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【翻訳】Kaiserreich進捗リポート107 バルト連合公国
(原文はこちらから↓)
https://www.reddit.com/r/Kaiserreich/comments/flwenw/progress_report_107_the_united_baltic_duchy/
(日本語訳、特に歴史用語について中国語版を参照した)
https://zhuanlan.zhihu.com/p/115885684
皆さんこんにちは!Augenisです。今回は神に見放された土地、東欧に戻り、バルト海に位置するドイツの忠実な前哨基地、メグレンブルク家のアドルフ・フリードリヒ公が治めるバルト連合公国を見てみましょう。
バルト連合公国とは何か?(コンセプトと背景)
残念なことに、バルト連合公国、そしてバルト地域史の非常に興味深い産物であるバルトドイツ民族は、Kaiserreichでは全く表現されていなかった。この国のmodにおける伝統的役割はただひたすらにドイツの植民地国家で、いきなり連邦制国家に変わるか、あるいはドイツに併合されるかしかなかった。バルトドイツ人独自の歴史や伝統、政府形態といったものは全く表現されず、大臣や指導者候補のほぼ全員がドイツ人がラトビア人、エストニア人だった。このリワークの目的はバルト連合公国の古い前史を取り払い、地域史の中で深く育まれた事実を元に、新たな国家タグを建設することだ。
バルトドイツ人について知っておくべき三つの事実は、それぞれ今回のリワークのコンテンツを彩り、各ルートの中核を成すものだ。彼らは古く、複雑で、ドイツ人とは異なる存在だ。
・バルトドイツ人は700年以上の連綿と続く歴史を有し、それを最も体現するのが四つのバルト騎士団(Baltische Ritterschaften)だ。リヴォニア騎士団の名門貴族たちによって1300年に設立されたこの組織は、1920年の解体まで権力を維持し続けていた。またバルトドイツ人は16世紀から与えられた特権によって民主的自治の歴史を有している。自治の根拠となる地域ごとのバルト諸法(Ostsee Law)は、若干の変更を除いて近世からほとんど変わっていない。
・バルトドイツ人とは単一の国籍ではない。彼らは集合的にバルトドイツ人を自称することはあるが、歴史的現実は地域ごとのアイデンティティがバルトドイツ人全体の概念を上回る事態か往々にして存在した事実を示している。例えばキュロニアは常に自らを他のバルト地域とはいささか異なると考えていた。これはポーランド=リトアニア・コモンウェルスの家臣として長い期間を過ごし、諸外国列強の間で北の同胞たちと分断されていたことが大きな要因だ。エストニア、特に現在のエストニア東部の「エストランド」は、そもそもバルトドイツ人の中核領土とすら見なされていなかった。すなわち長い歴史をデンマークとスウェーデンの統治下に置かれて過ごしていたためであり、現地貴族もスカンジナビア人の血が流れていることを誇りにしていた。オーセルは小さいながらも独自の騎士団、議会、貴族や伝統を有し、独自性を主張していた。
・バルトドイツ諸国は自らを他のドイツ人国家とは異なると考えていた。これはドイツ国家にとっても同じだ。バルトドイツ語は非常に古風で、他のバルト・スラヴ言語の影響を強く受けており、時にはドイツ人にすら理解不能である。「ドイツ人国家(Reich Germans)」は、バルトドイツ人はドイツ人とかなり異なる存在と捉え、バルトドイツ人、特に貴族階級もまた、ドイツの浸透は歴史的伝統の消滅と捉えている。バルトドイツ地域の併合はドイツ人民族主義者の夢だが、バルト連合公国では一度も多数派に支持されたことはない。ドイツへの併合を望むバルトドイツ人ですら、この思想を奇妙な代物と考え、自らの「バルトドイツ人特有のアイデンティティー」を捨て去ろうとはしなかった。これまでのバルト連合公国の退屈で波風のないドイツとの統合は、もっと面白いものになっている。
バルト公国政府を簡潔に説明するのは難しい。それは何世紀にも渡るバルトドイツ人の伝統や法、自治権に根付いたものだからだ。これはロシアの占領下でもほとんど無傷で存続し、公国の立憲政府の土台となった。このリワークのために政府がどのように機能するか(そして機能していないか)について数ページ分詳記したが、代わりに連合公国政府に関するゲーム内の概略を引用する。
バルト連合公国をあえて言い表すとしたら、連邦制を採用した寡頭半民主的立憲君主国と表現するのが最適だろう。国内は五つの州に分かれ、それぞれが独自の地方議会(Landtag)や地方院(Land College)を有し、リガ市には自治権が認められている。こうした権力の分散は、バルト連合公国議会と領主公会(Convent of the Land Administrators)の分裂として中央政界にも反映されている。議会はプロイセン的な三級選挙制によって選出され、議長(Land Marshal)が率いている。地方院や領主公会はバルトドイツ人貴族の組織である四つの騎士団によって任命されている。そして公国議会と領主公会の上には公爵が存在し、司法権と任命権、その他の大権を有している。
議会を立法府、領主公会を行政府と表現することは容易いが、その実態はもっと複雑だ。公会は省庁からではなく、代わりに18人の領主によって構成されている。彼らは騎士団や議会との協力の下で日常的な国政を運営している。また公会はある種の上院としての性質も有している。彼らも議会に出席しており、また法案を提出することはできないが、それを精査し、「貴族の権利や制度、慣習を擁護する慎重かつ父権的な配慮」を要求する声明を発する。公会は常設の省庁を持たず、何らかの問題が浮上するごとに一時的な機関を設立し、公会の管理下に置く。その一方で、議会も多数派に基づく独自の行政府や組織を編成することができる。これについて公会には拒否権を有しておらず、また公会は法案を提出することもできないため、国政の運営権は議会が完全に掌握している。しかしその議会もまた領主公会に支配されており、国家運営に関するバルト騎士団の役割は制度的なものでもあるため、簡単に取り除くことはできない。
これは騎士団と地方議会が貴族による一つの大きなグループであった16世紀なら問題にならなかったが、時代は変わってしまった……
初期のゲーム内容
ゲームスタート時の状態。複雑な政治制度によって政治力や安定性・戦争協力度、ドイツへの人口流出によって徴兵人口にデバフが掛かっている。軍隊には職業軍隊であることを反映して組織率にバフが、バルト民族を登用しないことによって徴兵人口にデバフが掛かっている。
導入イベント。これまでの設定のようにドイツとの統合を念頭に置いて建国されたが、地政学的事情やバルトドイツ人を含むバルト民族の反対によって実現は不可能になったという経緯が記されている。
反動的なバルト騎士団が支配する政権が続いたのち、バルト連合公国内部での構造改革への圧力はいよいよ大きなものになった。これまでやむなく貴族と協力してきた中間層が増加し、独自の路線を採用し始めた。連合公国のビザンツ的な時代錯誤の制度を改革するためなら、中間層は改革派やバルト民族主義グループとも手を結ぶことも厭わなかった。更にはバルト騎士団の中にも改革を考慮する者が現れた。
最終的にフリードリヒ公が介入した。自由派の改革者というわけではなかったが、改革の声を無視するのは国家にとって無益だと理解する程度には機会主義者だった。公は大権を行使して前領主公会議長を罷免し、新たに改革派のフリードリヒ・フォン・ザムソン=ヒンメルスチェルナ(Friedrich von Samson-Himmelstjerna)を後続に任命し、自由改革派の民主党と協力した。新たに招集された議会では民主党とその連立相手、すなわち民主的なバルト民族議員団中道派、さらにより自由主義的な進歩党が大多数の議席を占めていた。改革党穏健保守派との希薄な協力もあって、現在までフォン・ザムソン=ヒンメルスチェルナ議長は二重構造化した権力の対立を回避してきた。
1936年のフォン・ザムソン=ヒンメルスチェルナの自由派政府は閣外から老齢で病気がちなパウル・シーマン(Paul Schiemann)の助言を受けながら、公とその臣民への公約を果たす準備を進めている。だが政府の改革案は保守的な貴族の反対に直面するだけではなく、ブラックマンデー経済危機の無慈悲な被害によって崩壊する。
初期のシーマン党方針
「名誉称号の廃止」や「憲法制定委員会」の国家方針から始まる初期の国家方針ツリー
ブラックマンデー前をトリガーとして、フォン・ザムソン=ヒンメルスチェルナの自由派政府は改革の下準備を進める。無用の称号や地位を廃止し、常設省庁や憲法制定委員会の設置計画を立てる。だがブラックマンデーが発生するとすべての計画はお蔵入りとなる。
連合公国でのブラックマンデーイベント
パウル・シーマンと民主党指導部は公国の無秩序な自由市場に責任を見出し、先進的な社会改革案を提唱する。この中には連邦規模での最低賃金及び年金の設立、連邦政府による国内経済の管理拡大案が盛り込まれている。これは想定していたよりも多くの人を警戒させる。
あまりに急進的な改革案に連立相手や与党内からも批判が噴出している。
地主や貴族たちはこうした進歩的な経済政策が地方部での権力漸減に繋がると恐れ、改革党の商業階級も同じ理由で恐怖し、与党内部からも反対意見が噴出する。
これによって議会で反自由党連立が結成され、ロルフ・フォン・ウンゲルン=シュテルンベルク(Rolf von Ungern-Sternberg)議長が議会多数派を根拠とした独自の行政権を獲得し、権限対立期が訪れる。
議会内の保守派の人民党と騎士団議員の協力を取り付けたシュテルンベルク議長が領主公会派の民主党が提出した法案を廃止し対決姿勢を示す。議会と領主公会の対立が始まる。
バルト連合公国の権力対立
権力対立システムの内容。発動中は軍事ツリーしか選択できず、政治力も獲得できない。解除するためにはどこかの勢力に譲歩して政治力を獲得して、一定期間内に対立を終わらせる必要がある。また週ごとの安定度も下がる。
権限対立期のプレイヤーがバルト地域の民主主義と自由の維持を目的とする場合、いくつかの利益グループと接触し、譲歩して支持を獲得する(これが政治力で表現される)必要がある。それぞれ地主ロビーは土地の所有権と相続財産の保全、商人ロビーはバルトドイツ人中産階級の権益促進と政府による産業近代化支援、騎士団は政府への伝統的影響力維持のために政治改革の妥協、自由派ロビーは政府への基本理念の堅持と独自路線の継続を求めてくる。
どの勢力を選び、どれほどの政治力を獲得しようとも、不況下での政治麻痺に乗じた民族闘争が安定性に悪影響を及ぼす。安定度が一定値を下回ると、公国の存在そのものが危機にさらされる。
森の兄弟
バルト民族抵抗運動「森の兄弟」による反乱ディシジョン。ラトビアとエストニアでの抵抗はレジスタンスシステムで表現され、通常の手段や政治力を使ったディシジョンでレジスタンス値を25%まで下げると反乱は鎮圧され、逆に毎週更新されるレジスタンス値が75%に達すると連合公国は崩壊する。
これまでのバルト戦争に代わり、森の兄弟の反乱が発生する。この変更の主な理由は、HOI4の戦争形態ではゲリラ戦をうまくシミュレートできず、バルト連合公国の小さな国土では実際の戦争としてゲリラ戦を描くとプレイヤーにとって大変なストレスにしかならないからだ。また三つの国家タグが適切に機能しなかったり、講和条約でベルギーなどの他国がタリンを領有するといった問題が発生する恐れがあるというのも理由だ。これは完全に解決するにはあまりに労力を浪費する。
権力対立と森の兄弟の蜂起は同時に発生し、プレイヤーは貴重な政治力をかなり慎重に配分せなばならず、どちらかを優先する必要がある。仮に事態がひっ迫すると、フォン・ウンゲルン=シュテルンベルク率いる保守派との休戦オプションが出現し、森の兄弟に集中するか、あるいはもっと凶悪な勢力に屈することになる……
パウル・シーマンの自由主義構想
名目上、バルト・ドイツ民主党はフォン・ザムソン=ヒンメルスチェルナを行政府の代表としているが、自由連立の玉座の後ろに控える真の実力者がパウル・シーマンであるのは周知の事実だ。少数派の権利と民族間の平等の忠実な擁護者であるシーマンは、年々衰え、体も弱ってきたが、しかしその頭脳はかつて同様鋭く、新たなバルトのヴィジョンも民主党の公約として反映されている。
パウル・シーマンの説明文。史実ではラトビア共和国でバルトドイツ民主党の党首を務め、バルトドイツ人やユダヤ人などの少数派権利の保護に尽力した。
シーマンをリベラル派の民主改革者として想像するのは簡単だが、彼の政治思想はもっと複雑だ。他のバルトドイツ人同様、彼の社会観は自らのエスニシティの特質が基礎となっており、このバルトドイツ人例外主義とでも言うべき信念がシーマンの骨の髄までしみ込んでいる。シーマンはあらゆる形態の特権に強く反対している。バルト騎士団の伝統的役割に反対し、貴族特権にも激しく反対している。そして宗教や民族から分離することで結果的に全民族の自由と平等が訪れるという「非民族国家」思想を作り上げた。しかし実際には、シーマンはすべての民衆や民族が平等だとは思っておらず、また民衆が平等な政治的権利に値するとも思っていない。彼にとってある民衆は他よりも価値があり、より指導に適している。すなわち大学教授は卑しい労働者よりも高い特権を有するべきと考えている。こうした理由から、シーマンは社会主義を文化や素質に欠けたとりとめのない塊と考え、厳しく反対している。シーマンに民主主義に代わる一種のメリトクラシー制を提唱している(その一例として、史実のシーマンは民選議会ではなく、任命された知識人と社会グループの代表から構成される立法府を提唱していた)。シーマンはドイツ文化に自由主義や啓蒙、上位文化の歴史を見出し、バルト・ドイツ人はバルト諸国を啓蒙し、ラトビア人とエストニア人を近代ヨーロッパ社会にまで引き上げる使命を果たすべき存在だと捉えている。
民主党は土地改革や社会市場経済を掲げ、公国の時代錯誤的な政治制度に代わる憲法を創設する。
憲法制定イベントの一例。前文をバルト臣民の公が憲法を授けるか、それとも国民が憲法を宣言すると書くか、あるいは緊急権の是非など、かなり細かく決められるようだ。
プレイヤーは一連の大型イベントの中で憲法を作り、すべての重要な要素を決定することになる。生来の基本的権利、選挙形態や行政府の組織、そして憲法改定の方法はどれもゲームプレイに影響を及ぼし、ゲームごとに全く異なるものになる。
国有化や公共事業などを主体とした経済ツリー
社会民主ルート時のツリーの全体図。右半分は共通の軍事ツリーとなっている。
旧体制の保全
森の兄弟蜂起に敗れ、議会での勢力回復にも失敗すると、最終的にはアドルフ・フリードリヒ公が介入し、政権をバルト騎士団に委任し、アクセル・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Axel von Freytagh-Loringhoven)が領主公会議長となる。
長引く対立で自由派政権を見限ったフリードリヒ公が介入し、公会を罷免し、四大騎士団に行政を一任する。
バルト貴族の有力者である連合公国議会議長のシュテルンベルクとリヴォニア騎士団団長のコンスタンティン・テオドール・ピラー・フォン・ピルハウの説明文。コンスタンティンの父アドルフはエストニアに複数の領地を持つ貴族で、史実のバルト連合公国初代摂政。
四つのバルト騎士団の連合体であるバルト騎士協会(Verband der Baltischen Ritterschaften)は、いかなる施策を用いてでも公国の伝統的性質を保持する組織であると自認している。しかし1936年の試練の月日の中で、強力な連邦政府が協会の目的の障害にしかならないと断じる。分権的な地方の委員会と議会がより主体的な役割を持っているとしたら、中央議会への集権化は全く意味をなさない。左右からの抵抗を抑圧できない場合、改革はフライターク=ローリングホーフェン率いる領主公会の二大改革に引き継がれる。バルトドイツ人の荘園を中心とする生産的な輸出主体農業経済の発展と、公国の各構成単位への分権化である。このルートの最終的な目標はクールラント、リーフラント、エストラントの公国による連邦制「連合君主国(monarchy of monarchies)」の創設となる。これは公国の構成国家タグへの分裂ではなく、各ステートへの補正を通じた国力上昇メカニズムへのアクセスが解放されることで表現される。
権限移譲ツリー
プレイヤーは権限移譲メカニズムを通じてクールラント、エストラント、リーフラントに強力な補正を付与できる。このプロセスを達成する上で必要なリソースである「政治資本(Political Capital)」は、すべての権限移譲政策を達成するほど獲得することはできないため、各州はそれぞれ特化した補正が掛かる。
権限移譲ディシジョン。政治ツリーを進めるごとに安定度に応じた「政治資本」を獲得し、消費することで建設速度、徴兵人口、建設スロットが増加する。
父権的専制ルートのツリー全体図。
ゼロからの刷新
影で陰謀を企む組織は、1936年の危機を台頭の好機ととらえている。神秘的なバルト同胞団(Baltic Brotherhood)の名前はバルト貴族の荘園の邸宅に響き渡り、伝統の腐敗に失望した若い反動貴族たちに希望を与えている。バルト領土軍は公式には非政治的で独立した存在だが、実際には右派思想の隠れ蓑となっており、将校たちは国内で最も有力との呼び名も高い唯一のドイツ本国人、グラーフ・リューディガー・フォン・デア・ゴルツ(Graf Rüdiger von der Goltz)のカリスマの下に集結している。
議会での保守派との同盟を拒み、森の兄弟蜂起の対応に失敗すると、領土軍は文民政府の放任的指導力に失望し、策謀を練り始める。
「領土軍の義憤」
バルト国家の崩壊を防ぐためという大義名分の下、バルト同胞団の支援を得た軍は民主主義の実権に終止符を打つ。
領土軍のクーデターイベント
バルト同胞団の説明イベント
バルト同胞団を短い言葉で言い現すのは難しい。もっとも単純な言葉に還元するとしたら、若いバルトドイツ人貴族による千年王国論的キリスト教原理主義者、バルトドイツ人至上主義者、汎ドイツ民族主義者の秘密結社だ。史実と同様に、バルト同胞団は1920年代に組織されたが、Kaiserreichでは設立の経緯が異なる。この世界ではバルト連合公国政府の無為無策への失望と伝統主義への固持、バルトドイツ人貴族の間で広がるサンディカリズム台頭への恐怖を理由に設立された。同胞団は秘密結社として運営され、貴族階級に浸透することで公国内で勢力を拡大し、特に幻滅と野心を抱く若い貴族を魅了した。
中でも目立つのは、旧約聖書の正当性を否定し、キリストを「ユダヤ人の神」からの救世主と見なすという聖書の新たな解釈を掲げる宗教結社としての性質だろう。同胞団はバルトドイツ人をヨーロッパの精神的指導者と捉えている。すなわちバルトドイツ人の歴史は宗教戦争と十字軍精神の発露であり、したがって大陸の全ヨーロッパ人の霊的指導者としての生来の役割があると考えている。バルトドイツ人はヨーロッパの宗教復興運動を再統一し、キリスト教の統一を回復し、東方、もっと言えばロシアへの好戦的な宣教の任を全うすべきである。同胞団はキリスト教の下に統一されたヨーロッパには指導者が必要と考え、ドイツにその役割を期待しているが、国内が分裂したドイツにはまだヨーロッパの救世主としての役割はふさわしくないとも感じている。そのための同胞団の責務はバルト地域をドイツが模範とすべき国に変え、予言された目標への導きを支えることだと説いている。
バルト同胞団の改革ディシジョン
バルト同胞団が権力を握ると、グラーフ・フォン・デア・ゴルツ摂政の輔弼の下、国家の徹底的改造を開始する。バルト諸国の社会を全体主義的支配の下に服属させ、国内経済を領土軍の補給線として改造し、ロシアとサンディカリストとの戦争に備えて急速な工業化を実施する。この改革に大きな代償が伴う。改革が完了するまでの間、国は継続的かつ大規模な安定度低下に耐え、一方で国家方針ツリーを進めるためには常に0%以上に保つ必要がある。
バルト同胞団の改革ツリー。左側から取得して改革を進めていくが、その過程で安定度が大きく失われるため、適時右側のツリーを進めて安定度を獲得する必要がある。
改革ツリーの国家方針の一例。安定度が0%を下回ると即座に取り消され、また達成しても週ごとの安定度にマイナス補正がかかる。
だがプレイヤーが困難を切り抜ければ、魂の簒奪(資本主義)の終焉を宣言し、国は完全に戦争準備を整える。
国家大衆主義ルートのツリー全体図
公国の崩壊
森の兄弟反乱の管理に失敗し、国の支配を喪失すると、バルト連合公国の最終的な崩壊が待ち受けている。ラトビア人とエストニア人のパルチザン、新たに樹立した地方評議会がそれぞれの国家の独立を宣言し、歴史に新たな一ページを刻む。二大大国に挟まれた不安定な独立だ。だがすべてのバルト地域が現地人の支配下に堕ちたわけではない。一つの小さな抵抗が続く……
バルト連合公国の崩壊イベント。リガ、ラトビア、エストニアでのプレイを選べる。
リガの初期状態。国家元首のヘルムート・ステグマンは史実の戦間期ラトビアでバルトドイツ国家党の党首を務めた。
ドイツの支援の下、ヘルムート・ステグマン(Helmuth Stegman)市長率いるリガ自由都市が共和主義を掲げ、連合公国の継承国となる。この国には大きな使命が待っている。未来の進路を選択し、失われた権利を取り戻す準備を進めるのだ。だが今回はリガ、そしてラトビアとエストニアについては別の機会にお見せしよう。
バルト領土軍
バルト領土軍(Baltische Landeswehr)は東欧の帝国協定加盟国の中でも最も優れた軍隊だ。訓練された職業軍人の将校団、ドイツからの潤沢な補給、そしてバルトドイツ人貴族にとって名誉ある職務ととされることも相まって、領土軍は東からの侵攻に対して備えを進めている。連合公国は領土軍の改革に当たって二つのルートを選択できる。プロフェッショナリズムを更に強化して、小さくも一流の軍隊を作り上げるか、あるいは軍隊へのバルト国民の人種統合を開始し、専門性を犠牲にして無数の民族の大軍を創設するかだ。
バルト地上軍ツリー
軍事ツリーを達成すると、バルト連合公国には帝国協定防衛のための面白い役割が与えられる。協定加盟国での最精鋭軍としての長所とドイツとの極めて密接な関係を利用して、軍事使節を派遣して近隣の同盟国の支援にリソースを振り分けることができる。
軍事使節派遣ディシジョン。どれか一国に軍事使節を派遣することで、両国が組織率や立案速度が上昇し、どちらかが研究済みの陸軍ドクトリンの研究ボーナスが与えられる。
今回はここまで、また次回!