もちつきに行かないと決めたあなたへ
娘が、「後悔」という感情を覚えたらしい。
ある日風呂に入ろうかという時、突然しくしくと泣き始めた。
「おもちつき、いきたかった」
その日は保育園でもちつき大会が行われた日だった。かつ、妹が前日に嘔吐していたし、娘(長女)のクラスでも続々嘔吐者が出ている日でもあった。そんな中での餅つき大会はさすがにリスキーでは…と思っていたのが本音。
朝、妹は欠席するが、ひとりで登園するか一緒に休むか尋ねたら、さめざめと泣きながら、「妹ちゃんがいないのは寂しいから行きたくない」と言った。結局その日は3人で過ごすことになった。
妹の体調も安定していたので、もちつきの代わりにと、お団子屋さんに行ってたくさんお団子を買い込み、昼食は楽しく団子パーティを催した。
そんな一日の終わりの、「おもちつき、いきたかった」。
内心「おいおいマジか…」と思いつつも、「あの頃赤ちゃんだった女の子が、今や自分で決断し、その決断を悔いるという感情を覚えたのか!」という感動の方が大きかった。
過去も未来も、その概念を持たなかった赤ん坊が、今や過去を振り返って、涙を流す一人の人間になったのだ。
その涙を見てまた私も、少し遠い過去を振り返っていた。
***
娘(長女)が生まれて1か月経った頃。
里帰り出産と実家暮らしを終えて、夫と暮らしていたアパートに戻り、昼間は1対1で娘と向き合う日々が始まった。
そして、「決断する」ということの辛さを思い知った。
赤ん坊が完全に眠る前にベビーベッドに下ろそうか、それともしっかり眠るまで抱っこしていようか。
ミルクと母乳の割合をどうしようか。
暑くないか、寒くないか。
低月齢での高熱は緊急外来にかかるべきか。
夫がいない時間帯に起きるありとあらゆる事象に対応するには、自ら決断するしかなかった。
また、育児にかかわる時間が長い方が当然、現場のリーダーとなってしまう。
どうしようか、と判断に迷う場面で、最終的に決断するのは夫ではなく私であることが多かった。決断することの辛さ。これが育児期の最も大きな辛さだったと思う。
それでも「この程度何でもない」と突っ張っていたある日。私は夫のために作った大盛りのかに玉チャーハンを前に号泣した。
「決めるのが辛い。お願い、一緒に決めてほしい」
育児に対する、初めてのはっきりしたお願いだった気がする。
それ以降夫は、場面場面で彼なりの判断をしてくれるようになった。
元々臨機応変な対応が得意な人だ。突っ張っていた私に遠慮して、あまり口を出さず手だけ出してくれていたのかもしれない、と今となっては思う。
ひとつひとつは小さな決断、だけど、それより遥かに小さな、本当に小さな命にかかわる決断。あの、責任に押しつぶされそうな日々はいつだって、すぐそこに在ったかのように、この手で触れられる。
決断することは責任を負うことである。
こんな当たり前のことが、30を前にしてやっと突き付けられた気がした。
***
保育園に行かないという決断を悔いている娘を、励ましながらも軽く叱りながらも、こういったことを伝えてみた。
「おもちつきに行けた娘ちゃんは、いないんだよ。
でも、おもちつきに行かないって決めた娘ちゃんは、確かにいたんだよ。
いない人のために泣くのはやめよう。
いた人のことを大事にしようよ。
じゃないとあの時の娘ちゃんが可哀そうだよ。」
言うは易しとはこのこと。
誰だって、過去の決断を時に悔いるんだ。
でも、もちつきに行かないと決断したあの瞬間の娘を、私も肯定したい。あの時の決断を、間違いだと思ってほしくない。
あの時だけじゃない。これから先のいくつもの決断をする自分のために、涙を流してほしい。別の決断をした架空の自分じゃなく、確かに居た、かつての自分を肯定してほしい。
親の、もっと言えば他者のエゴだと分かっては居るんだ。
「後悔」という感情を持った娘を、大人になり始めたんだと嬉しく思ったのも本当。
だからこそ、後悔という亡霊を何とかうまく操ってほしいと思う。繊細で聡明な彼女の人生を、少しでも明るくできるように。
***
今日も早速、とうに購入済みのランドセルを「水色か紫にすればよかった」と言ってさめざめと泣き始めた。
ベタだ。あまりにもベタすぎる。ただ、それは小学校3年生ぐらいでやってほしいベタだ。ベタすぎるのでもう説教じみたことは言わない。
「ランドセルってな、ランドセルカバーでいくらでも色変えられるんだよ?」
そうそう、決断なんて、いくらでも未来に向けて修正可能なんだ。そう思い出し、ネットで一緒にランドセルカバーを見る、という決断をしたあの時の自分に花丸をあげたい。
今日も頑張ったね。お互い、お疲れさま。
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