<Dia Beaconライブへの一考察>RM(キムナムジュン)のアート=音楽の越境芸術活動
はじめに
BTSリーダーRM、もといキムナムジュンの「20代最後のアーカイブ」と銘打ったIndigoは約3年半の構想を経て、BTSの個人活動第3弾という形で満を辞して発表された。
本作の特徴は何と言ってもそのボーダーレス性にあると言えるだろう。アメリカの音楽シーンの大御所(エリカ・バドゥやアンダーソン・パーク)から、韓国の若手インディーミュージシャン(キム・サウォルやチェリーフィルターのユージーンなど)までが参加する領域横断的試みを行なっている(個人的にはマヘリアとのコラボがアツい)。RMは東洋から西洋へ、大御所から若手へ、彼のルーツであるヒップホップからシティポップ、フォークまで縦横無尽に駆け回り、ジャンルレスな一枚を作り上げているのである。
多面的な本作に通底するのはやはり、彼のアートとの関係性だろう。アート作品に対する思考や鑑賞経験、それらを経た上での態度を歌詞を通して語り、音楽性に反映することで楽曲に情緒が生み出される。この彼によるアートと音楽の越境活動(と名づけることにする)は、先日公開されたNYC、ディア・ビーコンでのライブ・パフォーマンスに集約されるのではないか。この疑問を出発点にディア・ビーコンでのライブについて、ディア芸術財団によるRMのインタビューを参考に考えてみたい。
ディア・ビーコン(Dia Beacon)について
ディア・ビーコンはディア芸術財団の美術コレクションを収蔵し、同財団が管理する11の拠点・サイトの中でもニューヨーク州ビーコンのハドソン川のほとりに位置する現代美術館である。1929年に建設されたビスケット会社ナビスコの包装紙印刷工場であった建物(Riggio Galleries)は、改修を経て美しく広大なアートスペースとして生まれ変わり、2003年に美術館として開館した。改築・改修は芸術家ロバート・アーウィン(Robert Irwin)を中心として、建築家のAlan Koch、Lyn Rice、Galia Solomonoff、Linda Taalman(当時OpenOffice)とともに行われた。
特徴は何と言っても、16万平方フィート(15,000m2)にも渡る敷地の広さ。これは近代・現代美術の展示スペースとしては国内最大級の規模をも誇るものだ。
コレクションは1960年代以降の現代美術を中心に構成されている。RMのインスタグラムに度々登場するドナルド・ジャッド、河原温の作品をはじめとして、ヨーゼフ・ボイス、ゲルハルト・リヒター、ロバート・ライマン、リチャード・セラ、ロバート・スミッソン、アンディ・ウォーホル、ローレンス・ウェイナーといった作家による作品が、広大なスペース内のそれぞれ独立した展示場所に、作者との直接相談、もしくは原案に忠実に展示されている。
RMは2021年12月に北米旅行を行い、全米各地の美術館、アートスペースを訪れたが、中でもディア・ビーコンはその旅の主要な目的地だったようである。
ミニマル/コンセプチュアルアートを好むRMにとっては桃源郷だったことは疑いない。しかし、コレクションの素晴らしさ以上に建築、展示スペース、空間、美術館そのものをいたく気に入ったようだ。ディア・ビーコン初訪問から約1年後にリリースされたIndigoにも、この美術館を訪れた際の経験は大きくインスピレーションを与えている。Indigoのライブを行う場所として、感銘を受けたディア・ビーコンの空間にアプローチをかけたのも彼にとっては自然な流れだったのだろう。美術館でのライブという音楽とアートの協働が結実するパフォーマンスはここに実現することとなった。
RM Live in New York @Dia Beacon
1. 'Wild Flower (with youjeen)×Robert Irwin
ディア・ビーコンに到着すると、建物とその外壁を囲むように配置された造園が目に飛び込む。この作品は、財団とロバート・アーウィンが共同で行ったBeacon Project(1999-2003)の一環において、アーウィンによりデザインされたランドアートである。美術館内の構造にも関係する点だが、アーウィンの作品の特徴は、光と空間を利用し、鑑賞者の作品に対する知覚に影響を与えることにある。知覚に訴えかけることによる鑑賞者の経験の形成に関心のあったアーウィンは「Beacon Project」(1999-2003)において、ニューヨークのグランドセントラル駅からハドソン川をさかのぼるメトロノース鉄道に乗り、ダイヤビーコンの駐車場に降り立つまで、「一連の体験」として美術館を構想した。
アーウィンは、ビーコンの土地柄や季節ごとの光の条件、ナビスコ工場跡地の建築様式を考慮し、ディア・ビーコン周辺のランドスケープに、一年を通して花を咲かせる土着の植物をデザインした。エントランスと駐車場には、サンザシとカニリンゴの木立があり、すでに花を咲かせている。まさに、花畑と言っても差し支えのないロケーションなのだ。
この造園から始まるライブは、アルバムのタイトル曲Wild Flowerである。Youjeenの力強いボーカルと壮大な音楽のWild Flowerはライブの幕開けを飾るのにふさわしい。
木々の十字路という「開けた土地」でRMは心の叫びを、Youjeenは花火(Light a Flower, Flowerwork)にまつわるリリックから刹那的なエネルギーを爆発させる。先が見えず苦しくもがいている、閉塞感の続く状況を打破するように、歌は寒々しい冬空を突き抜けていく。
グループの評価が高まるに連れて埋まるスケジュール、そしてトレンドが目まぐるしく移ろいゆくK-POPシーンの中で、彼は美術品の持つ普遍性に触れ、永続性の美を見出した。これはすなわち、彼にとっての救済でもあったのだろう。RMは等身大の自分(名無し)として息ができる場所、彼のセーフティスペース、あるいは聖域である美術館へと歩みをすすめる。このカメラワークにおいてRMはまさにアーウィンの意図した「一連の体験」をパフォーマンス内で体現する。
2. 'Still Life (with Anderson .Paak)' ×John Chamberlain
舞台は展示室内へ。RMは「I'm still life(僕は静物である)」と歌い上げながら、彼自身展示品と一体化する。彼がいるのはアメリカ・インディアナ州出身の彫刻家、ジョン・チェンバレン(1927−2011)の展示室だ。ジャンク・アート(廃棄物をアッサンブラージュなどの手法を用いて再構築した美術作品)でよく知られるチェンバレンの作品は、抽象表現主義のジェスチャーとポップアートの消費主義的な風土を同時に表現する。70年代以降彼は素材として自動車のスクラップやその他の鉄の部品を大胆に用いており、展示室内には砕いたりねじったりされた実験の成果としての作品が鎮座している。
Still Lifeのコンセプトは「止まらない静物」という物語だという。静物とはここでは花を指す。本来、花は生きているものだが、キャンバスに収められているからある意味動かない=死んでいる生命=静物、という考えにRMは興味を抱いた。というのも彼にとっては、その花は額縁の中で永遠に生き続けるものだからだ。「きっとその画家が100年前に描いたその花は、もうとっくに枯れてしまって存在しないだろうけど、目の前の額縁の中では生きているんだ」、と。
RMはこの静物に自分自身を重ねる。常に脚光を浴び続ける自らの人生は、展示台の上に置かれているようなものだという状態について自覚的だ。RMは静物のようにキャンバスに描かれている(=世界中の人々という鑑賞者向けに展示されている)。しかし彼は静物でこそあるが、花と同様、止まらない存だ。絶えず生成し、変化と成⻑を繰り返すのである。
ロバート・アーウィンの設計した窓から差し込む光の中、チェンバレンの作品は果てしなくずっしりとした物質的な重み(Stillな状態)と、砕かれてねじられたことによる躍動感(Activeな状態)や奇妙な軽みが拮抗しているような印象を受ける。RMはそんな相反するエネルギーが満ち溢れる空間内を歩き回りながら、やはり矛盾するStill Life(静物)について軽やかに歌い上げる。ここでのRMは作品の鑑賞者でもなく、パフォーマーでもなく、チェンバレンの作品と一体化して彼自身がオブジェクト(=静物)となる。
3. 'Change Pt. 2' ×Dan Flavin
「Don't」以来のeAeonとの共作であるChange Pt.2では、「Still Life」の延長線上で「変化」についての哲学が展開されてゆく。
舞台となるのは地下空間(Basement)にあるダン・フレイヴィンの「無題(ハイネル、称賛と愛情を込めて)」(1973年)である。フレイヴィンの正方形の蛍光グリーンのユニットが2フィート間隔で並べられたこの作品は、最終的にガラスのドアに行き着くように壁に沿って配置されており、反射によって屋外に広がっているようにも見える。展示空間の建築を破壊することを目的としているというこのインスタレーションは、なんと寸法が可変(=Changeable)なのだ。
作業室やストリートのありのままの雰囲気を詰め込んだというこの楽曲には、重低音のエレクトロニクスが響き渡り、グリッジノイズが効果的に使われている。RMが最も荒削りである意味で最も「芸術的な」部分を感じさせる楽曲と自負している通り、曲の情緒と剥き出しの蛍光菅、そして緑の光によって生み出される近未来的世界観とエレクトロ音楽の相性は相乗効果をもって唯一無二のパフォーマンスを構成する。
緑の光線に包まれながら、我々はRMの表情を読み取ることはできない。緑とは対照的な黒い陰影のみが浮かび上がり、光と影という限られた視覚表現の中で、しかし、ここにおいて提示される彼の身体性は等身大の彼の姿を強調する。
4. 'No.2' with parkjiyoon × Richard Serra
ライブの締めくくりは、アルバムでも最後に収録されているNo.2である。
窓から差し込む陽光のように、Parkjiyoonの歌声が天から神秘的かつ啓示的響きをもって降り注ぐ。カメラワークに誘われるまま、RMの背中を追いかけるように、我々は自然光と窓枠により芸術的に創り出される陰翳とリチャード・セラの《Torqued Ellipses》を追体験=追鑑賞する。
1996年から2000年にかけて制作されたこの5つの作品は、1990年代初頭に訪れたイタリアの建築家フランチェスコ・ボッロミーニのローマ教会「サン・カルロ・アレ・クワトロ・フォンターネ」(1646)の曲線にインスピレーションを得て、セラが楕円のボリュームをトルク(ねじれ)に変えて制作したものだという。若かりしセラは、コンテンポラリーダンスに強い影響を受け、「動きを素材や空間に関連付ける方法」を考えるようになった。その結果セラは、「身体が空間を通り抜けるという考え方、そして身体の動きが完全にイメージや視覚、光学的な認識に基づいているのではなく、空間、場所、時間、動きとの関係における身体的な認識に基づいているということが非常に重要であるという考え」に至る(出典)。
No.2というタイトルの由来は、アルバムの第1曲と連関することで、新たな章=第2章を構想していたためだという。テーマは、「振り返らないで」。20代も終わりに近づきつつある今、13歳からたった一人で音楽活動を行っていたアマチュア時代、BTSとしてのグループ活動の軌跡を振り返ったとき、「今の君のヴァージョンが最高のヴァージョンなんだ」と。「それは疑わなくていい。君はベストを尽くしただけ。だから振り返らないで。」と、RMが彼自身にかけたかったメッセージが詰まっている。
進まなかった道への未練や失敗に対する後悔は誰しもが抱えているだろうが、後ろを振り返らず、ただ未来へ向かって進んでほしい、そしてこれまで頑張ってきた自らをただ褒めてほしい。そんな願いが込められた本曲はまさしく「終わりの始まり」であり、彼の第2章への門出が優しく祝される。
もともとこのセラの《Torqued Ellipses》はそのサイズの大きさゆえ、その全体を完全に見るために、鑑賞者にはそれぞれの楕円の周囲を物理的に移動し、その中を通らなければならないという体験が構想されている。鑑賞者は歩みをとめず、後ろを振り返らずに、粛々と歩み進めるほかない。ところで音楽というものもまた、一度再生したら前に進むのみで、後には戻らないものだ。
音楽シーンの先輩のParkjiyoonは音楽によって、アートシーンの先輩ともいえるセラ、アーウィンらアーティストは作品によって、空間ごと現在のヴァージョンのRMを包み込む。最後の彼の眼差しと佇まいから、次章への彼の覚悟を見出す。
おわりに
不在の存在
曲の情緒と歌詞、メッセージに合わせて映像の質感、アートワーク、スタイリング、撮影空間、どれもが全く異なる。結局、インディゴ(藍色)はこのアートワークの中に色彩として登場することはなかった。にも関わらず、全体を通してインディゴという色彩を概念的に抽出することに成功しているように感じられるのはなぜだろう。
また、本パフォーマンスで披露されなかった楽曲にも着目したい。アルバム収録曲1曲目にして、彼の敬愛する芸術家ユン・ヒョングン(尹亨根、1928-2007)の名を冠し、彼の芸術観を最も如実に表している「Yun」である。Tiny Deskでは披露されたが、今回このディア・ビーコン・ライブではなんとパフォーマンスされていない。「ユン・ヒョングンの最後の習作のような作品になるように」と、本アルバム制作の出発点となっており、アートワークでも本作のシンボルにさえなっているユンについて歌ったこの曲の不在の意味とは。ディア・ビーコンのアーティストたちに、そしてユンに敬意を払ったゆえの選択なのか。あるいは、インタビューでRMはヴェネチアのパラッツォ・フォルチュニで、そしてテキサス州マーファのチナティ財団でドナルド・ジャッドの作品と一緒に展示されているユンの作品に心打たれたとも話しているため、これらの国外、あるいは国内のアートスペースでのパフォーマンスを行うかもしれない。いずれにせよ、その不在がかえって楽曲の存在感を増すことに貢献しているように感ぜられるのは私だけだろうか。
美術館訪問の体験からもインスピレーションを受けて制作された彼の楽曲と、ディア・ビーコンのコレクション、建築、空間は深いところで共鳴し、浸透し合う。私はRMの享受した音楽=アート越境活動の産物が、これほどまでにパフォーマンス映像に止まることのない、アートとしての一映像作品であったことに、ただただ感銘を受けこの文章を書くに至った。
RM、キムナムジュン
このように述べるRMだが、自身も環境によって様々な側面をARMY、リスナー、アートラバーに届けてくれる。Indigoを通して広大なアメリカのアート空間の中で、ソウルの200人規模の狭い箱の中で、BTSのリーダーとしてだけではない人間キムナムジュンの様々な側面を見せ続けてくれた。Indigoが多面的たる所以である。この作品は本当に彼のアーカイブであり、コラージュであり、鏡でもあったのだ。
音楽界のみならず、アート界をも牽引する存在となりつつあるRM。世界中から彼へ注がれる熱い眼差しは、BTSリーダーとしてだけでなく、21世紀のアートシーンの旗振り役としても留まることを知らない。
最後にディア芸術財団のインタビューの最終部を引用する。