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ぼっち在宅介護 残っている脳の力②会話力
NHKスペシャルの
「認知症の母と脳科学者の私」
を観てみて…
ネガティブな想いについていろいろ考えましたし、考えさせられて、考えたくなりました。
恩蔵さんのお母様が
「バカになっちゃったから…」とうっすらほほえむ姿は、一見悲しいシーンでした。
「お花を好きにいけてください。自由にしていいよ」と恩蔵さん。
でも、渡された花を持って、困った表情になったお母様は、椅子とテーブルの間の隙間を使って、お花をスクっと立たせて終わられました。
お花を倒して置いていてはかわいそう。
花瓶にはきれいに刺してあげないといけない。
だからでしょうか。
背もたれのある椅子の隙間にお花を刺してあげたのかもしれない…
と、私は後になって思いました。
恩蔵さんのお母様は冷静だ。
非常に求められていることを理解されていて、答えらない自分を評価できているからこそ、
「バカだからできない」という言葉になったんだと思いました。
『バカ』という言葉も、聞けばショッキングだけれど、そのとき開けられる言葉の引き出しの中から近いモノがそれしかなかったから、その言葉だったんではないかなぁ…と思いました。
我が父は、どうかというと、、、
介護認定の際には、認知症は発症してるようには言われませんでした。体の方がどんどん介護度を増してしまい、脳神経系の診察は受けず仕舞いです。実際、せん妄なのか認知症なのかわからない症状は多く、ま、幾らかの認知力の低下は否めないです。
で、通常の生活の中で、彼はほとんど会話をしません。「うん」「いや」を瞬きやうなづきで答えるのみです。
しゃべろうと思えばしゃべれます。たまに。
先日、いとこや主人の前ではしゃべりまして、びっくりしました。
ヘルパーさん、看護師さん、リハビリなどの先生方は、「私たちにも話してほしい」と言われますが、相変わらず塩対応です(笑)
マイペースです。
というか…
ヘルパーさんや看護師さんのいらっしゃる時間は、決まっています。
父の体調や気分は、未定。
話せる体調なのか、言葉がうまく選べるコンディションかはわからない。
話すなら、きちんと話したい。
できないなら、話さなくていい。
当たり障りのない会話なんて、父にはもういらないという感じです。どこ吹く風。
昔でいう、「ボケてる」「ボケてない」などと、外見から判断されたりするのも、とうの昔にうんざりしています。
日々の体調に右往左往している彼にしたら、話したい人とたまたまのタイミングでちょっとでもいい感じに話せれれば、もうかなりの大ラッキーな話という感じで、限られたチャンスと労力と脳を温存しているようにも見えます。
そりゃ、どなたにもスッとええ感じに受け答えできればいいが、そんな都合よく体調は整わないのですから、仕方ないです。
1日の中でも、さっきなら言葉が浮かんでたのに…3時間前なら声が出せたのになぁ…
みたいな日々だから…
なら、話さないでいい!
首や目線を縦にするか横にするか。っと言った感じです。
ネガティブ力、発揮中です。低め安定。冷静。
無駄な労力は使いません。(笑)
できないのにできるように見られようともしません。
実に、自然で、わがままで、でも無理のない姿勢に思われます。
(実のところこの関係が築けたのは2年くらい前からで。当初の1、2年はそんな余裕は互いになく、ジタバタする日々でした。)
ま、そんなこんなで、アクティブにジタバタする時期を経て、今、いい意味でネガティブな想いと父は向き合っております。
ネガティブって割と素敵な力かも知れません。