Simpson が率いる取材チームは中心的メンバーだけで7人。最初の拠点として選んだ Arbil の町のホテルでは 25 才のクルド人を通訳として雇います。この7人の一人が Commander Nariman です。Nariman は Saddam が支配するイラクから自治権を獲得した Kurdistan と称される「国」、クルド人を中心につくられた「国」の軍隊の一部隊を指揮する指揮官です。Simpson の取材チームはこのクルド人部隊にぶら下がるようにして戦闘地域を移動します。
Marines と呼ばれる米軍海兵隊がイラク軍を壊滅させる作戦の主役を務めています。しかし、ここ、Baghdad の北 150 キロ前後の地域では米軍の特殊部隊(比較的少人数ながら professional な軍人で構成されている)がこのクルド人部隊と共同で Saddam の兵士たちを追い立てています。
1. イラク戦争の現場を自身の目と耳と足で体験した Simpson は、欧米のメディアが伝えるそれには満足できません。
Baghdad 市内に建っていた Saddam の立像が引き倒され、Saddam 支配の終焉を象徴する事件として世界中に報じられたのですが、別の出来事をして、これこそ Saddam 支配の終焉を象徴する事件と言うべきだと Simpson は主張します。
2. Simpson は、アルジャジーラなる「報道組織」の姿勢をアメリカのメディアと比較し、評価検討します。
「あの手この手を駆使して、弱い立場にある人々を救う手立てを見つけることでしかこの現実を克服する道はない。」「正義が悪を懲らしめ、悪を駆逐すると考えるのはこの困難への対策として適切ではない。」と、Simpson は主張しているようです。
上記した引用部分、[原文 1]と[原文 2-1][原文 2-2]はサダームが大統領として仕事をした宮殿に向けた米軍の攻撃を、一つはパレスティン・ホテルの一室にいるラゲー・オマール(BBCの記者)の立場から、もう一つはアル‐ジャジーラ社の事務所にいるタリク・アユーブ記者の立場から描いています。この一瞬を二つの場所から描いていることに「気付かず読み流しては」見落としたでは済まされない大切な箇所です。(タイトル・バナー写真の正面の大きな建物がこの宮殿です。)
3. Simpson にとって辛うじて容認できる武力で生きる人たちに向けた「承認・感謝の表現」
筋肉もりもり、マッチョといった特質を恐れる・嫌がるのが Simpson の特質です。そんな彼が、治安を保つ警察が不在のイラクの街々を取材して移動するのですが、クルディスタンの兵士から選りすぐられた5人の護衛兵が提供された結果、可能になったのでした。
イラク兵士が追い払われて40時間と経っていないティクリットの町に踏み込みます。北の方からやってきた Simpson チームはティグリス川に架かる橋を渡ることでこの町に這入ります。早速米軍兵の検問、護衛兵が携行していた武器の差し出しも求められるのです。護衛兵は記者たちが乗った車の後ろから別の一台で追尾するように走って来たのでした。
Simpson、町に着くや否や取材の段取りに集中していました。その一瞬の隙に、護衛兵の一人が路面に引き倒され、その上、首を後ろから米兵の靴で地面に踏み着けられ殺されかけているのに気付きます。一大事です。
米兵たちにはアラブ人の言葉は通じません。通訳もいません。取材陣とクルディスタン軍人グループとの間を取り持ってくれていたのはクルディスタン政府の要人の親族で英語もできました。彼の名前は Hiwa です。しかし何人もいる海兵隊員個々が行う護衛兵とのやり取りは同時多発的に進行するもので通訳するなど不可能です。米兵にはこの種衛兵とサダームの残存兵との区別が出来ていません。
4. Study Notes の無償公開
例によって今回の読書部分 Pages 334 - 392 に対応する私の Study Notes を公開します。A-5 サイズ用紙両面印刷すると Stapler で左閉じ冊子を作成できます。ご利用いただければ幸いです。