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人生『喜怒哀楽』 義母から学んだ危機回避力
ちょっと長いです。2900文字です。
先週は、いろいろありました。
本当にいろいろ😅
私自身もバタバタしていましたが。
夫は、仕事先でえらい事件というか事故があり(誰かが意図的に悪いとかではないけれど…だいぶ大変なことがあったようで)、心身共に疲弊気味でした。
よくよく考えて見たら、今年は…
オヤジを在宅介護をしていて、終の住処を考えはじめると、オヤジが他界し。
家族と相続で揉め…(まだ止まったまま…)。
義父を引き取ることになり…義父の身の回りのいろいろもまだクリアにならず…
義父の元へ誰も見舞いにはこず…
年内に、義父の最後の片付けに2人で帰省するという大きな宿題ができてしまいました。
私が仕事を持たず、家庭や親と言う面だけでこれだけのことがあるわけですが。
仕事を抱える夫は、もっと抱える悩みや疲労はあることでしょう。
世間には、さらに子育てというものを抱えてる方もいます。
12月に入り、義父がいただいた餞別の返礼品を2人で段取りしながら…
「良く走って来たなぁ…。なんとか無事に、ここまで走り抜けたなぁ…」と話しました。
夫は、今年、これまでしないようなケガもしたし、いろいろなことに見舞われました。
仕事の責務もどんどん日に日に重くなり、ストレスフルに。本当に、満身創痍とはこのことだろうなぁと言うくらい。傷だらけボロボロに老けて来ました😅
やっと、私の実家のことから解放されるかなって時に、義父の実家終いがなかなか大変なことになっていたことがわかり、夫は相当な骨折りでした。。。(進行形)
ウチの実家でも、夫の実家でも、
本当に煩わしいことには、血のつながる人でも利害によって手を貸さないことがよくよくわかりましたし。
血なんか関係なくても心を尽くして思ってくださる人がいるんだなぁ…と言うことが良くわかりました。
人の本性というのは、こういう時に見えますね。
あ、恨みつらみを書きたいのではなくて。
ふと、義母から聞いた嫁母時代のことを思い出したのです。
義母は、50歳前後だと思いますけど、脳溢血を起こし、片半身不随になりました。
古家の屋根裏?にいたらしく、誰もいなくて、叫ぶこともできず、なんとかハシゴのような階段を降りたところで倒れていたとか?
病院に運ばれ、地方で学生だった夫が駆けつけた時には、会話もできず歩けずだったそうです。
当時の義母は、夫から見ると祖母に当たる姑が長らく寝たきりで。
その時代のことですから、当たり前に、周りは女や嫁の仕事と全てを押し付けていました。
義母自身は、家業に加え、自身の教職もこなし、子供達の学費を稼いでいたと言いました。
そんなある日のこと、義母は倒れてしまいましたが、子供達が方々に進学した頃で、まだまだお金のかかる時期で、仕事を辞めるわけにはいかないとリハビリを重ね、目や耳、片半身に障害を負いながらも、話せる、なんとか歩けるまで回復し、障害者になりながらも仕事に復帰したそうです。
周りからは、以前と同じ働きができないことを陰口、表口で言われて、それは辛かったそうです。が、「ここで負けるわけにいかない」と辞めずに勤めあげたと私に話してくれました。
(実は、意外とこの話を家族は聞いてませんで。いや、愚痴りたくても話せなかったのかなぁ…)
だからでしょうか。
義母は、まだ在職中だった私に、「すごいねぇ、えらいねぇ」などと、ちょっとしたことで誉めてくれたし、「よう帰ってきてくんさった。ありがとう、ありがとう」と声をかけ続けてくれました。
きっと、その言葉や励ましが一番欲しかったのは、あの時代の義母だったんでしょう。
そんなことを聞いていたので、夫は脳の病気になる可能性があるかも…と思って来てました。
が、よくよく考えてみたら、家系とかの話ではなく。
その年齢に達すると、それくらいに人生最大級の波が押し寄せてくるということではないかと思います。(ここ一年とくに)
『喜怒哀楽』でいう、『怒』と『哀』の狭間のような。うねりのある波が🌊ザッバーン!と次々やってくるということかと。
そして、それは誰しもにあることで。
その波をもろに受けると、大きな事故やケガ、病気になりかねないわけで。
どう受け流すのか?どう乗りこなすのか?で、本当に命に関わるんだろうと思います。
そもそも、その大波を見ないようにする人もいます。沖から見ていて、自分事じゃないとする人もいます。
でも、大切な人が波の中にいるとしたら、思わず飛び込む人もいるでしょう。
それを「あんな無茶するからあかんのや」などと、スマホ片手に高みの見物な人もいるだろうし。
何にもしてないのにやってる風に語るだけの人もいるし。
出来ることがなくても助けを呼びに行ってくれる人もいます。
波に入りたくて、皆入るわけではありません。
気づいたら、もう波の中だったりするわけです。が、その波に飲まれてしまった時…
うまく身を任せて、合間合間に呼吸さえできていれば、ケガで済むかもしれません。
夫と私の最近の合言葉は…
「大丈夫👌誰も命を落としてないし、大ケガもしてない。故意に誰かを傷つけてもないし。大丈夫👌命があれば大丈夫」
多少のしでかしや、仕事の難局面も、いちいちストレスに感じるな!
「そんなことは大したことではないから」
と声をかけあっています。
これは、義母のおかげです。
義母の経験談のおかげです。
私の母は、言葉は選んでましたが、義母の障害のことを可哀想呼ばわりしていました。
たぶん、人として、大人として、良くない見方をしていたと思います。(本当に良くない!😤)
結果的に、義母は他界しましたけど、義父に残せるものをしっかり残し、コロナ禍、亡くなる前日に、方々に散る家族と皆に会ってから逝きました。
母は、親の介護の経験もせず、家族の介護方法に文句だけ言い、自由にするお金に恵まれて来た人。(もちろん子育てとか苦労はしてくれたとは思いますが…)
高齢になり、気付いたらお金も使い果たし、小さな脳梗塞を繰り返してマダラ認知症になっています。
「私はわからないから」という言葉で、今いろいろから逃げながら生きてます。
命がそこにある限り、
問題がいくら大きくとも、
身を粉にするまではしなくて良いと思います。
が、問題から逃げずに向き合う事は、
大人になる、人として熟していく、
そんな中で、非常に大事なんだと思います。
そして、その時、できるだけ、スルッとサラッと交わしたり、飛び越えたり、潜ったりして、
波にもろにぶつからないでいただきたいのです。
不注意に、準備不足で、波に向かって行ってはいけません。
是非是非、最大級の人生の波にぶつかっている方がいらっしゃったら、、、
傷だらけになってもいいので、スルッと波のチカラを交わしながら、人生を進めていただきたいです。
ぜひ、ダメージを少なめに、浮き輪🛟とか岩🪨とか、休めるものはなんでも使ってください。弱虫でもなんでもないです。用心です。
きっときっと、今、人として、熟されていっている時なんです。
『哀』を抜けて、『楽』に向かっている時なんだと思います。
ぜひとも、時に肩の力を抜いて、大きく深呼吸をして、脳にいっぱい酸素を送ってください。
すると、次の抜け道が見えてくるんじゃないかと思います。