春の朝、ベランダで
春の朝、ベランダで
深夜のワンルーム。
開け放たれた窓から入ってくるそよ風が、息も詰まる静けさを和らげてくれる。
ソファにもたれている女。
虚空を見つめている。
風を感じているのだ。
女 ……。
「がちゃ」という音。
男が帰ってきたらしい。
男 ただいまー。
女 ……。
どたどたという足音をたてて男が部屋へ。
男 あれ。
女 あ、お帰り。
男 健吾は?(ビニール袋を渡して)
女 帰った。(財布を出そうとして)
男 なんだ結局帰ったのか。(テーブルの上のごみを片付け始める)
女 いくら?
男 いいよいいよ。
女 だめだよ。
男 いいよ、たかがチョコレートの一つや二つ。
女 たかがとはなんだ。
男 じゃ二百円。
女 いいの。二百円で。
男 いいよ。
女 あ、待って。
男 え。
女 おぬし何してんの。
男 おぬし。
女 まだ片付けないでよ。(二百円を渡して)
男 あぁ。え、空だよこれ。
女 だって、もう帰って欲しいみたい。
男 え。
女 あーあ。ショック。
男 思ってないよそんなこと。帰って欲しいなんて。
女 すぐそうやって日常に戻そうとする。
男 こういうのは立ってるついでにやらないと駄目なの。
女、チョコレートを食う。
女 タッテルついでにヤラナキャか、やらしい男め。
男、キッチンの方に去る。
男 (戻ってきて)はい、水。
女 ん。(チョコ)食べる?
男 いい。
男、ソファに寝そべる。
女 昨日さ、
男 ああ、どうだったの。
女 あの人先に一人で寝ちゃってさ。
男 え、
女 生理きちゃって。私。
男 あー。
女 おやすみって。黙って一人で。ホテルついてすぐ、まだ10時だよ。
男 えー。
女 私が悪いのこれ。
男 いやそんなことないよ。それはないよ。だって、
女 あれ、水は?
男、コップの水を飲んでいた。
男 え。あ、欲しいの。
女 今くれたんじゃないの。
男 ごめんごめん。いらないのかと思った。
男、再びキッチンへ去る。
女 で、なに。
男 (声)えー?
女 だって、なに。
男 (声)だって、
男、コップを持って現れる。
男 だって、……どうしようもなくない。
女 そりゃそうだよ。(コップを受け取り)ありがとう。どうしようもないよ。
男 怒っていいよそれは。
女 どうやって。
男 どうやってって。こらあ、って。寝てんじゃねえって。
女 ……でも別に怒ってるわけじゃないんだよ。
男 悲しい。
女 悲しいっていうか、分からないの。
男 分からない。
女 不思議なの。
男 予告なく来る生理に。
女 そしてそれに対する彼の反応に。
男 あー。
女 ねえほんとに要らない?これおいしいよ。
男 いい。おれ甘いものだめなの。
女 寒い?
男、毛布にくるまっていた。
男 うん。
女 窓閉める。
男 え、開いてるの。
女 うん。
男 え、なんで。
女 開けた。
男 え、なんで。
女 酔いを醒まそうと思って。
男 だって暖房、
女 切ったよちゃんと。
男 あ、切れてる。いや、そういう問題じゃなくて、
女、窓を閉める。
男 ほら、ほら戻そうとしてるじゃん自分も。日常に。
女 え、なにが。
男 酔いを戻す。
女 これは違うよ。
男 違わないよ。
女 これはイベント。ギリギリまで酔いつぶれて、明け方に酔いを醒ますっていうイベント。
男 なんだそりゃ。
女 日常に戻すって言うのは
男 帰るんかい。
女 ごちそうさまでした。
女、そそくさと荷物をまとめて。
女 何もなくて良かった。
男 え。
女 期待してた?
男 しないよ。
女 男2人がかりでせめられたら血まみれになっちゃうね。
男 いいから、早く帰りなさい。
女 ショック。
男 おやすみ。
女 おはようだよもう。
男 じゃあおはよう。
女 さようなら。
女、去る。
男 ……。
男、窓を開けて。
男 あら、
男、ベランダに出る。
男 (ライターを手に)忘れてるし。
男、部屋の電気を消してみる。
男、ライターの火をつける。
火が、男の顔を照らす。
風で火は揺れる。
男 火にも温度がある。火によって温度がある。燃えてるのは一緒なのに。不思議だ。
男、空を見る。
男 あの星の温度は、
男、火を消した。
男 寒いな。
「がちゃ」と言う音。
まっくらな闇。
おしまい。