映画表現のスタイル「リアリズムかフォーマリズムか」について
今回は映画表現のスタイル「リアリズムかフォーマリズムか」について。
結論から言うと、多くのフィクション映画はリアリズムとフォーマリズムの中間にある、です。
リアリズムとは、フォーマリズムとはどういう表現スタイルなのかー、ザックリ理解するとともに、代表的な映画をピックアップしておきましょう。
その前に、このコラム『批評を独学する』の教本でもある『Viewing Film 映画のどこをどう読むか』(ドナルド・リチー・著)のはじめにの要約を。迷ったら、行き詰ったらこれを読め!
映画表現におけるリアリズムとは
映画表現におけるリアリズム、そのスタイルの特徴には、
①きちんと組み立てられた筋のある物語を回避
②ワンシーン=ワンショットやディープフォーカスのようなドキュメンタリー的映像形式
③スタジオのセットよりも実際の現場を使用
④ノンプロフェッショナルの役者を起用
⑤文学的対話を避ける砕けた話法
⑥簡素な「形式なき」形式 編集、カメラ動作、照明などによる操作を回避(モンタージュを批判)
などがある。
リアリズム論といえばこの人、アンドレ・バザン(1918ー58年)
フランスの映画批評家で自ら創刊した『カイエ・デュ・シネマ』で「作家主義」を提唱した。バザンは「映画の美学は現実を明らかにするリアリズムであるべきだ」と。
ヌーヴェルヴァーグの生みの親的存在で、ルノワール、ブレッソン(『田舎司祭の日記』)、コクトー、ロッセリーニ(『無防備都市』『戦火のかなた』)らを支持。アメリカでもオーソン・ウェルズ(『市民ケーン』)を高く評価した。
リアリズムを超ザックリ理解するならば、「客観性」でしょうか。
映画の技術革新は、リアリズムの理想に近づく後押しとなった、ともいわれています。
映画表現におけるフォーマリズムとは
一方、フォーマリズムとは「主観的」な表現。
カメラワークや構図、編集など、象徴表現を重視。抽象的、前衛的。
ルドルフ・アルンハイム(1904ー2007年)は、カメラの目と人間の目とでは、近く認識のされ方が違っている、と心理学的に分析。ミザンセヌ*の中で視点や対象を操作できる、と。
*(映画における)ミザンセヌとは
カメラに映るものすべて、構図や時間や情報など、意味を伝えるあらゆるもの。
例えば暴力のシーンであれば、斜めやジグザグなど不均衡な構図、クローズアップ、極端なアングル、攻撃的な色、どぎついコントラスト、動き、大声で早口な対話、耳障りな効果音、甲高い音楽などで演出する。
こうした要素、断片がどのように組織し、その組織したものが見る人にどのように作用するかが考えられた。その結果のひとつがソビエト・モンタージュ理論である。
ソビエト・モンタージュ理論とは
形式や現実を美的に訴える様式へと再構成。モンタージュを映画芸術の基礎としクローズアップを多用。ショットのつなぎによって一つの「効果」をもったシーンを作る。この「効果」が当時の社会主義政権のプロパガンダに利用された。
エイゼンシュテイン(1898-1948年)による弁証法的モンタージュの有名な例が、映画『戦艦ポチョムキン』オデッサの階段のシーン。
帝政ロシアのコサック騎兵による市民の大虐殺を、明と暗、縦と横、長と短、クローズとロング(ショット)、動きのないセットと移動のショットを並置して表現した。
「リアリズムかフォーマリズムか」 多くのフィクション映画はこの中間にある
この2つの表現はどちらが優れているというものでもなく、あくまでも表現の違いと理解。
ちょっとわかりずらいが、「リアリティ」=「リアリズム」ではない。「リアリティ」はフォーマリズムにも存在する。フォーマリズムというスタイルによってリアリティを表現しようとしている。
今回はここまで。