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Kaiserreich進捗報告126 ブルガリア

(原文はこちらから)

やあみんな、Augenisだ!先週がセルビア共和国の進捗報告を投稿した。次回のバルカン諸国アップデートで公開され、ほぼ完成に近づいている。そして今日は、セルビアとともに実装される国家タグ、ブルガリア王国を紹介しよう!

新しいブルガリア前史

この報告を不必要に長くしないために、ここでは新しいブルガリアの設定の概略だけを見せる。その代わり、バルカン諸国のリワークが公開されたら、Kaisereich wikiですべての情報を公開する。

新しい前史の概略は以下の通り

・王国樹立10周年となる1918年の10月5日、ブルガリアとマケドニアの(再)統一を正式に宣言。とうとう大ブルガリアを達成する。

・しかし、最初の数年間は苦難が続く。世界大戦で、すでにブルガリアは崩壊寸前まで追い込まれていた。街頭では民族主義者の武装組織、赤衛隊、農民武装組織(オレンジ隊)が入り乱れて衝突を繰り返し、国は大混乱に陥る。軍も新たなに獲得した西部領土の治安を維持するため、動員解除もできなかった。

・戦時中に首相を務めたヴァシル・ラドスラヴォフはそのまま首相を続投、戦時中の与党「自由派連合」大連立も国民自由党に合併。野党にも再編の動きが見られ、農民連合も議会派閥が分裂、ブルガリア人民農民同盟「Vrabcha 1」派と人民進歩党が誕生。

・1920年から25年まで、国民自由党はさまざまな政党と離合集散を繰り返し、過半数を維持。勝因は愛国路線への方針転換と、大戦勝利の実績。しかし常に野党から猛反発を受ける。20年代初頭、国民自由党が農民党議会派と交渉した結果、当時収監中だった農民党指導者のアレクサンダル・スタンボリスキの釈放が決まる。

・1925年のセルビア革命後、ブルガリアにも革命の機運が高まり、スタンボリスキも共和主義を採用。政治が混乱する中、ボリス王太子が父を通じて腹心のコンスタンティン・ゲオルギエフを首相に任命。

・ゲオルギエフ首相は権威的体制を樹立、そして分離主義勢力と社会主義勢力のプロパガンダを封じる目的で、「国家保安法」(Закон за защита на държавата)を制定。しかしゲオルギエフ政権の方針は民主派陣営からも不評を買う。

・人民進歩党=農民連合=社会主義広義派連合がゲオルギエフ政権を倒し、選挙実施を呼び掛ける。しかしブルガリアの政治はますます権威的になる。君主の介入が強まり、首相にも好みの人材を据えるようになる。国家保安法も乱発され、中規模の野党にも行使されるようになる。ブルガリアはある程度の安定を取り戻すが、内部の対立はむしろ悪化する。

・ゲオルギエフ体制を支持し、議会制度に幻滅していた陸軍将校らが、秘密結社「ズヴェノ」を結成。軍事クーデターを画策し、自分たちの構想をいち早く実現しようともくろむ。極西部では、旧IMROのメンバーが郷土防衛組織「オフラナ」を結成。オフラナ内部では極右思想が蔓延し、やがて発展していった。

・1933年、フェルディナンド1世とボリス王太子が裏から手をまわし、無所属の外交官・議員のペトコ・スタイノフを新しい首相に据えた。スタイノフは国民自由党と統一人民進歩党の連立、通称「第二次自由派連合」の後ろ盾を得る。しかしスタイノフはすぐに独自のポジションを開拓した。1936年、スタイノフが反旗を翻そうとしているという噂もある。

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ニシャヴァ作戦とその余波

1936年1月1日、ブルガリアは立憲君主制国家だが、民主主義的制度は揺らいでいる。もし何もしなければ、そのまま国王独裁体制に早変わりしてしまうだろう。ブルガリアは内外に問題を抱えている。軍部は絶大な影響力を行使し、議会制民主主義を一掃しようと目論んでいる。ゲオルギエフ時代に制定された権威主義色の強い法律はまだ存在し、反感を買っている。そして対外的には、ブルガリアの覇権国としての地位は揺らぎつつある。地政学的観点から見ても、ブルガリアはだんだんと孤立しつつある。内政にかかりきりになり、政治家たちも、オーストリアとドイツの覇権によるヨーロッパの平和が続くと考え、セルビアやルーマニアの情勢にまったく注意を払っていない。

1936年はブルガリアの目覚めの年となる。そこで始まるのがニシャヴァ作戦だ。「西部領土」のセルビア人分離主義者を一掃すべく、ブルガリア軍は大がかりな作戦を推し進める。

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ニシュの反体制派セルビア人摘発作戦、ニシャヴァ作戦。フリスト・ルコフ将軍率いるブルガリア軍が数百人のセルビア人を逮捕、軍事裁判にかけるも、世界大戦期のテロへの逆戻りを恐れる世論は激しく反発する。

しかし民衆や既存政党は、この作戦に乗じてブルガリアがさらに独裁に進むのではないかと危惧し、すぐに反発する。国民議会(Sŭbranie)の民主派政党指導者が五党委員会(Petorka)を結成し、政府に反発する。

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「国家保安法」に代表される権威的政策やニシャヴァ作戦の内情が明らかになり、コンスタンティン・ムラヴィエフゲオルギ・ギエフら議会野党が「五党委員会」を結成。与党からも離反者が出る中、スタイノフは対応を迫られる。

状況が白熱する中、政治闘争のカギを握るのが首相のペトコ・スタイノフだ。スタイノフは政治的に中立で、しかも優柔不断だ。これまでも派閥に挟まれて意見をコロコロ変えてきた。そのためゲーム序盤、プレイヤーはスタイノフ視点でゲームを進め、以下の三つの派閥からどれか一つと協力する。

・五党委員会。国家保安法廃止、タルノヴォ憲法の改正、50年以上続く君主の権限拡大からの転換を望んでいる。
・ボリス王太子。君主としての日常的政務を代行し、父と君主制の利益を代表している。国家保安法の維持、ブルガリアの国王独裁体制の完成を目指す。
・ズヴェノ。ペトルカにもボリスにも反対する軍部の秘密結社。現在の退廃的政権を刷新し、より有能で合理的な軍部独裁を目指す。

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国家保安法の存続・廃止を扱うディシジョン。スタイノフが味方にした派閥の人気、法案存続に賛成・反対する議員の数、ズヴェノの影響のパラメータが存在し、それぞれ相互作用する仕組みのようだ。

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初期の国家方針ツリー

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国家保安法を廃止する国家方針。

プレイヤーはどの段階でも上の国家方針を選択して、国家保安法を廃止することができる。しかし議員の数が不足していると、この国家方針は開始から数日で自動的に失敗する。仮に条件を満たすだけの議員の支持を取り付けても、完了までは進まない可能性がある。国家方針を完了しようとすると、かならず反発を受ける。そしてそのまま失敗してしまう可能性もある。王室一派と協力すれば、初期ツリーの完了時間は短い。それ以外の派閥と協力すると、法案廃止まで300日間待って、その後で権力を固めなくてはいけない。

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左からそれぞれルーマニア鉄衛団を模範とする親ズヴェノ派の極右組織、ブルガリア国家軍団の説明。ズヴェノの一員のペンチョ・ズラテフ騎兵大将によるスタイノフ首相の説得。左派が扇動する農民ストライキの対応。右二つのイベントでは、選択肢次第でスタイノフ首相が支持する派閥を変えることができるようだ。

そして国家保安法の廃止と同時期に、ズヴェノは議会の外で活動する。王国の内情が悪化するにつれて、イベントが多発し、さまざまな政治思想を待つ反対勢力が不満をぶつけてくる。中には国家保安法に対する方針を変えようとするだろう。ズヴェノはこの混乱に乗じ、クーデターを敢行するかもしれない。ちょうど二つの政治危機が発生する。ブラック・マンデー危機が悪化し、セルビアとルーマニアの再軍備のニュースが飛び込んでくる。

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そう、セルビアとルーマニアの狙いは……

第四次バルカン戦争

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「バルカン新秩序の構築」を謳うベオグラード条約機構の結成に揺れるブルガリア。新聞で二コラ・ジェコラ将軍自ら「ブルガリアは戦争準備が整っていない」と述べ、議会でのセルビア人、ギリシャ人、トルコ人、ルーマニア人議員らも条約に賛同するなど、情勢は緊迫する。

1936年、ブルガリアは戦争ができる状態にない。しかし望もうと望むまいと戦争は必ず訪れる。ルーマニア・セルビア・ギリシャの三カ国は内情を安定させ、再軍備を進め、ブルガリアが世界大戦で獲得した広大な領土にまなざしを向ける。ドイツもオーストリアも直接介入できるような状況ではない。すなわち、「ヨーロッパの火薬庫」の安定はブルガリアの双肩に掛かっているのだ。

ブルガリア軍はかねてから隣国の脅威を認識していたが、準備を進めるにはさらなる改革を推し進める必要がる。新しい前史とゲーム内の設定に合わせて、ブルガリアの軍事ツリーを完全に変更した。一見すると古いバージョンよりもボリュームが少なくなっているが、実際には効果を統合・強化し、無駄な要素を省いている。

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そして最後に、ブルガリアには第四次バルカン戦争に進む前に、オスマン帝国の問題を片付けなくてはならない。

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20年前の世界大戦では中央同盟の戦友だったが、1936年のブルガリアとオスマン・トルコは有効関係にない。コンスタンティノープルの帝国は貪欲な眼差しを向けながら、西トラキアに侵入して現地のトルコ人居住地域を占領するチャンスを狙っている

しかしブルガリアが交渉すれば、オスマンも侵攻を思いとどめる。「Mission to Kostantinyye」の国家方針を進めると連鎖イベントが発動する。オスマンは数々の要求を突き付けてくるが、うまくいけば戦争では中立を保ってくれる。

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ブルガリア側に居住するトルコ人の処遇や、両国の貿易協定締結に関するイベント。西トラキアでのトルコ人自治とカリフ制導入や、オスマン側に有利な貿易協定など、総じてブルガリアが不利なようだ。

政治ルート(戦勝)

有利な講和条約を締結するか、三カ国を完全併合して傀儡化するか。ともかくブルガリアが第四次バルカン戦争に勝利すると、戦後の新しい国家方針ツリーが解禁される。四方八方を敵に取り囲まれながらも、全てを乗り越えて輝かしい大勝利を収めたことで、ブルガリア国民のあいだに漂っていた政治への停滞感も消し飛ぶ。かつて脅かされていた覇権国としての地位も安定し、ブルガリアはふたたび地政学の舞台に躍り出る。

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新しい戦勝ツリー。これまでの領土割譲と賠償金に加えて、産業賠償やプロエスティ石油の利権、さらにギリシャ艦隊の接収までできる。

政治ルートに応じて、戦勝後のブルガリアは帝国協定モスクワ合意ドナウ=アドリア同盟のどれかに加わり、第二次世界大戦に参戦する。戦前に選んだ政治ルートは戦勝の威光でそのまま政権に居座り、誰も歯向かうことが出来なくなる。

そして、特定の条件を満たせば、三つの戦前ルートごとに用意された固有の外交方針がアンロックされ、さらに大きな挑戦と目標に向かう。

それはこれかもしれないし、

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これかもしれない。

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国王独裁

国家保安法を残し、ズヴェノの排除にも成功すれば、ツァールと王太子はすべての準備を整え、国を思い通りに動かそうとする。議会を解散させ、勅令による統治を敷き、ついには国王独裁体制を打ち立てる。

また立憲ルートやズヴェノルートでバルカン戦争に敗北した場合も、国王独裁ルートを選択できる。歯向かう勢力はことごとく壊滅し、ツァールは国を掌握し、実権を取り戻すことができる。この敗戦ルートではボリス三世はツァールに即位し、戦勝した場合はフェルディナンドが続投する。どちらの場合も、ブルガリアは権威的民主主義国家になる

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煩わしい内部対立がなくなると、ツァールは帝国協定に参加し、ブルガリアを自分の国に変えようとする。限定的な超党派民主主義だけが存続を許される。国王独裁はリワーク後のブルガリアで一番簡単なルートだ。

政治の合理化

秘密政治結社ズヴェノについて説明するなら、象牙の塔に住まう知識人や将校たちのグループで、国内の脆弱さや無為無策に怒り、自分たちをこの無秩序を収める救世主であると自負している、というとわかりやすい。ズヴェノの本質はエリート主義組織だ。ほかの国粋主義的な軍部独裁政権と違って、民衆の支持やパレードには興味がなく、変革と合理化に重きを置いている。

ズヴェノは国王独裁ルートでバルカン戦争に敗北した場合も権力を握ることがある。軍事クーデターによって恥辱にまみれた君主を追い落とす。戦勝・敗北ルートのどちらでも、ズヴェノは父権的専制主義のイデオロギーに属する。

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急進的な改革を図る共和派と、より保守的な君主派によるズヴェノの内部対立。

ズヴェノルートの国家方針の中心となるのが、キモン・ゲオルギエフダミャン・ヴェルチェフ率いる共和派と、ペンチョ・ズラテフ率いる君主派の内部対立だ。どちらかのルートに進んで、国家改革を通じて君主の介入を排除することも、より大きな目標のために君主と協力することもできる。

護憲

国家保安法を廃止すると、タルノヴォ憲法擁護運動は支持を固め、軍部の反民主派を排除する。そして国会改革を推し進め、議会への国民の信任を取り戻そうとする。第二次自由派連合は社会保守主義政権になる。

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1338年に新たな自由選挙が行われ、ブルガリアの新しい国家方針がアンロックされる。

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四つの政党が選挙を競い、新たな政府を設立し、それぞれ異なる国家方針ツリーになる。社会保守主義の国民自由党、市場自由主義民主党社会自由主義の全国農民連合「Vrabcha 1」派、そして社会民主主義社会民主労働党だ。

護憲ルートは国王独裁ルートでバルカン戦争に敗北した場合にも進むことができる。絶対君主制を目論む道を捨て、タルノヴォ憲法を復活させ、さまざまな改正を加えてツァールの権限を減らす。

国家の破滅

第四次バルカン戦争に敗北すると、ブルガリアは解体され、1913年から獲得してきた領土をすべて失ってしまう。軍隊はズタズタにされ、経済は崩壊し、ブルガリア国民のプライドは完全に崩れ去れる。第四次バルカン戦争での敗戦は、まさしく国家の破滅(National Catastrophe)である。

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敗戦の責任を取って退位するフェルディナンド1世。ボリス3世が即位するが、数多くの犠牲者と国土の半分を失う大敗を経験したブルガリア国民の心境は暗い。

戦前にどのルートを選んでも、バルカン戦争敗戦のコンテンツはすべてフェルディナンドの退位から始まる。ボリス王太子がボリス3世として即位し、この難局を乗り切ることになる。戦前にどのルートを選んでも、政府の崩壊は避けられず、これまで得ていた支持もすべて失う。政府はライバルに道を譲るか、もしくは敗戦後に誕生したまったく新しい勢力が政権を担うことになる。

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すべてのルートに共通してこの新しい国家方針ツリーが解放される。

「国家の破滅」ツリーでは敗戦後の内容を扱う。悲惨な戦争からの再建を進め、マケドニアのIMROやトラキアの姉妹組織ITROといったレジスタンス組織を支援する。復興を終えて準備を整えれば、ブルガリアはふたたび戦いに挑む、ベオグラード条約機構の宿敵であるオーストリアと対立するか、あるいは中立を維持し、バルカン半島で好機が訪れるのをうかがうことができる。

そして政治ルートについては、これまで紹介した3つのほかに、新たに2つのルートが追加される。

青年将校たちの独裁

世界大戦後、ブルガリア人武装組織と国粋主義的な青年運動が合流し、急進的な国粋主義組織、ブルガリア国家軍団が誕生した。軍団はロシアのボリス・サヴィンコフ、それにルーマニアの鉄衛団に着想を得ている。1936年当時はズヴェノと一時的な同盟を結んでいたが、もしズヴェノ政権がバルカン戦争で敗北した場合、ズヴェノと軍団の同盟は解消する。

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これまで反民主主義で一致していたため手を結んでいたズヴェノと国家軍団。しかし過激な民族主義者の軍団とテクノクラート志向のズヴェノはやがて対立する。敗戦でズヴェノ政権が揺れる中、軍団は勢力を拡大し、ジェコフ将軍やルコフ将軍らも離反しつつある。

ズヴェノ側も軍団を連立から追い出そうとするが、かえって政権与党としての地位が弱まってしまう。そして軍団はズヴェノから政権を奪い、「ブルガリアのコドレアヌ」とも呼ばれる指導者イヴァン・ドチェフ率いる国家大衆主義政権を打ち立てる。

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国家軍団のツリー。

軍団政権の最大の目標は、一刻も早くベオグラード条約機構との戦争を再開することだ。軍団はブルガリアが「背後からの一突き」で破れたと信じていて、戦場では一度も負けていないと思っている。軍団政権は急速な軍備増強を進め、資源開発を推進し、戦争の再開を目指す。あるいは軍団政権は崩壊し、国王独裁の復活につながる。

ブルガリア共和国宣言

護憲派ルートでバルカン戦争に敗北すると、戦前の「国家保安法」の廃止が裏目に出て、極左運動の急成長を引き起こす。社会主義狭義派、農民党ヴァセフ派、そしてアレクサンダル・スタンボリスキイの共和派地下組織、農民全国連合が「祖国戦線」を結成する。祖国戦線は聖日曜日教会を襲撃し、反乱が始まる。もし反乱が完全に成功すると、国中に広がり、祖国戦線が政権を握る。

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史実でも1925年に発生した聖日曜日教会爆破事件イベント。急進左派連合の「祖国戦線」が各地でテロ活動を繰り返し、元首相のゲオルギエフも暗殺される。ソフィアの聖日曜日教会で要人たちが参列する中、教会でも爆弾テロが発生、選択肢次第ではツァールと内閣も死亡する。

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祖国戦線の国家方針ツリー。

祖国戦線には三つの政治派閥が存在し、反乱後の連鎖イベントで主流派が決まる。

社会民主労働党・社会主義狭義派。社会主義のマルクス的解釈を支持し、ブルガリアを純粋な社会主義国家に変えようとする。イデオロギーは急進的社会主義で、指導者はゲオルギ・ディミトロフ
ヴラソフデン運動(Vlasovden)。農業系の職能連合で、指導者はマノール・ヴァセフ。サンディカリズムを柔軟に解釈している。労働者による職能組合の組織やコミューン連邦主義といったサンディカリズムの理念を信じ、農村部に導入しようとしている。
農民全国連合。アレクサンダル・スタンボリスキが再統一。王国では長年弾圧され、セルビアに亡命していたスタンボリスキは、やがて強固な共和派となり、ブルガリアを農民による、農民のための共和国に変えようとしている。イデオロギーは権威的民主主義

祖国戦線の特徴がもう一つ。ブルガリアでは唯一「 A Path to Peace」の国家方針をアンロックできる。もしブルガリアが完全に安定すれば、この国家方針を選択してベオグラード条約機構に加盟することができる。

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最後まで読んでくれてありがとう。バルカン諸国のリワークを楽しんでくれると嬉しい!前回も書いた通り、セルビアとブルガリアは次のアップデートで実装される。今年の夏の後半にリリースする予定だ。

では最後に、セルビアとブルガリアの国家方針ツリーの全体図をお見せしよう!前回セルビアツリーの全体図を見せなかったが、これはルートごとに解放されるツリーが異なるから、すべて見せられないからだった。しかし後で考えを変え、とりあえず一つのルートだけでも全体図を見せることにした。

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セルビア共和派ルートの国家方針ツリー全体図

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ブルガリアの国王独裁ルートの国家方針ツリー全体図

セルビアには292個の国家方針、ブルガリアが218個の国家方針が実装され、ゲーム内最大級のサイズになった。ツリーもかなり手を込んで作り、複数回プレイできる量のコンテンツを用意した!

最後に、来週もsubredditを見てくほしい。その時は次回のパッチで実装する三番目の国家タグをお見せしよう!バルカン諸国のリワークの一部ではないが、きっと楽しんでくれるはずだ!

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