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Kaiserreich進捗報告124 エストニア、ラトビア、リトアニア
(原文はこちらから)
やあみんな、色々言われてきた東欧諸国のアップデートも完成に近づき、次はエストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシが更新される。ポーランドとウクライナはまだ完成していないので、また別の機会にリリースする。
これから見せるバルト諸国の紹介を書いてくれたのはCodyだ。Codyはかなりの時間を費やして、これまでに東欧諸国のリワーク、特にウクライナのリワークに大きく貢献してくれた。だから最初にCodyへの感謝を捧げたい。あまり時間がない中でこの進捗状況を書いてくれた。
それでは前置きはこれくらいにして、次のアップデートのバルトの三姉妹(あるいはバルトの姉妹とフィン=ウゴルの親戚?)の内容を見てみよう。あと1~2日でリリースされる。
今回は前回と前々回にわたって書いた、バルト三国についての進捗状況の続きだ。
エストニア共和国
バルト連合公国が完全崩壊すると、その中から1918年に独立を宣言した第一次共和国の栄光を引き継いだ国、第二次エストニア共和国が生まれる。エストニア人は二度目の独立宣言に惹かれて世界中から集まってくる。今度は外国によって破壊されることはないはずだ。
初期のエストニアの国民精神。前ver.から引き続いて「すべての道はリガに通ず」と新たに「農業問題」の国家精神を有している。国家元首のアルトゥル・シルクは史実エストニアの弁護士・極右活動家。独立戦争退役軍人中央同盟、通称ヴァップス運動を率いてエストニアの行政権強化、世界恐慌後の社会不安解決を唱えた。今後のバニラアップデートでもエストニアのファシスト指導者として登場する。
亡命先から帰還するエストニア人たち。しかしシルクは権威主義な人物で、生まれたばかりの民主主義は脅威に晒されている。
エストニアを率いるのはアルトゥル・シルクだ。シルクはカリスマ的な人物だが、同時に権威主義的な指導者としても有名で、エストニアを父権的・保守的な民族主義国家にして、政治分裂も極力無くそうとしている。独立戦争を戦った経験もあるシルクは、亡命中の1930年にエストニア亡命政府の首班に選ばれている。
エストニアは開始時に二つの国民精神を持っている。一つ目の国民精神はラトビアも持っている「全ての道はリガに通ず」だ。エストニアは(そしてラトビアも)ドイツの根強い影響力と対峙していて、バルトの産業・インフラの中心地であるリガを奪われている。それとは対照的に、二つ目の国民精神はエストニア独自のもので、国内の土地所有問題を示している。この中には農地改革、バルト・ドイツ人をどう扱うかといった問題も含まれている。
ただどのルートを選ぶにしても、エストニアの初期の統治は比較的安定している。リトアニア暫定国民委員会に所属する全ての主要派閥は、三つの大きな政策で合致しているからだ。
それとは対照的に、自警団(Omakaitse)改革の方針については意見が分かれる。シルクは軍隊から独立した手駒として残しておきたく、ヤーン・トニッソン率いる民族戦線や、ユリ・ウルオツの愛国連盟は新生エストニア軍に編入しようとしている。
シルクとは対照的に、トニッソンの民族戦線は立憲・議会・民主体制を信奉している。そしてウルオツの愛国連盟は両者の「中間」の立場にあり、コーポラティズム的な行政府の強化を目指しているが、その一方で文民によるある程度の監視と議会の権限にも賛同している。
自警団政策についての議論が進むにつれ、シルクは賭けに出て、自身の権力を固めようとする。
ヴァップス運動による議会の「警護」
シルクは結成されたばかりのヴァップス運動を利用して国民投票を実施し、自ら「終生独裁官」になろうとする。このルートでは、エストニアは権威主義的・民族主義的な国家になる。
もちろん、こんなことをすればシルクは野党の「最大の敵」になってしまうだろう。野党はヴァップス運動の支配を覆そうとする。
サークへの辞任要求
その後のイベントの選択肢次第で、この闘争には複数のルートに分かれる
アルトゥール・シルクが権力を掌握すれば、彼はエストニアを自給自足国家に変える。野党勢力もいなくなるだろう。
アウタルキーが推進され、経済は政府の大規模介入によって計画化される。
権威主義的な政策によってすべての野党は制限され、国家ぐるみの個人崇拝も行われるだろう。
ウルオツと愛国連盟が権力を握った場合、彼らはエストニアをコーポラティズム共和国に変えようとし、均衡予算と生産割当制を導入する。エストニアの小規模な経済の成長に重点が置き、エストニアをもっと力のある「プレイヤー」にしようとする。
史実のユリ・ウルオツは第一次エストニア共和国最後の首相。ソ連占領後も生き延び、ナチス占領下で抵抗運動に参加した。1944年のソ連再占領後に新内閣を発足したがメンバーは全員逮捕され、自らはスウェーデンに亡命した。
最後に、トニッソンが指導者になった場合、エストニアは議会制共和国に変わり始める。
ヤーン・トニッソンはエストニアの活動家・政治家。戦前からエストニア民族主義運動で活躍し、独立後もエストニア共和国の第二代・六代首相など数々の閣僚ポストを歴任した。ソ連占領後に逮捕・射殺されたとみられている。
ツリーの序盤で、新たな民主的憲法の内容を決めるイベント群が発生する。そしてイベントの最後に、トニッソンが指導者として残留するか、アウグスト・レイかオットー・ストランドマンが国家元首に就任する。
アウグスト・レイは戦間期に外務大臣・ソ連特使を務め、戦後は亡命政権大統領兼首相の地位にあった。
オットー・ストランドマンはエストニア共和国の初代首相。
この時点で、民主勢力は広く協力して統一戦線を作る。民主制度の保護者となり、エストニア経済を成長させる。1940年になると、社会自由主義や市場自由主義を選出することもできる。
軍事面では二つの選択がある。防御力を高めてドイツやロシア、あるいはその両方から国を守るか、もしくはドイツのくびきからエストニアを解き放ったパルチザン組織「森の兄弟」の戦術を学ぶかだ。
外交政策では、エストニアは帝国協定かモスクワ合意に参加できる。AIが選択する際はエストニアのイデオロギー、それにドイツのイデオロギーやロシアの外交方針によって変わる。可能性は少ないが、スカンジナビア防衛連合や、北欧連邦二も参加できる。ただしこれはフィンランドが北欧連邦に加盟し、エストニアが民主主義ルートを進んでいる場合に限る。
エストニアについては以上!ここでいくつかフレーバーイベントをお見せしよう。
ラトビア
前回も触れたが、ラトビアは隣国のエストニアとは違って、1918年まで統一の独立宣言を出すことができなかった。そのため。ラトビア国家の地位は非常に不安定な状況で始まる。
700年の服属を経て念願の独立を果たしたラトビア。しかし首都のリガをドイツから取り返せておらず、戦いは続いている。
ラトビアの初期国民精神。デバフが目立つ。それぞれ「二重統治」「絶望的状況」「バラバラの経済」「一つの国家、二つの軍隊」「ラトビア人よ、リガを忘れるな!」「すべての道はリガに通ず」
新憲法制定議会が招集され、新国家の政治体制について議論が繰り広げられるが、初期の政府は無力で、実権は二大派閥が握っている。
ラトビアの初期国家精神は6つある。「二重統治」と「危機的状況」は、先述したような二大政治グループによるラトビアの(軍事や政治の)分裂を描いている。「ラトビア人よ、リガを忘れるな!」と「すべての道はリガに通ず」はリガ問題に関するものだ。エストニアにとってのリガは産業やインフラの中心「でしかない」。しかしラトビアにとってのリガとは国家の心臓部だ。そのためリガがラトビアの外にあるという事実は、(政府の権限問題も含めて)ラトビア人に大きな不満を残す。「バラバラの経済」と「一つの国家、二つの軍隊」はラトビア全体の社会分断と経済不況を示している。
エストニアが独立時から比較的安定しているのに対して、ラトビアの状況は正反対といえる。ラトビアにはマントイフェル将軍率いるバルト・ドイツ残党軍が存座している。
マントイフェル将軍率いる旧バルト連合公国公国軍残党がラトビア国内に残っている。もはや山賊状態とはいえ、練度は高く脅威となる。
この危機が将来の戦争のラトビアの政治方針を決定する。ドイツ人師団は憲法制定議会を襲撃しようとするが、ヤーニス・クレリス将軍が「イマンタ連隊」を率いて対処してくれる。だがクレリス将軍を信じている者ばかりではなく、そうした人々はイェーカフス・ペテレス率いる革命軍に助けを求める。
マントイフェル将軍率いるバルト・ドイツ軍が敗北すると、国の指導者をめぐる問題が再び浮上する。しかし今回は二人の人物の間で争われる。クレリス将軍とペテレス議長だ。
クレリスが社会主義者のペテレスに助けを求めてバルト・ドイツ軍に勝利する。しかし勝ったあとでは全く意見の異なるペテレスが邪魔になる。
ヤーニス・クレリスはラトビアの軍人。戦間期に要職を歴任し、第二次世界大戦ではドイツ側に立って「ラトビア人郷土連隊」を指揮して戦った。
イェーカフス・ペテレスはラトビアの左翼活動家。ラトビア独立戦争ではラトビア人ライフル部隊を率いてイスコラト側で戦い、戦後はソ連でチェキストとして活躍した。
クレリス将軍が指導者になると、将軍を長とする内閣が再び制憲議会を開く。ここでは行政府と議会のバランスを決めることが出来る。
議論の結果に応じて、クレリスは権威的民主主義や、「帝王的大統領」の父権的専制主義者になることができる。
どちらのルートでも、クレリス率いるラトビアは経済を重視し、ラトビアの小さな経済の成長を目指す。ラトビア経済は多角化し、農村部と都市の工業化を進める。クレリスは非社会主義系で反ドイツの陣営から支援を得ようとするが、もちろんすべてリガを開放するためだ。軍隊に関して、クレリスは主要国の軍隊のように一元的な指揮系統を導入したり、森の兄弟との協力計画を実施できる。
一方で、ペテレスが新国家の主導権を握った場合、ラトビアはまったく違う国に変わる。ラトビアの革命社会主義者の特徴は、自らを主流のサンディカリストではなく、マルクス=レーニン主義のボルシェヴィキ体制の「後継者」と定めている点だ。
そのためラトビア左派はラトビアでの社会主義育成についてかなり異なる見解を示している。しかし強硬な「正統」社会主義者であっても、パリの修正主義者の圧力によって路線を変更させられる可能性もある。サンディカリストは世界の革命社会主義運動の中で主流派だ。このイデオロギーを、少なくともいくつかの側面だけでも採用するのは有益ではないだろうか?この違いが、ラトビア社会主義ルートの分岐点になる。ただどちらの場合も、ペテレスが指導者になる。
真のボルシェヴィキ主義を貫いた場合、プレイヤーは農村部の集団化、党の集権化、労働者の武装化を推し進める。社会主義ナショナリズム分子も党に吸収される、ラトビア・ボルシェヴィキがますます孤立しているからである。軍も一元化と機械化、大規模計画に家事を進める。
これと対照的に、サンディカリストの理論を取り入れた場合、プレイヤーは労働者の組合化、ラトビア人民のさらなるプロレタリア化を推し進める。世界のサンディカリストの主導国であるフランス・コミューンに倣って、その業績を模倣する。
軍事についてはゲリラ軍を主軸とする。かつてドイツのくびきを断ち切った勢力に倣うのだ。
外交政策について、クレリスのラトビアは中立を志向し、場合によってはモスクワ合意に加盟する。社会主義者はもちろんは武器を取って第三インターナショナルの同志と共に戦う。
リトアニア王国
他のバルト諸国とは違って、南のリトアニアには目新しい要素はない。三つの主要ルートは(社会民主主義・社会保守主義・権威的民主主義)はあまり変わっていない。ただ、いくつか細かい変更点がある。
まず、国家精神ツリーが変わった。前回公開して以来、すべてのルートで内容が大きく変化したからだ。
社会民主主義ルートでは大きな問題に直面する。真の穏健政策を維持するか、それともさらなる革命(あくまで可能性だが)に協力するのか。しかし、注意しておく必要がある。先鋭化は国の不安定化につながりかねない。そして国が不安定になれば、政府の存続も危うくなる。どのような選択を取るにせよ、社会民主派は文化自治を目指し、ラトビアの民族対立を和らげようとする。
社会保守主義ルートも、前回からかなり変わっている。変更後も連邦化と労働者の自主管理を柱とし、それを「Optimal System(最適制)」の言葉でまとめているが、上を見てわかる通り、方針ツリーはかなり刷新・あるいは変更されている。
最後に、アンタナス・スメトナ率いる権威的民主主義ルートは一番大きな変更が加えられている。最大の変更点は「リトアニア化」政策に代わって、リトアニア民族連合政府は「中央集権化」政策を進める点だ。国の自治的な要素を取り除き、スメトナの権力を強化する。
もう一つの大きな変更点として、リトアニア行動主義戦線(LAF)の反乱イベントが実装された。LAFはリトアニア各地の攻撃を仕掛け、規模こそ小さいものの、ディシジョンを使って沈静化しなければならない。リトアニアはLAFを放置しすぎてはいけない。もし戦争まで生き残っていた場合、手遅れになるかもしれない……
LAFが権力を握ると、その統治は凶暴化する。リトアニアはすぐにドイツとの戦争に陥り、ビャウィストクとヴァウカヴィスクが離脱する。リトアニアは生き残るために戦わなくてはならない。
覚えていいないかもしれないが、LAFの国家方針はどこかのタイミングですでに見せている。レイアウトは大きく変わったが、中身はほとんど変わっていない。
最後に、リトアニアの軍事ツリーも大きく変化した。さまざまな軍事改革を進め、ツリーの最終部分では機械化を導入するか、より「伝統的」な大規模計画ドクトリンを採用するかを選ぶことになる。ああもちろん、リトアニア海軍は誰も忘れてはいないよ?やろうと思えば軍事ツリーのよくわからない部分を選択して海軍を発展させることもできる。
そして上記のルートに加えてもう二つルートがあったが、まだ完成していないため公開版からはカットした。しかし将来的には実装する。
東欧リワークチームに大きな感謝を、もうこの国家タグに数年以上も付き合ってくれた。本当にありがとう!
そしてこの進捗状況の作成を手伝ってくれたShinとHamfastにも感謝を。