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当事者じゃなければいけないのか/読書文化のマチズモを体感/アクション映画じゃなかった
2023年7月24日
芥川賞を受賞した市川沙央さんによる問題提起の話題。
先天性ミオパチーによって身体に重度の障害を持つ自身を投影した小説『ハンチバック』。その中で市川さんは ”読書のバリアフリー” ”読書文化のマチズモ” に触れている。
厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。<中略>その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。
さらに受賞記者会見では、「重度障害者の受賞者も作品も『初』だと書かれるでしょうが、どうしてそれが2023年にもなって初めてなのか、みなさんに考えてもらいたい」と。
この指摘に頭をぶん殴られたような気がした。障害を持つ人の紙の本を読むことの困難さなど想像したこともなかった。健常者に比べ障害者は文学に触れる機会も少なく障壁も多い。そのことに気づかせた受賞の意義はとても大きいと思った。
が、一方Twitterでのこんな意見も気になった。
芥川賞における当事者が当事者を描いた作品の持て囃しが現代文学をつまらなくしている一因と。ここだけ読むと今回の受賞への厳しい批判にもとれるが、一連のツイートの先には ”「作者」の神格化から「当事者」の神格化にかわっただけ” とあった。
ちょっと前に批評を勉強したくなっていくつかの本を読んだ。その中で批評には「型」があることを知った。「作家論」「作品論」というのもその型の一つ。このツイートの指摘は、ロラン・バルトの ”作者の死” に通じる話じゃないか、とおぼろげながら思い出した。
当事者表象が文学をつまらなくしているわけではなく、当事者表象だけに価値を置くような芥川賞のあり方に異を唱えたと思われるこの意見。たしかにな、と思った。
映画でも障害者は障害者が、LGBTQはLGBTQの当事者が演じるべき、という意見は多い。当事者でない役者のキャスティングには批判が集まり、結果降板するという事態も。(参考サイト:障がい者/LGBTQ+の役、誰が演じるべき?:英米映画界の論争 )
「当事者じゃなければいけない」は、一方では文学や映画をつまらないものにしてしまうのではないだろうか。
最終的に面白いかどうかは読む人、見る人それぞれなので批評とは切り離して考えるべき。とにかく『ハンチバック』を読まねば。
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と思い、ネットを見漁っているうちにお試しで冒頭8000字ほど読んでしまった。なるほど面白い。勢いのある文体に引き込まれる。
が、この小説は90ページほどとかなり短い。単行本を買うのは懐具合的にはー、と考えた結果、いい機会なのでAudible(オーディオブック)を試してみることにした。
まずは『ハンチバック』自体の感想を。
面白い。障害を持つ人の身体感覚の描写は読ませる力がある。かなりシニカルに”今”を切り取る視点も好き。
が、あの終章には戸惑った。そこまで当事者表象として読んできた話をひっくり返すような、返さないような。あれは何だったのだろう。
もしかしてAudibleだから理解できなかったのか?
初Audibleの感想は、1倍速では自分で読むよりも時間がかかる。1.5倍速くらいでちょうどいい気もするけれど、人の声に圧迫感を感じてしまう。文学作品、特に純文学には向かないな、と思った。
「やっぱ、文学は紙で読まないと」と、思ったときにハッとした。
「耳で聴くのがしっくりこないから、目で読んだほうがイイ」と、自分の身体機能に別の選択肢があること当たり前に思っている傲慢さを痛感。まさに読書文化のマチズモじゃないか、あれほど身体がままならない世界線を見せられてもこうか、と。
『ハンチバック』の話題がなければAudibleを体験することもなかったかもしれないし、Audibleで聴かなければこのことに気が付かなかったかもしれない。とても貴重な経験だった。
Audibleでは後日ジェーン・スーさんのエッセイ『きれいになりたい気がしてきた』を視聴。読み手は堀井美香さん。ラジオを聞いているような快適さを実感した。個人的にはエッセイ、ノンフィクションで利用したい。
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変わって映画の話題です。
先週「ない、ない」と言っていたやる気もちょっと出てきたので景気づけ(?)に推しのスクート・マクネイリー出演の未視聴作『アフターマス』を見る。
シュワルツェネッガー主演、パケ写的にコレはアクション映画だと思っていた。シュワ演じるベテラン機長がハイジャック犯と戦う。マクネイリーはその機長をサポートする重要な役割でー。
ぜーんぜん違ってた。
まず、シュワは機長じゃない。飛行機にも乗らない。マクネイリーは航空管制官でー。
あとから見たらパッケージにもWikにもちゃんとあらすじが書いてあった。けれども、こうしたものにできるだけ触れないようにして映画を見たい。これもまたヨシとしよう。
マクネイリーは今回もかなりの被虐感があってイイ!
◆後日書いたレビューはこちら
被虐感といえば、先日見た映画『バイオレント・サタデー』(1983年)のジョン・ハートの被虐っぷりがドストライク!
この話はまた別の機会に。