誰かの力になれる時
ちょうど去年のハロウィンに体験した怖い話です。郊外の小さな治療院のお会計の際に、
その恐怖はやってきました。
経緯はこんな感じです。
こちらの治療院は、新患の患者さんをたくさん
入れる方針の為、常に予約がとりにくい感じでした。少ない治療師さんのうち私の担当の方は大変に腕がよい方で、その中でもとても人気がありました。
最初のうち針灸は毎週受けるのが望ましいのですが、なかなかキャンセルもでないので、受けられる日があれば、優先順位を一番にして、多少無理してでも遠距離を通っていました。
ところが、その数週間前のこと。
治療の間をあけるのはよくないから、代理の治療師さんの治療も受けるように勧められたのです。まだ経験数か少ないが腕は保証するとのことだったので、その代理の治療を受けてみた結果、翌日から背中、首、腰の不具合が半端なくなり、寝ても覚めても痛みで苦しむという始末。好転反応かと我慢して一週間たっても良くならないので、治療院に連絡しました。
いつもの担当者さんは、丁寧に様子を聴いてくだいましたが、やはり好転反応という結論。結局、急遽治療を追加してもらい何とか良くなってきたのはその3週間後でした。
その間、当の代理の治療師さんからはたった一言。「色々身体は反応を出してくるので頑張りましょう。」勿論院長からは何の説明もなく、以降、担当者さん以外は何となく塩対応だなという感じでした。
それでも、担当者さんの腕の良さはピカ一だったために、何事もなかったように通っていたその矢先のこと。お会計を担当した経営者の方の言葉にはワガミミを疑いました。
何と、またもや代理の治療を受けるように勧めてきたのです。
「毎週治療を受けないで、間が空いて悪くなってしまうと責任がもてないので、代理の治療を入れて毎週必ず受けてくれないと困ります」
とやや脅し声。
私はとても気が短い所があり、いつもなら
なんだと?健忘症なの?と
切り返すところですが、あまりの恐怖に言葉がつまりました。
ここ、治療院ですよね。
何かのスピビジネスや
宗教団体ではないですよね?
と言う気力もなくなって、その場を静かに去る
ことしか出来ず、それが最後のお会計となりました。
患者さんの健康よりも売り上げが大切で、
人気があることにあぐらをかいているという
印象を強く感じてしまう態度や発言を
もう二度と聴きたくはありませんでした。
少なくとも、健康産業に携わる人の言葉とは思えない発言にミミを疑いながら、背筋が凍る思いを抱えて、同時にとても悲しくなりました。
私のクライアントさんの中にも、治療師さんや
カウンセラーさんが多くいらっしゃいます。
この体験を話すと皆さん驚かれますが、
裸の王様の話や、人のふり見て我がふり直せ、という言葉を思い出すことは、とても大切だと感じます。
どんなに人気がでようが、知名度があがろうが、腕があがろうが、そして繁盛しようがしまいが、忘れてはいけないことは、いつでもどこでも忘れてはいけない、と感じました。
最初は「誰かの力になりたい」とはじめた組織やセラピスト自身が変わっていくことは珍しいことではありません。力になる、がいつの間にか、自分の力を誇示したくなる、というのも
人間ならば当然かもしれません。
それでも、初心を忘てれてしまうことはあまりにも悲しく恐ろしいことだと、その体験は改めて教えてくれました。
「誰かの力になるための、本当の力」
を磨くのは一生かけての大事業かもしれません。
そして、本当に誰かの力になれた!と
心底で感じられた時、自分の力だとか、役にたてたとか、そんなことはどうでもよくなって
誰かの笑顔が真っ直ぐに、自分の喜びになる。
その喜びがまた力となって、相互に循環していく、そんな感じが大好きです。