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【翻訳】Kaiserreich進捗リポート115 国粋フランスリワーク・その2
(元記事はこちらから↓)
https://www.reddit.com/r/Kaiserreich/comments/iia0o9/progress_report_115_the_national_france_rework/
再びBonjour、皆さん。今日はお約束通り全フランスの明白なる正当政府、アルジェ亡命政権に戻りましょう。前回は最初期のゲームと新たな国粋フランス前史をお伝えしました。今回は中後期のゲーム内容をお伝えします。
緩やかな平時回復か?――ユニオン・サクレ
まずは「熊」ことモルダックがペタンの後継者に選ばれ、民主主義が復活した場合から見てみよう。
軍部過激派はモルダックによる民主主義勢力の再任、徹底的な軍事改革に動揺し、アクション・フランセーズの支援を得てクーデターを試みる。正しい手段を踏めばこの蜂起は鎮圧され、モルダックは第三共和政大統領の伝統に則ってより儀礼的な役割を選ぶ。だがフランス情勢は平時の政治体制の完全復帰には非常に不安定である。モルダック大統領は民主主義と共和政支持の諸政党による大連立、新生「ユニオン・サクレ」を編成する。これに参加するのは以下の党だ
・フランソワ・ド・ラロック率いるフランス社会党(Parti Social Français)。戦後に退役兵が立ち上げ、前大戦の敗北の責任がないため、フランス政界では唯一の大衆政党だ。独自の警護隊、青年組織、炊き出し場、系列組合、募金団体、更にはサマーキャンプなどを通じて、単なる政治所属先を越え、党員の生活の不可分の一部になろうとしている。もっぱら保守、反社会主義、国粋主義、カトリック的で、共和国の議会内閣制脱却と大統領を重視する仕組みを志向している。だがあくまで共和政とその民主的制度に帰属してはいる。
・共和民主党(Parti Républicain Démocrate)。社会党台頭に伴う伝統的右派政党の希薄化によって共和連盟と民主同盟が亡命に合流して立ち上げた中道右派政党。経済的にはリベラルで、社会面では保守的な一面ものぞかせ、議会内閣制、そしてもちろん反社会主義を掲げている。カトリック重視を公言しているが、政教分離問題については党内で分裂している。党の保守路線は敗戦によって色あせ、伝統的な支持基盤を社会党に奪われて弱体化するなかで、自らの存在を示すべく奮闘している。
・急進党(Parti Radical)。1902年以来第三共和政の有力政党で、経済・社会的にはリベラルだが、国益や公益が求められる場合は経済規制にも反対することはない。議会主義に強く傾倒し、極端なまで世俗志向、内戦や亡命後のカトリック熱の高まりを経てなお反キリスト教主義に近い。実際党内左派は当初革命を支持していたが、より急進的な左派組織には疎遠にされた。このため党はリベラル派で教育を受けた中上流階級の票田からの信任を失ってしまった。
新たな「ユニオン・サクレ」は社会党主導で、ド・ラロックが閣僚評議会議長となる。プレイヤーは連立崩壊を防ぐべく各政党間のバランス維持に気を払い、その間にも民主主義と共和政への信頼を回復するべく動くことになる。社会党の新しい大統領制共和国の構想を認めると、伝統的な諸政党を隅に追いやり、元大佐に実質的な自由裁量権を与えることになる。もし旧中央勢力が政権を握れば、社会党を追放して第三共和政の精神を復活させようとするだろう。
民主政治ルート。ここで社会党の強化か無力化、あるいは連立維持を選択して史実第五共和政のような強力な大統領制を敷くか、あるいは議会優位の第三共和政を存続を選べるようだ。
モルダック主導――国家救済委員会
ペタンがモルダックを選択しなかった場合、プレイヤーの選択肢次第ではイベントが分岐し、モルダックは元帥へのクーデターを敢行して、来る戦争に備えたフランスの準備を進める軍人、政治家、専門家から構成される「国家救済委員会(Comité de Salut National)」を組織する。ペタンがモルダックを後継に選んだ際にも、軍内部の反動勢力のクーデター未遂への反応として委員会設立のオプションが与えられる。委員会は軍の要求を満たすことのみに専念し、より抜本的な政治改革については後に回す。アルジェの急速な工業化とフランス社会の更なる動員・軍事化を進め、フランス系と原住民の区別をしなくなる。だがこれはモルダックにとってあくまで一時的な措置だ。本土を回復すれば、彼は時期が来たとして退任し、民主主義を完全に回復する。
ペタン続投――フランス再興
フランシェ=デペレの後任指名を拒んだ場合、ペタン元帥は反対派への多かれ少なかれ実力を伴う弾圧を通じて、自身の政権への信任を再び蘇らせようと試みる。選択次第では元帥が「フランス再興」を自称するグループと接触を持つ。一部の経営者集団、シンクタンク、先駆的実業家の宣伝部門から構成されるこのグループは、「エリートの結束と大衆への啓蒙」を掲げている。グループは(自身の存続に不可欠であるからという理由で)ペタンに忠実であり、言うまでもなく熱狂的な反社会主義者だ。フランス再興はその莫大なリソースを費やしてペタンの政治闘争勝利に貢献するが、時間と役職が与えられれば、「フランス再生」は強大な権限を握り、自らの構想をペタンに実施させようとする。
グループは行政と政治制度の再編と「合理化」、「社会問題」に関する上流階級優遇を提唱し、階級間の協調、財産にかかわる諸権利の強化、各特別委員会における政策構想過程で「愛国実業家と知識人」の更なる登用を進める。彼らは伝統的な議会内閣制民主主義を懐疑的に見ており肥大化し、革命に一部責任があると考えている。要約すると、彼らはテクノクラート重視で、上から目線の父権主義者で、コーポラティストだ。軍事政権の新たなイデオロギー的原動力として民主派の抵抗に対処した後、ペタンにかつての薄弱な「臨時非常大権」や、共和政の制度や伝統を撤廃し、専制的傾向を受けいれて「フランス国」を樹立するよう促す。この結果独特の政治体制が生まれ、ヴェルダンの獅子の手中にはかつてないほどの権限が集中し、経済の大規模な自由化と一部の父権的な社会改革を実施する。
ペタンルートのツリー。「国民革命」や「勤労、家族、祖国」など、史実のヴィシー政府を意識した言葉が並ぶ。
共和政終結――アクション・フランセーズ
フランシェ=デペレ元帥の後任にドゴールを選んだ場合、ペタンは後継者の未来を確かなものにしようと試み、軍内部の親モルダックの改革派の摘発を開始する。先のPRで一例を示したように、これは悪い結果に陥る。軍改革派から民主派、初期はアクション・フランセーズまでが元帥への怒りの声を挙げ、反対派が勢いづく。この社会不穏に対処すべく、ペタンはアクション・フランセーズからのメディア援護と独自の準軍事組織「カムロ・デュ・ロア」、更に(ペタンには内緒で) 脅迫や暗殺、爆弾テロなどの卑劣な手段を用いての援助の申し出を受け入れることができる。この提案は功を奏し、激しい流血の中で社会不安は収まる。ペタン元帥は憔悴し、自身が命じた摘発による惨劇に心を痛め、徐々にドゴールへの権力移譲を進める。最終的に元帥は隠居を強く勧められ、シャルル・ドゴールが国家元首に選出され、新憲法樹立のために議会から全権を与えられる。
だがドゴールはオルレアン家請求者の「ジャン三世」ことギーズ公ジャン・ドルレアンを呼び戻し、ギース公は戴冠と君主制復古を宣言する。ごく少数の人間が勇敢にも怒りの声を挙げるが、ほぼ大多数の人々は驚かない。
アクション・フランセーズのイデオロギーは統合主義の理論家、シャルル・モーラスの言葉でまとめることができる。
『今日のごときフランスを愛するためには、そうならしめた原因を憎まなくてはならない』
アクション・フランセーズはこのチャンスを利用して、自らのイデオロギーである統合主義的君主制を実現する。すなわち絶対君主制、継承制、反議院内閣制、反動主義、反革命、大規模な分権化、コーポラティズム、全カトリック教徒の君主、地域ごとのアイデンティティ擁護、フランス王国時代の伝統的機関を模範とするというものだ。この復古王朝は共和主義のあらゆる残滓、そして統合主義者たちが全てのフランスの病巣であり、これまでのすべての革命の元凶と責め立てる「反フランス的」な「四つの共犯階級」――ユダヤ人、フリーメイソン、プロテスタント、メトイコイ(外国人)の根絶を実施する。
アクション・フランセーズのスローガンである「政治第一」から始まる王政復古ツリー。貴族への昇格や国王独裁などの言葉が並ぶ。
軍事ツリー
選択したルートに応じて、プレイヤーは異なる軍事ツリーを解放できる。この危機の発端はそもそもドクトリン論争だ。民主制復古や国家救済委員会の設立などのモルダックルートであれば、新たな元帥は非常に野心的な軍事改革を導入し、フランス軍をその根底から再編する。そのなかには56歳以上の全将校の引退、単独の最高司令官の下での全軍部局の統合、フランスの市民皆兵の伝統に則った総力戦体制に向けたフランス社会の動員が盛り込まれている。
ペタンかドゴールを選んだ場合、プレイヤーの軍事ツリーはより伝統的だ。ドゴールの提唱する改革案では急進的改革には重点を置かず、軍の充実を目的とする。機甲師団に随伴する近接攻撃機、戦場における将校の権限拡大、そして伝統的な徴兵軍と並行して、職業兵士の核となる兵役の延長をより重視する。
現地人への対応
言うまでもないことだが、亡命フランスの領土は圧倒的に現地人の方が多い。彼らは権力から大きく取り離され、フランス人のくびきや強制労働に苦しむ地位に押さえつけられている。だが誰もが現状維持に満足しているわけではなく、プレイヤーの治世は挑戦を受け、特にサハラやサヘルといった植民地帝国の僻地であるほど激しくなる。原住民レジスタンスは敵国から資金と武器を与えられ、プレイヤーがこれに対処できない場合、反乱が発生し、国粋フランスの存続そのものが脅かされてしまう。一部地域が失われれば、今まで隷属に甘んじていた人々にも蜂起を促す結果に陥る。各ルートごとに現地人への対処法は異なり、それぞれ違った効果を有する。
再建
本土を再征服し、社会主義革命に終止符を打った場合、プレイヤーは解放した国民の精神を征服し、都市部を再建しなくてはならない。全てのルートが共通の復興ツリ-を有している。まずは早急に本土回復後の被害に対処すべく、立法府を再建し、コミューンの指導者たちを裁判にかけ、大規模な救済政策を実行し、その後の数百万もの亡命人たちの帰郷に対処しなくてはならない。本土が安定すると、今度は戦争の物理的被害を修復し、それが終わるとようやく未来を見据えることができる。プレイヤーは新たにコミューン軍や民兵の残党から豊富な人的資源を、フランス・メトロポリテーヌ(本土)から大工業力を獲得し、更なる戦争に向けて軍を抜本的に再編しなければならない。社会主義の脅威は消えたかもしれないが、フランスは新旧含めて多くの敵を抱えている。
本土を再征服するということは、フランスが大国としての地位を取り戻すことでもある。協商の盟友たちとの永遠の結束を強化し、ドイツとその屈辱的な占領下に置かれている正当なるフランス領土へのアプローチ方法について選択できる。プレイヤーが対コミュナード同盟国に嫌気が差しているなら、仏独間に新たな、より平和的な関係を構築することも可能だ。
復興ツリー。裁判や行政機関改革を終えると陸海空や秘密兵器ルートが解放される。右の外交ツリーには「ナンシー問題」から「ヴェルダン会談」に続く仏独融和ルートと、協商との歓迎会強化からアルザス・ロレーヌ奪還を目指すルートが選べるようだ
どのルートでも復興ツリーを進めると、新たな政治ツリーがオープンする。亡命時代の選択はこのツリーにも影響を与え、フランス解放後の様々なルートを取り扱っている。
民主主義の復権
ユニオン・サクレ政府、または国家救済委員会で全フランスを解放すると、民主主義戦後ツリーが解放される、これまでの選択肢に応じて三つのシナリオが用意されている。
・民主連立が均衡を保った場合、復古民主制の基盤を固める新選挙が開かれる。急進党は中道左派勢力としてついに自立し、革命に参加した左派に手を差し伸べる。彼らはコミューンが残した現実を一部認め、社会共和国を建国する。中道派は団結し、「共和結束(Concentration Républicain)」論の名の下に中道右派と中道左派の新たな連立を形成し、反議会政治を掲げて影響力を伸ばす社会党に対抗し、第三共和政の遺産を強化しようとする。最後に、フランス社会党はこのルートでは弱体化し、アルジェリアで培った「大衆政党」としての基盤からも切り離されたため、新たに広域保守連合を立ち上げ、より現代的な政策綱領と共和国の準大統領制導入を掲げる。どのルートでも第四共和政が宣言され、今後数十年に及ぶフランス政治の未来を形作る。
・社会党が連立内での優位を維持すると、ド・ラロックが大統領に選出され、実質的に敵がいなくなったことで、共和国を望み通りの形に変える。上記の保守連立を形成するが、今度は社会党の反議会政治路線を前面に押し出して大統領制を導入し、ド・ラロックが志向する形の新たな民主制国家が確立される。
・最後に、ド・ラロック大統領は選挙招集を取りやめ、民主制復古にはまだ不安定すぎると信じる軍内の勢力から支持を取り付けて新たな国家機関を掌握することができる。この場合、大統領は半永久的に国を統治し、共和国を完全な独裁国家に変える。そこでは民主主義は単なる遠い記憶で、コミューンはうすぼんやりとした面影でしかない。
元帥の勝利
元帥がフランスを回復すると、フランス再生の思想を本土にも導入する。このテクノクラート重視の専制国家は自らの体制を合理的民主主義、エリートによる統治と喧伝し、より穏健な保守派と接触する傍らでほとんどの経済的制約を撤廃する。経済の原動力となる父権的な産業家ブルジョワジーが最善を理解し、その細心の指導の下でフランスを企業のように効率的に統治する。万人の繁栄のために。
王国回復
アクション・フランセーズの統合主義者たちが権力を獲得し、全フランスを解放すると、彼らはあらゆる共和政の残滓(彼らいわくフランスの売春⦅Gueuse⦆)を本土から一掃する。自身の統治を正当化するため、アクション・フランセーズは様々な戦術を用いる。例えば革命はドイツ人がフランスを内部から崩壊させようと企んだ陰謀であると宣伝して反独感情を煽り立てたり、国家サンディカリスム派を糾合して王党派思想への転向を促したり、工業プロレタリアートの軽視は自由主義革命の結果生じた産物であり、誇り高きフランスの職人や労働者たちに追っての悲劇だったと主張するだろう。さらにフランス王国時代の各地方議会を復活させ、徹底的な自治分権化を推し進め、共和国の中央集権化で大きな被害を受けた地方主義者たちに接近する。カムロ・デュ・ロアは全国的な青少年組織に変わり、次世代のフランス人たちがアクション・フランセーズが認めた路線に教育され、『フランスは数々の王が形作った国であり、王はフランスに仕える』という思想の核心を学ぶだろう。最後には自らのカトリック政策を押し占め、階級間対立を防ぐため、信仰を第一に優先するコーポラティズム的経済を創設しようとするだろう。
これで国粋フランスについては以上です!リワークが来た時に亡命フランスで楽しんでくれると幸いです。