Kaiserreich進捗状況133 山西軍閥のリワーク
こんにちは!私はSuzuha、KRでは国民党左派のコーダーと山西軍閥の共同リーダーを担当しています。今回ご紹介するの第133回目の報告は、山西軍閥のリワークについてです!同じく共同リーダーにして素晴らしい貢献をしてくれたChiang Kai-Shrek (discord #8873)とともに、このPRを送ります。
いくつかの理由が重なった結果、山西軍閥は最初の中国リワークでもコンテンツの薄い国家タグでした。そのデザインや開発についても、リリースのわずか数か月前に作られたものです。今の山西軍閥は中華統一のTier2になりうるポテンシャルを持ちながら、それに見合ったコンテンツがほとんどない状態が続いています。そのため今回のリワークでは、山西軍閥を有力な中華統一候補に変えることを目標にしました。山西軍閥はその長所と短所をプレイしながら、激動の中国の中でのし上がっていくのです。
この記事には山西軍閥の変更点に加えて、今後計画されている中国の変更点も含まれています。記事中のコンテンツはすべてコーディングが終わってマスタービルドに組み込まれていて、山西を含めた中国コンテンツは次回のアップデートで実装される予定になってます。では前置きはこのくらいにして、山西軍閥の前史、そしてゲーム内容を紹介しましょう!
前史
山西軍閥は中国北西部に位置する勢力だ。その中の通り山西省と陝西省の大半を支配している。中国でもひどく貧しいこの地域は、名目上は閻錫山が率いている。
しかし山西は民族主義と社会主義色を併せ持つ国民軍の残党も抱えており、その指導者が馮玉祥だ。
閻錫山は地元の上流階級に生まれ、やがて日本に留学して士官学校で学んだ。彼はそこで孫文と出会い、当時成長中だった革命運動結社の「中国同盟会」に参加、帰国後は山西省で辛亥革命に加わった。1910年代には山西の軍事(そして事実上民生)を治める都督に就任、それから数十年にわたって山西省を治めつづけ、保守的で権威主義的を統治を敷いているが、同時に穏健であるため民衆の支持を集めている。
馮玉祥は貧しい軍人家庭に生まれ、口減らしのために11歳で軍隊に入った。海外列強の横暴と国内に蔓延する腐敗に怒り、彼もまた辛亥革命に参加した。袁世凱軍の一員として、馮はキリスト教に改宗(彼の信仰とそのニュアンスは山西のコンテンツでより深く掘り下げる)、高い規律と士気を持つ軍隊を育て上げた。その後直隷派に加わると、華北地域で馮軍の規律の高さが有名となり、やがて「国民軍」として知られるようになった。
こうした2人の大丈夫はまたたく間に華北政治の有力人物となった。閻錫山は20年代を通じて安全策を取り、北京の目まぐるしい権力闘争から距離を置いて自治を続けた。
馮玉祥は直隷派に協力して各地の省の指導者を転々としていたが、後に北京政変と呼ばれる賭けに打って出た。馮は張作霖率いる奉天派の力を借りて、北京守備隊の将校二人と協力して曹錕を退陣させた。直隷派は下野し、馮玉祥・張作霖・元安徽派の段祺瑞が協議し、後に広州国民党政府から追い出された孫文が合流するなど、つかの間の平和が訪れた。しかしその後まもなく孫文は亡くなり、三者も決裂、呉佩孚の指揮下で体制を立て直した直隷派によって国民軍は北西部へと追いやられた。
史実と違ってロシア内戦で白軍が勝利したKR世界では、馮玉祥はソビエトからの支援を得られなかった。彼は国民軍を率いて西北地域に逃れ、時期を待った。そして1926年、国民党による北伐でついにチャンスがおとずれた。社会主義色を強め、五原誓師を誓った馮玉祥は正式に国民党とともに北伐に参加した。しかしまたしても負けてしまい、馮と国民軍残党はふたたび這う這うの体で撤退した。同時期の西北では馬族中堅メンバーが率いる回族反乱が激しさを増しており、回族の有力者たちは呉佩孚の黙認を取り付けたうえで、国民軍を西北から放逐した。以来馮は国民党との関係を断然したが、その後も演説やプロパガンダでは孫文の言葉を使い続けた。
1928年、閻錫山は第四次奉直戦争でついに動いた。直隷派が弱体化していると踏んで、張作霖と合流すべく、洛陽に攻撃を仕掛けた。しかしこの作戦はすぐに失敗した。山西軍(太原兵工廠からの潤沢な武器、それに他の軍閥と違って地元住民を中心とした徴兵が強みの軍隊)は練度で勝る直隷軍を相手にすぐに攻めあぐね、粉砕されてしまった。味方の雲南派と奉天派も前進をはばまれ、閻軍はやむなく山岳部に撤退した。最終的に、山西省東部の占領継続、それに清国政府の承認と引き換えに、山西派はようやく呉佩孚と停戦した。
呉佩孚はこの機に国民軍を掃討しようともくろんだが、その動きは失敗に終わった。閻錫山は、もしも呉佩孚が馮玉祥を中国から追放した場合、「自分も馮と手を携えて世界を回る」と広く世間に宣言した。閻と馮は義兄弟の契りを交わし、双方の軍隊が山西省の貧しい山岳部に集結、ここに現在の山西軍閥が誕生した。呉佩孚は両軍との衝突を避け、またより重要な華東地域が手薄になるのを恐れて、しぶしぶ折れた。
こうしてひとつの共生関係が生まれた。馮と国民軍は陝西省延安を根城とし、閻錫山の外交的庇護に頼った。名目上は山西省軍に編入されたが、実際には国民軍は軍事防衛を大きく支配している。省軍と国民軍は今なお事実上独立した組織であり、この大規模すぎる軍隊が中央政府の侵攻に備えて各地の山道を警備している。一方、閻錫山派は省内の内政を支配している。多くの技術官僚や中立寄りの指導者たちは大衆を扇動する革命家の馮玉祥ではなく、より安定して保守的な閻錫山に力を貸しているからだ。
他の軍閥同様、山西軍閥も清/直隷派政府から承認されている。中央政府に近くほとんど包囲されているため、山西軍閥は清国政府の強い経済・軍事的影響下にある。中央政府は重要拠点である山西省東部、それに政治的に重要な都市である延安を押さえるため、閻錫山と馮玉祥が関係を深めないよう細心の注意を払ってはいる。それでも中央は山西を確保しようとしており、省都太原でもその影響ははっきりと感じられる。その一方、閻錫山と馮玉祥は改革を進めようとし、多くの期待を集めた。しかし今でもその一部しか実現できず、ほとんど休止状態にある。停滞感に包まれた山西では、腐敗が蔓延している。1936年現在、華北の勢力争いで最も弱い勢力である山西派は、その支配地域を拡大するとは露ほどにも思われていない。
1936年が始まっても、山西省はいつも通りの年を迎えた。しかし八省連合が内戦状態に陥ったことで全てが変わっていく。ではここから共同リーダーのChiang Kai-Shrekに引き継いでもらいましょう。
序盤
皆さんどうも!Chiang Kai-Shrekです。ここからは山西軍閥の初期から中期までのゲーム内容を紹介します。
山西軍閥の閻錫山と馮玉祥の協力関係で成り立っている。しかし中国情勢は目まぐるしく変わり、二人の関係も試練を受ける。ブラックマンデーが到来し、閻と馮の協力関係が終わると、二人はこれまでの停滞を抜け出し、互いの勢力を競うようになる。
この権力闘争は先日バニラに導入された「勢力均衡」メカニズムで表現され、閻と馮の派閥の影響力を表す。
序盤のNFツリーは5つに分かれている。最初の政治ツリーでは、プレイヤーは省内を安定させ、民衆を孤立主義から目覚めさせ、たしかな将来像を打ち出す。のちに触れるように、山西軍閥では戦争支持率が重要なリソースになる。ゲーム中盤、直隷派と奉天派の戦争が勃発すれば、山西軍閥はあらゆるリソースを導入することになる。もし尽きてしまえば、史実の中原大戦のようにあっけなく破れてしまう。最近大臣システムに代わって実装された政治顧問も、プレイヤーの改革を大いに支えてくれるだろう。
ツリーの真ん中は「十ヵ年計画」ツリーになっている。これは第四次奉直戦争と北伐でそれぞれ苦汁を舐めた閻と馮が協力して作りあげた包括的経済構想だ。もともとは中国でも貧しい山西省・陝西省の問題解消(そして直隷派からの経済的独立)をめざして構想されていたが、八省連合の崩壊によって、閻と馮はそれぞれ北京へのリベンジマッチの足がかりとしてこの計画を利用しようとする。
十ヵ年計画にはそれぞれ似たパターンのサブツリーを持っている。ツリー最初のNFを達成すると、600日のタイマーが発動し、達成したNFの数によって最終的なボーナスの数が増減する。途中、タイマーの残り時間が減少するイベントが発生したり、一部のNFを達成するとディシジョンが解禁され、残り時間を延長できたりもする。閻と馮がどちらも失脚していない場合、「対抗ミッション」が表示される。これは相手が別の改革ツリーを進めていることを表すもので、完了するとプレイヤーが選択した場合の半分のボーナスが手に入る。
最後のツリーが軍事だ。山西省の軍隊はふたつの対立する軍隊、馮の国民軍(練度と規律が高い)と閻の省軍(太原兵器廠による潤沢な装備と地元人のみからの徴兵が特徴)が存在している。どちらかを重用すれば、それぞれの長所がさらに強化される。また共通部分では太原兵器廠ツリーもあり、山西省の軍需工場を拡大できる。
北京との相互作用
良いリワークとはその国のコンテンツだけではなく、それと相互に関係するコンテンツのプレイ体験も向上させるものだと思っている。山西は華南の軍閥と違ってほとんど孤立しており、近隣には拡張すべき弱小軍閥が存在しない。山西派は清/直隷派に囲まれ、中国の中で孤立している。西方の馬家軍も馮玉祥と対立してから関係は冷え切っている。この状況が変わり、山西の未来は大きく変わる。
山西と清/直隷派のミニゲームが終わると、ゲーム初期ツリーの下部NFを達成することでディシジョンが解禁され、影響力と引き換えにさまざまなボーナスが手にい入る。イベントやNFによっても北京の影響力が増大する。
また、清/直隷派にも山西の影響力に関する小さなディシジョン群が解禁される。山西で進んでいる改革に応じて、清/はさまざまな形で山西の十ヵ年計画を支援できるようになるが、山西が拒否する場合もある。清/直隷派のプレイヤーも山西での影響力と引き換えにいくつかのボーナスが手に入る。AIにもできる限りディシジョンに対応できるに調整した。
「Out of Beijing’s Shadow」から続く一連のイベントを進めると、閻錫山率いる山西軍閥が、北京政府の承認と引き換えに清\直隷派に山西省東部の返還を交渉する選択肢が出てくる。ここで対価として払うのが戦争支持率と清/直隷派の影響力だ。山西は戦争支持率を代償にして要求を増やし、北京は影響力を使って要求を減らせる。合計で5ラウンドの交渉が続き、その結果は6通りに分かれる(清/直隷派が交渉中に滅亡した場合を含めれば7通り)。残った影響力や戦争支持率を確認して対案を出すことができる。
なお、山西による満洲復辟は新しい内容に変更される。今回は詳細を見せないが、プレイヤーは清/直隷派開発者と山西開発の協力を感謝してくれると信じている。
ではここでSuzuhaにマイクを戻し、中盤のゲーム展開について説明してもらおう。
中盤と奉直戦争
内政問題が片付けば、山西軍閥は戦争に備え、混沌の中国情勢に飛び込むことができる。このツリーはふたつのルートに分かれていて、一定の戦争支持率や清/直隷派との交渉の結果でアンロックされる。
プレイヤーが清直隷に反目して独自の統一をめざすのではれば、このツリーを進んで独自のディシジョンやボーナスが手にはいる。たとえば「戦争計画」メカニズムが解禁され、プレイヤーは目標のステートにデバフを付与してさらに準備を進めることができる。また戦争計画ボーナスはこれまで選んだ軍事ツリーに合わせて追加のボーナスを獲得できる。
プレイヤーが中央政府との協力を選んだ場合、山西軍閥は清/直隷派の協力地域になる。協力地域については今後の中国の変更点をまとめたPRでより詳しく紹介する。中央政府の味方になれば、山西軍閥は清/直隷派を守る北西の盾となり、プレイヤーは清/直隷派を支援して新疆から守るためのバフを得られる。
ほかにも、山西軍閥は北西部の戦争の結果と相互に影響している。閻錫山も馮玉祥も、資源が豊富で人口もまばら、そして戦乱渦巻く綏遠省に関心を持っていている。20年代に敗北したことで失ってしまったが、中央政府が弱体化すれば、山西軍閥はこの地域で暗躍できる可能性がある。これは山西軍閥にとっての「サイドクエスト」で、戦略目標である綏遠省を回復できるかもしれない。
後半・終盤のゲーム内容
中華統一を宣言すると、山西軍閥の名前は中原政府に変わる。山西軍閥時代のNFツリーから、新たに統一とその後に関するツリーに切り替わる。軍事ツリーだけは山西軍閥と変わらない。山西軍閥で工業化・農地改革がどれだけ進んだかに応じて、ステートに小規模な補正が入る。
統一に合わせて、閻錫山と馮玉祥はそれぞれ独自のコンテンツを獲得できる。ふたりは国民党などの共和派政党、中国青年会、連省派との連立を形成できる。また独自陣営を打ち立てて、中国の国境を広げることもできる。
最後に、山西軍閥の指揮官を磨き上げてくれたアーティストに感謝したい。新しいポートレイトは軍服のおかげでハッキリと派閥を見分けられるようになった。
質問
Q. 山西軍閥はどの国と同盟できる?
A. 閻と馮は清/直隷派に援助を要請できる。閻は奉天派と協力でき、馮玉祥は(北部の軍閥には過去に大方砂をかけてしまったので)南部の国民党や連省派と協力できる。また閻は清の傀儡を選ぶ(あるいはそうさせられる)こともできる。
対外的には、どちらも中立寄りの政策を取る。閻は独自のアジア非同盟運動を創設する(そして国際メディアで列強諸国の偉大な調整役として自身をアピールする)。馮は日本の大東亜共栄圏の代わりとなる、植民地解放戦線を結成する(そしてその名声に浴する)。どちらの場合も、主なオーディエンスは世界だ。中国は侵攻して傀儡にする以外は周辺諸国を陣営に勧誘できないし、国境を越えて世界情勢に関与することもない。
Q. 今回のリワークでは変わるのは山西軍閥だけ?
A. 中国には多くの変更が予定されており、次の報告で取り扱うつもりだ。スポットライトが当たるのは山西軍閥だが、多くの中華軍閥に変更点がある。