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98回目 "The Four Horsemen" を読む(Part 2)。 Daniel Dennett と Sam Harris それぞれのエッセイ。前回 Part 1 で読んだ Richard Dawkins のものとは違います。個性の違いが印象的です。
前回はRichard Dawkins のエッセイを読みました。今回は Daniel Dennett と Sam Harris それぞれのエッセイを読みます。加えて今回記事の最後のパラグラフでは彼ら三人のエッセイそれぞれから、強烈な印象を残す一節を取り出し再読します。意味を慎重に読み取り、自分の気づきの範囲を広げるための作業です。
1. 4人の Horsemen の一人である Dr. Dennett は 生命の進化に関心を寄せる哲学者。
Dr. Daniel Dennett は Internet Explosion が「人の進化の Tree」 に芽吹く枝の形を決定するはずとの見解を披露します。
オーストラリアの動物学者、Andrew Parker が 2003 年に発表した研究成果は、「海の浅瀬部分の海水の透明度を上げる何らかの化学変化が起こり、その浅瀬一帯には進化の争いに打ち勝つための武具を競う大競争の時代が始まった(130 - 140 億年前の時代)。」というものだったと、Dr. Dennett は解説すると、その成果を受けて、インターネットの普及がこれに匹敵する影響を人類の進化の Tree に芽吹く枝の在り方に、この海水の透明度向上に比肩する影響を与えるはずだとの認識を表明します。
《注》
以下で引用した文章において Dr. Dennett は「インターネットが普及した社会に不適合な人は社会から置いてきぼりになります」とは言っていません。インターネットをうまく利用する桁違いの頭を持った動物、今のヒトから枝分かれした形質を持つ、今のヒトの遺伝子と異なる遺伝子を持ったことで結果した「ヒト + α」が生まれるだろうと言っていると私は理解します。1,000 年後というより 30,000 年後でしょうか?
[原文 1] We can now see further, faster, and more cheaply and easily than ever before -- and we can be seen. And you and I can see that everyone can see what we see, in a recursive hall of mirrors of mutual knowledge that both enables and hobbles. The age-old game of hide-and-seek that has shaped all life on the planet has suddenly shifted its playing field, its equipment and its rules. The players who cannot adjust will not last long.
[和訳 1] 今の私たちはこれまでよりも遠くにあるものまで、これまでより素早く、これまでより安価に、更にはこれまでのように大変な苦労をしなくとも、見ることが出来るのです。それと同時に私たちは他の人から見られもします。これは反射を繰り返す鏡の部屋の中にいるのと同様です。反射されるのは外見でなく双方それぞれが持っている知識です。それぞれにとって相手から得た知識は自分の行動の幅を広げるのですが、同時に自分の行動に制限を加えることにもなります。遠い昔から馴染んできたかくれんぼゲーム、これはこれまで、この衛星上のあらゆる暮らしの様式を限定していました。このゲームですが、突然にしてそれが進行する会場を変えたのです。その設備、規則も変わりました。ゲームに参加できない、参加してもうまくプレイ出来ない人々はそんなにいつまでも存在し続けることは不可能です。
Horsemen", published in Great Britain in 2019 by Bantam Press
2. Dawkins や Hitchens のように宗教を今直ぐに失くしてしまえとは主張しないのが Dennett です。
少なくとも当面は、すなわち宗教が今の時点で果たしている一定の役割を担える政府組織(あるいはそれに似たもの)が出来て機能するまではと穏やかです。
[原文 2] There are limits, to be sure. As in any other arms race, there is a dynamic interplay, and if polarization becomes too extreme -- with many people all too willing to be sacrificial anodes for their favourite politicians -- the value of the strategic principle evaporates. But here is where the frank and open expression of one's actual views -- however boring and middle-of-the-road they seem to you to be -- can do some valuable work. Just calmly letting the neighbours know that you are in favour of x, disapprove of y, think z is not to be trusted -- in short, being not just an informed citizen but an informing citizen -- can substantially contribute to the reduction of polarization and the gradual displacement of received opinion in the directions you favour.
[和訳 2] 物事にはこれ以上は無理という限界があります。本当です。武具の獲得競争にあっては、どのようなものであれ、両者が力勝負でぶつかり合う戦いが発生しますが、もし極端に二極化がも進行して、自分が支持する側の政治家の為の犠牲の電極になろうと望む人の数が増えることにでもなると、政策的原則(政策の違い故に争うという原則)が立ち消えになってしまいます。しかしこの状況こそが、人々それぞれの率直かつ寛容の原則に従った現実的意見の表明が貴重な役割を果たしえる状況なのです。最初の内、そのような行動が、たとえ、退屈なもので対立する二者のどちらにも与しないし凡庸な意見でしかない役割だと思えてもです。淡々と、静かに、お隣の人に自分がxを支持していることを知らせるのです。あるいは y の意見に与できない、あるいは z が信用できないと周囲の人々に教えるのです。-- 分かり易く言えば、世間のことを良く知っているだけの市民に留まらならないで、周囲にも教え廻る役を担う市民になるのです。そうすることで、二極への分化をやわらげ、そして徐々に自分が聞き取った意見を自らが善と考える方向に変更させる作業に参加できるのです。
Horsemen", published in Great Britain in 2019 by Bantam Press
3. もう一人の horsemen である Sam Harris はジカ熱のウィルスが胎児を小頭症にすることを取り上げ宗教の悪を暴きます。
[原文 3-1] The facts of a single case dismantle whole libraries of theological hairsplitting and casuistry. And yet the horror compounds. Picture the woman noticing the welt on her arm the next morning - just a minor annoyance in a life soon to be filled with tragedy. Perhaps she's heard reports of Zika and knows how the virus is spread. Her prayers now acquire a special fervour. To what end? Can the consolations of a faith so utterly misplaced outweigh the irony of worshipping a deity this impotent or evil -- or, indeed, imaginary?
[和訳 3-1] これからお話しするのは、一つの事件にまつわる幾つかの事実が、膨大なまでに積み上がった宗教の教義という建前ながら、その全てが些細で重要性に乏しいとしか言えない、そのようなものを打ち砕いたという出来事です。些末事、重要性に乏しいと言いましたが、ここに存在した恐怖は話の後にも撚りあわされ大きく膨れ上がります。ある日の朝、目覚めた女性が自分の腕の肌に、小さな膨らみがあるのに気づきます。この話のシーンを頭に思い描いてください。日常に起こった僅かな気がかりです。しかしこれがやがて彼女の日常を埋め尽くしてしまう一大悲劇に発展します。ジカ熱の話ですが、それがどのようなものか、どういう経路でウィルスが身体に取り付くのかなど、この日までに彼女の耳にも届いていたかもしれません。彼女のお祈りには、今や特別の熱意・願いが込められています。このお祈りは一体何を期待しているものでしょうか? 驚くほど完璧に祈りを捧げる相手を選び損ねたどこぞの神への信仰がもたらす癒しにすがっているのです。このような癒しに、これほどまでの無能、これほどまでの邪悪であるこの神を崇め祭るという皮肉(理不尽)を上回る(皮肉を帳消しにできる程の)価値があるのでしょうか?
Horsemen", published in Great Britain in 2019 by Bantam Press
[原文 3-2] In the absence of God, we find true sources of hope and consolation. Art, literature, sport, philosophy - along with other forms of creativity and contemplation - do not require ignorance or lies to be enjoyed. And then there is science - which, apart from its intrinsic rewards, will be the true source of mercy in the present case. When a vaccine or a cure for Zika is finally found, preventing untold misery and death, will the faithful thank God for it?
No doubt they will. And so these conversations must continue . . .
[和訳 3-2] 神のいない状況の下でこそ、我々は希望を抱き安らぎを感じることを是とする根拠、本当の(理に適った)根拠を見出します。芸術、文学、スポーツ、哲学ーー更にはこれら以外の創造的であるもの、思索・瞑想の行為も含めてですが、これらは人間をして喜びを得るためには当人が無知であること、虚偽に依存することを求めたりしません。ここで言う根拠としては、前述のもの以外にも科学があります。科学にはその本質として存在する成果・報酬は別として、今回の例にあっては恵みを生み出す源泉として存在できる可能性があります。ジカ熱のワクチンあるいは治療法・治療薬がやがて見つかることでしょう。言葉にすることが不能なまでの悲惨や死を押し止める方策です。そんなことが現実になった暁には、信仰を続ける人たち、彼らは自分たちの神に感謝を捧げるのでしょうか?
疑う余地はありません。彼らは感謝を捧げることでしょう。そのようなことであるからこそ、彼らに向けたこの種の語り掛けはこれからも継続させねばなりません。
Horsemen", published in Great Britain in 2019 by Bantam Press
4. 三人それぞれのエッセイ、言葉は違えど、いずれの文章からも伝わりくるのは彼らの焦りです。
今となっては、自分たちの命、これがついえるまで長くないという現実が自分たちをここまで焦らせるのだと言わんばかりです。
現に4人の Horsemen の内、Hitchens は 2011 年に、そして、Dennett 氏は 2024 年に亡くなられています。原文 3-2 として示した文章の最終行がその一例です。Sam Harris のこのエッセイの中には次の引用のごとく、この焦りが所々に露呈しています。
彼は、例えそれが自分自身の命の尽きた世界においてであったとしても、人々が宗教を脱ぎ捨てる日の到来せんことを願っています。
[原文 4] I, too, miss Hitch, But I will resist the temptation to offer further eulogy here. After all, the time will come when the rest of us have also left the stage. However, it seems that a record of our conversation will remain. We filmed it almost as an afterthought. I'm very glad we did.
[和訳 4] 私自身もヒッチが居なくなったことが残念でなりません。しかし、このエッセイに彼への追悼文を持ち込むことは止めておこうと思います。何をしようとも、今残されている私たち全員が舞台から消え去ってしまったという時はやがて到来するのです。そうではあっても、私たちが行った討論会の記録があってその後にも存在し続けることになりそうなのです。私たちは討論会がいよいよ始まる時になってようやく録画するという案に思い至ったのでした。今となって、録画しておいたこと本当に良かったと喜んでいます。
Horsemen", published in Great Britain in 2019 by Bantam Press
5. 三人それぞれのエッセイから強烈な印象を残す一節を選んで再読します。
[原文 5]
Richard Dawkins:
Science is often accused of arrogantly claiming to know everything, but the barb is capaciously wide of the mark.
Daniel C Dennett:
Any who search the transcription of our discussion for either a monolithic shared creed or a contradiction suppressed for political reasons will come up empty-handed.
Sam Harris:
Is there a distinction between believing things for good reasons and believing them for bad ones?
[和訳 5]
リチャート・ドーキンス: 科学は「何もかも全てを知っているなどと偉そうに主張する(がそんなことはない)」といって非難されることが良くあります。しかし、科学がそれに違反する人を見つけ捕らえるために用いる捕獲網の目は、捕獲対象のサイズに比して、広く大きいのです。
《これは宗教的支配者が国民を監視強制する網目は非常に細かいのと対照的だの意。》
ダニエル・C・デネット: 私たちの討論会の記録音声を文字化した文章をお読みいただける方への忠告です。もし私たち討論会のメンバーに共有される一塊の岩盤を見つけよう、あるいは政治的な目的(政策)を達成する為に互いが譲り合ったなと思わせるような個々の主張における内部矛盾を見つけようと意気込まれていても、その種の「獲物」は見つかりはしませんよ。
サム・ハリス: 論理に適った理由・事柄に基づき何かを信じることと論理に従わない理由・事柄に基づき何かを信じることとの間には違いがあるのですか?
《「これらの間の違いが不明だとする相手にアゼイスト(無神論者)はどう戦えるのでしょうか、前途多難です」の意味だと私は理解します。》
published in Great Britain in 2019 by Bantam Press
6. Study Notes の無償公開
今回の読書対象とした部分、"The Four Horsemen" The Discussion that Sparked an Atheist Revolution の Pages 27 - 38 に対応する Study Notes を無償公開します。