25回目 "The Old System" by Saul Bellow を2回で読みます。1920年頃と思われれる東部アメリカ、カナダにも近い田舎の生活の1シーンが印象的です。 'Saul Bellow Collected Stories', a Penguin book より。
タイトル画像の地図写真はWikipediaから拝借しています。
[観点 A]見知らぬ土地の見知らぬ人々が私にも共通する迷いを抱えて生きていた。
A-1) モホーク川の流域の町での1920年頃と思われる生活の1シーン
土曜日、昼の時刻になって起き出しコーヒーを飲みながら考えを巡らせている博士のブラウン氏。今度はプラタナスの木を思い出します。老境にさしかかったブラウン博士が思い起こした50年程も以前、本人が7才の頃の暮しの1シーンです。
[原文1]< Lines from the last line on page 91 to line 5 on page 92 >
Now Braun remembered certain things. A sycamore tree beside the Mohawk River. Then the river couldn’t have been so foul. Its color, anyhow, was green, and it was powerful and dark, an easy, level force—crimped, green, blackish, glassy. A huge tree like a complicated event, with much splitting and thick chalky extensions. It must have dominated an acre, brown and white. And well away from the leaves, on a dead branch, sat a gray-and-blue fish hawk.
[和訳1]今度はある事柄を思い出したのでした。一本のプラタナスの木です。モホーク川の堤にありました。当時、この川は今のような不快な臭いなどなかったはずです。何故だったのか、その流れの色は緑色で暗くくすんでいました。流れには力がみなぎっていて黒かったというイメージがあります。荒れ狂う力ではなく優しく一定の速さで流れていました。――この川はここで大きく湾曲するのです。緑色で黒味がかっていてその川面は鏡のようでした。このプラタナスは様々な出来事を乗り越えてきたことを思わせる複雑な姿をした巨大な一本立の木でした。歪みや変形、幾つもの裂け目、そして白く変色したでっぱりがありました。周りの茶色と白の大地、その1エーカーを支配下に治めているようです。その木の葉の群れから突き出た枯れ枝には魚を捕えて生きる、灰色と青色を帯びた鷹が止まっています。
[原文2]< Lines 5-14 on page 92 >
Isaac and his little cousin Braun passed in the wagon--the old coarse-tailed horse walking, the steady head in blinders, working onward. Braun, seven years old, wore a gray shirt with large bone buttons and had a short summer haircut. Isaac was dressed in work clothes, for in those days the Brauns were in the secondhand business--furniture, carpets, stoves, beds. His senior by fifteen years, Isaac had a mature business face. Born to be a man, in the direct Old Testament sense, as that bird on the sycamore was born to fish in water. Isaac, when he had come to America, was still a child. Nevertheless his old-country Jewish dignity was very firm and strong.
[和訳2]イサックと彼の幼い従弟が荷馬車を操ってここを通りかかったのでした。汚れて擦り切れた尻尾の老いぼれ馬が遮眼帯をつけられ黙々と前に歩を進めその荷馬車を引いているのです。7才のブラウン少年は大きな獣骨のボタンがついた灰色のシャツを着ていました。髪の毛は夏用に短く整えられています。一方、イサックはというと仕事用のきちっとした服で身を整えていました。イサックの家族、ブラウン家は中古品の販売を家業としていたのでした。家具類、カーペット、ストーブ、寝台などです。ブラウン少年より15才年上のイサックは大人っぽい商売人そのものの顔をしていました。彼は生まれた時から旧約聖書に書かれた言葉そのままが当てはまる意味での男になることが決まっていたかのようでした。当に、プラタナスの木に止まっているあの鳥が水の中に住む魚を捕獲して生きると決まっていたのと同じです。イサックがアメリカに移り住んで来たのはまだ子供のときでした。それにも拘らず、それまでいた田舎の土地に根を下ろしていたユダヤ人の威厳はこの少年に強く染み付き、大きな影響を及ぼすことになったのでした。
A-2) 15才年上の従兄イサックが「旧くからの慣行・社会の決まり "The Old System" の典型であることが示唆されます。
[原文2]の直ぐ後には「それにも拘らず彼の出身地のユダヤ人社会に根付いていた彼の社会に特有の威厳は打ち壊し難くて(firmであって)強大な(strongな)影響力をもっていました。すなわち移り住んできて、新しい世界・社会を前にしているのに、旧い時代から変わらないものの見方を持って生き抜こうとしたのでした。」とつづき、この短編の話が展開し始めます。
私が持っているユダヤ人へのイメージは、古代から迫害をうけ、ナチスに苦しめられて苦しい生活に追いやられたという要素ではなく、上記引用文につづいて出てくるユダヤ人の家族観「幾つものテント・シェルターと複数頭の雌牛、そして(働きまわる)何人もの妻、何人もの女使用人、何人もの男使用人で構成される一団の家族」が暗示する要素の方が大きいのです。第二次大戦の話やアンネ・フランクの話に同情を寄せるだけに止まらないで、オーストリアに中心をおいて、ハプスブルグ帝国の王家にも影響力を行使した銀行組織であった、社会を支配する人々の集団にこそ目を向け私たちが生きていく上での哲学を考えたいとの考えを改めて確認し、関心を持ち続けたいと思います。
A-3) 従兄イサックの二人の弟、マットとアーロン、そして妹、ティナが何処にでも居そうな人物で面白いのです。
マットは硫黄島の戦闘で怪我をして帰国したものの、しばらくの病院暮しで快復し、ニュー・ヨーク州の北部の田舎町で電器店を成功裏に営んでいました。アーロンは公認会計士として稼ぎ、一生を独身貴族として過ごし(訂正6月23日)ました。ティナは子供の時からの反抗心むき出しで、しかしそれ故に学校の成績の悪さを補う負けん気を発揮し、自分の夫を煽てかばって父の古物商を引継ぎ発展させました。長男のイサックは所得額の算出に関わる資産評価の甘さにつけ込み不動産業で産をなし、ショッピング・センターを起業、町の盟主になります。ティナは自身が病に陥り死の間際にまできてようやくに、「人は何の為に生きるのか」の教訓をイサックに気付かせることで、一生背負い続けた長兄イサックへの劣等感・反抗心を成功裏に晴らすのです。1960年代の社会問題であった家庭からの汚物排水がモホーク川を黄色に汚染する話もあります。
[観点 B] 読解力への挑戦 =短篇冒頭部分=
物語の土台となる登場人物の素性・哲学を示してその後の展開を準備する部分なのですが、私にはその理解が結構ややこしかった部分です。
[原文3]< Lines 1-9 on Page 90 >
It was a thoughtful day for Dr. Braun. Winter. Saturday. The short end of December. He was alone in his apartment and wake late, lying in bed until noon, in the room kept very dark, working with a thought--a feeling: Now you see it, now you don't. Now a content, now a vacancy. Now an important individual, a force, a necessary existence; suddenly nothing. A frame without a picture, a mirror with missing glass. The feeling of necessary existence might be the aggressive, instinctive vitality we share with a dog or an ape. The difference being in the power of the mind or spirit to declare I am. Plus the inevitable inference I am not. Dr. Braun was no more pleased with being than with its opposite.
[和訳3]博士のブラウン氏にとってこの日は考えることの多い一日でした。冬、12月も残りわずかになった土曜日でした。目を覚ましたものの遅い朝で、まもなく12時という時刻なのに、集合住宅の自室の自分のベッドに一人でまだ横たわっていました。部屋は、外の光が遮られていて暗くなっていたのですが、ある一つのことに考えを集中していました。知覚(頭での捉え方)とでもいうべきものについて考えていたのでした。それは、ある時には分かると思えても次の一瞬には何であったのか分からなくなる、ある瞬間に実質のあるものと思えても次の瞬間には実質が無いものに思える類の知覚です。何かの一瞬に、重要な人物だ、権威だ、不可欠だと思えても別の一瞬にはどうでもよいものに思えるのでした。絵が抜け落ちた額縁、ガラスが抜け落ちた鏡です。必要な実在・実存の知覚とは私たち人間に限らずイヌやサルでも持ち合わせている攻撃的・本能的な活力であるのかも知れません。人間とイヌ・サルの間に存在する差異は「これが自分だ」と主張する意志や魂の力にあるのでしょうか。こう主張することで必然的に意味することになる「これは自分でない」との主張も含まれるのですが。博士のブラウン氏は以前とは異なりもはや自分はどうだとか自分はそうでないとかの事情に無頓着になってしまっていました。
[Study Notes - Part 1 の無償公開]
The Old System を前半と後半の2回で読むことにし、その一回目です。私の "Study Notes Part 1" としてここに原書 90 頁から 102 頁に対応する部分をダウンロード・ファイルを公開します。