音色で吹けるようにはならなかった。まるで当時の私みたいだなと、今振り返って思う。

そこでは、楽器の上手さが全てだった。
それが全てだと、肌で感じざるを得なかった。

「楽器がうまく吹けなくても、私にはいいところもある」だなんて、当時高校生の私には思えない。

だから、全部が怖かった。

楽器が下手な私を、みんなはどう思っているんだろう。
私の音を聞いて、「やっぱり下手くそだな」「もっとまともな音出せないの?」って、心の中で思ってるんじゃないか。

「こんな自分、全然ダメだ」
「もっと上手くならなきゃ」
「もっと頑張らなきゃ」

気づいたらもう、音を出すのが怖かった。

楽器を吹くのが怖かった。

人が怖かった。

音楽が、全然楽しくなかった。


思い込みと、自己否定。

部活を引退して、高校を卒業しても、その後遺症は長引いた。

上京して、楽しいはずの大学生活。

子供のころからよく遊びに行っていた、東京の西の外れにある祖父母の家から大学へ通っていたため、環境への不安はほとんどなかった。5月や6月になれば、大学構内の歩き方や授業システムにも慣れた。

それなのに、毎日が不安で不安で仕方ない。
でも明確な不安の原因は見当たらない。自分がなぜ、どうしてこんなに不安なのかわからない。

この生きづらさをどうにかしたくて、長い間もがき苦しんでいた。



私が変われたきっかけは1つではないし、ある瞬間を境に劇的に変化したのでもない。

色んな知識や経験や時間、そばで関わってくれた人たちの存在が自分の中に積み重なって、少しずつ少しずつ、生きづらい自分を脱して来た。

それでも、紛れもなく私の人生を変えてくれたのは、夫の存在だ。そして、彼が可能にしてくれた「自己開示」だと思っている。

夫は同じ吹奏楽部の仲間で、私が唯一、緊張せず自然体で接することができる相手だった。
冗談を言ってちょっかいをかけてくる彼に軽口を叩けたし、自然と「真面目な私」というバリアを解いてふざけ返すことができた。

言葉にするとたったそれだけのことだけれど、彼と接する時だけは、私は自然体で、ありのままの自分で居られる気がした。彼と接しているときの自分が好きだった。

私はこの人に好かれている。言葉にはならない謎の自信すらあった。
それは恋愛的な意味ではなく友達として。人として。

彼は私にだけではなくみんなに同じ態度で接していたし、私もそれがわかっていたからこそ、無意識に、体感ベースで彼に安心感を抱いていたのだと思う。

そんな彼と関わり、お付き合いを開始して一緒に過ごす時間が増え、関係を深めるうちに、私はたくさんの幸せを得ていった。

ガチガチにバリアを張っていた心が解放され、
自分で自分のことを受け入れられるようになり、
本音をさらけ出して繋がれる友達ができた。

そんな彼と結婚して、今やもう、私は自分らしくしか生きられない。

会社を辞めて堂々と無職を名乗ったし、
(結婚してからも「専業主婦」じゃなく「無職」なのがミソ)

9時間睡眠で感受性フル稼働の、自分をすり減らさない毎日。

歩く時に足元ばかり見ることもなくなって、口座の貯金残高が20万そこそこでも幸せで、友達のインスタを見て嫉妬することもない。

読みたい時に読みたい本を読み、見たいアニメを見て、聴きたい音楽を流す。

大きな夢に向かってガツガツしたいわけじゃなく、目の前の生活の愛おしさをただ抱きしめていたいということも、私のブレない思いだ。

そしてそのために目標を決めて歩く中でも、ちゃんと歩きながら幸せでありたい。

将来のために今を犠牲にしない。

自分の心と体が望むものに従って、生きる。

世の中の「普通」に、誰かの「常識」に、
決して私の人生を奪われはしない。

これが、私の「自分らしい生き方」だ。








前置きが長くなりました!

こんにちは。

私は栁沢こはると申します。

現在25歳、今年26歳になります。

昨年結婚し、夫と2人暮らしをしています。

この度は、誰もが「自分らしく」「ありのままでいられる」ことや、「本音で人と繋がる」ことで心満たされながら生きてほしいという思いで、このnoteを執筆しました。

私は、

「自分らしい生き方は、自己開示から始まる」

と思っています。

「自己開示」が、自分の在り方や人との繋がり方を変えます。

世の中や、他の誰かの物差しで測る「成功者」「勝ち組」の人生ではなく、

あなた自身が求める幸せを手に入れ、「自分らしく」生きられるようになります。

なにやら怪しげな物言いで、ちょっと胡散臭いですね笑

でも、本当です。

少し長くなりますが、私が「自己開示」の大切さに気づくまでの経緯をお話させてください。




私は、「人の役に立ちたい」と心から思ったことがありませんでした。

周りの人たちがみんな、どうしてさも当たり前のように「人の役に立ちたい」と思っていたり、そう言えるのか、不思議でした。

そんな私が、全身の細胞が震えるような経験をしたのが、2020年の10月。新型コロナの第2波が収束していくタイミングであり、私は社会学部の大学3年生でした。

「ライフストーリー」や「対話的インタビュー」という社会学の手法を学ぶゼミに所属していて、そこで当時88歳の、長崎被爆者の方に原爆体験のインタビューをさせて頂いたのです。

インタビューの内容やそこで得たものについては、ここではとても語り切れません。ひと言では何も言えない。

ただ、「他者とともに生きることの意味」を、まざまざと突きつけられた経験でした。

人の役に立ちたいと思えなかった私がこの経験から学んだことの1つが、「人のため」というのは一方的に「やってあげる」ことではないということ。

そうではなく、すでに自分が与えてもらっているということに気づき、それを返していくことなんだ、ということです。

私たち人間の社会は分業制で、けっして1人では生きていけません。

今日食べた朝ごはんも、

今着ている服も、

こうしてこの文章を表示しているスマートフォンやPC、タブレットも、

現在、もしくは遠い過去の昔に、
自分の知らない誰かが、自分に見えない所で、

考えてくれて、作ってくれて、届けてくれたおかげで、今私たちは生かされています。

すでにこの世界からたくさんのものを与えてもらっている私たちは、それを返していかなければいけない。

ならばその世界で、私が担える部分はどこなのか。私が私として、役に立てる場所はどこなのか。

インタビューを終えてからずっと、それを探し続けていました。





そんなことを頭の隅に置きながらも、現実は待ってくれず。

2022年、私は普通に就活をして、普通に社会人になりました。(「普通に」とはいえ就活にはかなり苦しめられましたが…)

「仕事はお金のためと割り切って、それ以外の余暇の時間で人生を充実させていこう」。

それでいいと思っていました。

いや、今考えると、自分にそう言い聞かせていたのだと思います。

入社1年目。新社会人ハイでした。

出社前に1時間ほど、会社近くのマ○ドナルドで仕事に必要な知識を勉強し、半年間の新入社員研修も優秀にこなしました。資格も研修期間中に3つ取得。「デキる社会人」になった気がしていました。
しかしその勢いが続いたのは最初の3ヶ月。
徐々に心身が疲弊していき、普通に出勤して普通に退勤する、平凡な社会人へと落ち着きます。

入社2年目。このころ、お付き合いしていた彼氏(現在の夫)と同棲を始めます。

それによる環境の変化や仕事のストレスで、気持ちがすごく沈みこんだ時期でした。
地域の保健センターへ泣きながら電話し、保健師さんと、出張対応してくださっている精神科医の先生に対面で直接相談。

精神疾患系の診断名がつくまでには至りませんでしたが、この時から、今もお世話になっている漢方薬を飲み始めました。保健師さん(女性の方でした)が婦人科の受診を勧めてくれてのことでした。

そして昨年、入社3年目(2024年)。

仕事は、やっぱりどうしても辛かった。

もともと自分の精神状態に波(気持ちの浮き沈み)があることを理解した上で、そんな自分でもなんとか働きやすくなるように、会社の規定の範囲内でできる対策や工夫をすべてやってきて、それでも限界を感じていました。

テレワークは上限まで使ったし、はっきりと残業を求められない限りは毎日定時で退勤。通勤用の靴も、足が痛くならないように、でもフォーマルに見えるように真っ黒なレザーのスニーカーを探して履きました。朝の電車はラッシュが被らないようにほんの少しだけ早い時間に乗り、お昼休みは心が落ち着くようにお気に入りの小説を読んで過ごしていました。

でも、それでもダメだった。

自分の不機嫌をまき散らす上司が怖かった。
同期はたくさんいたけれど、友達は一人もいなかった。
心がどんどん閉ざされて、感受性が死んでいきました。

このままでは私は本当にダメになってしまう。心が壊れてしまう。

なんとか上司に退職の意志を伝えたのが4月下旬、ゴールデンウィーク前です。
そして6月末、会社を退職しました。

7月、無職になりました。

不安よりも、開放感でいっぱいでした。
「やっと降りられた」と思いました。

小・中・高・大、そして社会人と、ずっと「真面目な」「いい子」でやってきて。
不確実性の時代と言われて久しい中でも、新しいロールモデルなんてわからず、まだ朽ち果てずに残った旧知のレールに乗って進んで来ていました。

でもやっと、そこから降りられた。
敷かれたレールの上ではなく、これからはちゃんと自分で道を選んで、自分の足で歩いていける。そんな感覚でいっぱいでした。

私が自分で決めた人生を歩み出したのは、大学を卒業した時ではなく、会社を辞めたこの時だったと思っています。



その時私は、再びこの問いに戻ってきたのです。

この世界で、私が私として、役に立てる場所はどこなのか?

どうすれば、心身ともに健康なまま、分業制の世界の一部を担って生きていけるのか?


そんな思いから、八木仁平さんが体系化された「自己理解プログラム」を受けました。

ここで自分の人生を棚卸しして、私の「大事なこと・得意なこと・好きなこと」に向き合ったことで、この先の人生を進むための大きなヒントを得ることができました。

この時、私は自分の人生で「自己開示」が大きな意味を持っていることに気づいていったのです。

高校時代の部活動が一要因となり、不安で埋め尽くされ、誰とも繋がれなかった私が、たった一人への自己開示をきっかけに世界が開けていったこと。

反対に、やめてしまった前職は自己開示ができない環境だったこと。

そこから、
「自分も相手も自己開示ができる、1対1の対話の場をつくりたい」。

そんな小さな種を見つけたのが、自己理解プログラムを修了した2024年の8月末です。


それからは、現在に繋がる試行錯誤の日々。

Xでの発信を始め、ビジネス系のYouTubeやスクールで学び、まずは無料で1on1をおこない人と会話していきました。

昨年2024年末、初めてお金を頂いて自分のサービスを提供させて頂くようになり、それから現在まで、たった1ヶ月にも満たない間にも、気づきが更新され続けている毎日です。

このnoteの冒頭、前置き部分でも記したように、過去の私はありのままの自分で接することができる相手の存在よって、苦しい時期から抜け出すことができました。

まずはたった一人の、安心して自分の気持ちを話せる相手に自己開示を重ねていったことで、自己否定している状態から徐々に抜け出し、「私は私のままでいい」と思えるようになった。

そこから、今ではいつメン(=いつものメンバー)となった友達に対しても、「私のことをなんでも話していいんだ」と気づいて、少しずつ心を開き、本音をさらけ出して繋がることができるようになりました。

同じように、今度は私が、誰かにとって安心して自己開示できる相手になりたい。その人がその人らしく、心を解放していられる居場所をつくりたい。
そんな想いで始めたのが、「こころの踊り場」というサービスです。

実際にサービスを提供する中で、お客さまから様々なお悩みや感情・考えをお聞きしたり、お客さまの日常で起こった嬉しい出来事のご報告をいただいたり、私に直接、嬉しいご感想をいただくことで、この「こころの踊り場」というサービスの意義が強まっていくことを日々感じています。



そしてここ数日、こんな事を思うようになりました。

「自己開示」は過去の私を苦しみから救ってくれただけでなく、これからも、私自身が幸せに生きていくために必要不可欠なんじゃないか。

例えば会社を辞めたことも、「この生き方は私には苦しい」という本心(=自己)の現れ(=開示)と言えるんじゃないか。

もし「週5で8時間働くなんて私にはキツい」って感じている人が、思ってるだけじゃなくて実行に移すのは、本音を自己開示して生きることそのものなんじゃないか。

つまり、私が「こころの踊り場」で提供できるものも、ただ「安心して自己開示できる場」に留まらず、「自己開示する生き方をともに実践していくこと」「自分にとってより幸せな人生を、自分で決めて選び取っていけるようになること」、すなわち、自分らしく生きていくことのサポートになっていくのではないか。

そんな考えに行き着き、現行の「こころの踊り場」に込める思いや進む方向を、よりブラッシュアップしたい気持ちが高まっていきました。

「こころの踊り場」は、今私が思っているよりももっともっと、私と関わってくださる方の人生をより大きく、幸せな方向に動かしていけるのかもしれない。

このサービスをさらに磨いていくことで、私自身もお客さまと一緒に、自分の人生と真剣に向き合い、より自分らしい毎日をつくっていきたい。

何か大きな目標をやり遂げるためではなく、その人にとってより幸せな人生をつくっていくためのパートナーでありたい。

そういうサービスをつくりたい。

このnoteは、そんな熱量の結晶です。




私は、人生とは目の前の生活であり、
日々の生き方そのものだと思っています。

そして、<人生=毎日>を自分らしく生きるためには「自己開示」が必要不可欠だと思います。

自己=自分の心と体が望んでいるもの。
開示=体現していること。

つまり、「自分らしく生きる」とは自分の内なる声(本心=自己)に従って行動することであり、それが実現できる環境を自ら選ぶことです。

世の中の「常識」や「当たり前」にフィットしない自分に気づき、受け止め、自己開示していくことで、自分のための生き方を自分でつくること。

それを社会は用意してくれないし、
誰も用意してくれない。自分でつくるしかない。

でも、つまりは自分で自由につくれる。決められる。すべて自分で選んでいいんです。

紛れもない「あなた自身」を見つめ、
他の人との違いが明らかになっていく・していくことや、

人とは違う選択をして、イレギュラーと言われるような行動をすることを、最初は少し躊躇(ためら)うかもしれません。

でも、もう自分をすり減らさなくていい。
周りに合わせるために無理に自分をねじ曲げ、変えようとしなくていい。
あなたがあなたのままで生きられる毎日を、どうか選んで欲しい。

そしてそんな人生を実現するための1つのロードマップを、私は、自分の生きてきた軌跡の中から見つけられたと思っています。

まずは、安心して自分の気持ちを「自己開示」できる、本音をさらけ出して繋がれる相手を持つこと。

それによって、「私は私のままでいいんだ」という確信を日々持ち続けることができます。

そして、そんな信頼できる相手に自分の望みや本音を語りながら、自分の心と体が本当に望んでいるものに従って、人生の選択をしていくこと。仕事や生活環境を変えたり、より整えていくこと。

あなたの自分らしさを阻(はば)むのは、

親や、外野からの「ちゃんとしなさい」「安定した仕事に就きなさい」という声だったり、

世の中の「仕事は我慢してやるもの」「出る杭は打たれる」などの風潮であったり、

ほかでもないあなた自身が、「みんなと同じことができない自分はダメなんだ」「自分には価値なんてない」と思ってしまうことかもしれません。

でも、あなたがたった1人とでも、本音をさらけ出せる相手と繋がれたなら。その繋がりが深ければ深いほど、自分の選択に自信を持てます。根拠なんてなくても、「大丈夫」と思えてしまいます。

あなたのそばに、ありのままをさらけ出して自己開示できる相手がいてくれる限り、あなたはいつでも「私は私のままでいい」と信じて進むことができるのです。

私自身がそうでした。

というより、現在進行形でそうなのです。

自己否定していることにすら気づいていなかった、自分で自分を受け入れられなかった私が、たった一人、「私が何を話しても大丈夫なんだ」と思える相手がいたこと。私が私のことを自己受容するよりも前に、「どんな私でも大丈夫」「私は私のままでいいんだ」と感じさせてくれたこと。

そして、会社を辞めて無職になった今もなお、私が自分のビジネスを持って進んでいきたいという思いを応援してくれていること。一番そばで私の在り方を受け止めてくれること。

そんな夫と共に生き、ありのままをさらけ出せることが、私が無職でも、貯金20万でも、「自分らしく」日々幸せに生きていられるゆえんなのです。




ここまで読んでくださったあなたに、心から感謝いたします。
本当に、ありがとうございます!

最後に、少しだけご案内を。

私が提供するサービス「こころの踊り場」は、誰もが安心して自己開示できる、心を解放する対話の場です。

「こころの踊り場」が目指すもの。向かう方向。


実際にサービスを受け、私と一緒に「自己開示」を通して自分らしい生き方を実現したい方や、まずは一度、30分無料でお話してみたい方を、随時募集しております!

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そしてこのnoteの最後に載せたのは、これまで「こころの踊り場」のサービスを受けてくださったお客様の声です。
ここに載せた言葉はほんの一部で、直接お話しする中でいただいた言葉を含めて、そのすべてが私の力となり、背中を押してくれています。

これから、また新たなお客様と出会い、今はまだたどり着けていない人生の局面まで、お客様と一緒に進んでいきたいと思っています!

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

あなたとお話しできること、そして「自分らしい人生」に向かって一緒に歩けますことを、心から楽しみにしています。

栁沢 こはる



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