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【翻訳】Kaiserreichマイナー・マンデー フランス共和国の戦車史+新しいフランス共和国の国旗
(原文と高解像度の画像はこちらから↓)
https://www.reddit.com/r/Kaiserreich/comments/j6ckjz/the_history_of_tanks_in_the_french_republic/
皆さんこんにちは、ZIMです。このKasereich世界でのフランス共和国の戦車開発記、および来るリワークにおける国粋フランスの仮想戦車たちを扱うマイナー・マンデーが遅れに遅れてしまい(フランス政府的には通常速度で公開していると言えますが)、すみません。それではEdouard Saladierの力作をどうぞお楽しみください。
大戦期の戦車
フランスにおける戦車開発は大戦中に始まった。大規模攻勢(エーヌ会戦の婦人通り⦅Chemin Des Dames⦆での攻防など)の犠牲が膨大な数に上り、敵戦線の突破に何ら具体的な戦果を挙げることなく大失敗を重ねたため、フランスとイギリスはこの膠着状態を打破する新型車両、すなわちノーマンズランドのあらゆる地形を走破し、乗組員の保護と火力向上を両立させた、装甲に包まれた自走兵器――戦車の開発に着手した。
だがシュナイダーCAやサン=シャモンといった初期のフランス戦車の設計は貧弱で、多くの故障に苦しめられた。更にドイツ軍はすぐさま対抗策――長距離砲を採用した。ニヴェル攻勢では戦車の装甲が容赦なく貫通され、結局ドイツ軍塹壕網の先端すら突破できなかった。
フランス最初の近代的戦車はルノーFTだった。全周回転砲塔、前面に操縦部、後部に機関部のレイアウトを備えた設計は革新的で、戦局を一変しうる可能性を秘めていた……もっと早く適切な予算を投じていれば。1917年、クレマンソーがペタンの最高司令官昇進を阻止したことで、エティエンヌ将軍の戦車開発班は政治、資金面での後ろ盾を失ってしまった。結局ペタンがフォッシュの後任として昇進したのは1919年になってからで、そのころにようやくルノーFTは生産を開始した。だがすでに遅すぎた。この年以降、前線は崩壊し、サンディカリスト革命によってフランス勝利の望みは完全に潰えた。しかしFT戦車の運用は非常に限定的ではあったものの、のちの戦車設計思想に革命をもたらし、その革新性は戦後のあらゆる戦車の開発に影響を与えた。
ルノーFT戦車。史実では1917年に採用されている
戦間期
大戦敗北の屈辱の後、フランスはサンディカリスト革命によって分断された。両フランスとも初期はFT戦車をベースに発展を進めてきたが。設計思想は離れ、二つの全く異なる戦車開発系統図が生まれた。本土では戦車企業が国有化され、開発は新生コミューン軍の監督下に集約された。一方の植民地では、戦車はいまだ資金豊富な工業系大企業が開発を主導し、フランス陸軍が決定した使用の下、各企業がコンペティションを繰り広げた。主要企業は三つあった。一つはFT戦車を設計したルノー。残るプジョーとシエトロンには戦車開発の経験は乏しかったが、それでも亡命共和国で戦車の開発を開始した。
亡命フランス陸軍で最初に採用された戦車はルノーFTの直接的な発展型だった。NC modèle 1927はFT戦車を延長してサスペンションを改善したもので、装甲や火力の面も更に向上した。だがフランス軍最高司令部は満足せず、生産許可は下りなかった。次の戦車はFTよりも更に防御力が向上した。そして最も重要な点として、三人の乗組員を収容するために大型化した。さらに砲塔は将来的な砲身の改良や変更を見越して手を加えられた。こうしてこの戦車は採用され、CMR-28(Char de Manoeuvre Renault – modèle 1928)と命名された。
史実のD1戦車ことCMR-28
その後も多くの戦車がフランス軍への採用を検討されたが、亡命によって生産力が制約されたことで、生産効率最大化のため、後継機に関してはCMR-28をベースにすることが決まった。これまで同様機動戦車(Char de Manoeuvre)と命名されたCMER-35(Char de Manoeuvre d'Ensemble Renault modèle 1935)戦車が開発され、エーメ・ドゥマン将軍の戦車運用教本配布と共に生産を開始した。シエトロンの競合案はフランス陸軍には採用されなかったが、走行車両開発継続のために政府から助成金が公布された。
史実のD2戦車ことCMER-35
その一方で、フランス陸軍はもう一つの任務を担うべき戦車、突撃戦車(Char de Rupture)も求めていた。その名の通り、フランス陸軍は敵要塞の最難関部ですら破壊できるような強力な車両を求めていた。そのためこの戦車には敵火砲の直撃弾にも耐えうる強力な装甲が必要とされた。プレイヤーが開発を進めた場合、この戦車はCRP-37S(Char de Rupture Peugeot modèle 1937 avec Tourelle S)として採用される。ルノーはFT戦車をベースに対抗案開発を試みたが、この古いモデルは限界に達しており、試作案は審査委員会の手ですぐさまその貧弱な内容が明らかになり、廃案となった。これに激怒したルノーはその後重戦車設計から手を引いた(そのためルノーB1はない。そもそもコミューンの重戦車として採用されているのでフランス共和国側で使う機会はない)
史実で試作されたAMX 37ことCRP-37の断面図
CMER-35戦車の採用によって、CMRベースの戦車は廃れ、次の戦車は一から設計することとなり、ルノーとプジョーが試作案を提出した。ルノー案はこれまでのモデルから設計思想の多くを継承していたが、プジョー案はCRP-37とCMER-35のハイブリッドを目指した。この戦車の主な改良点は砲塔を操作する四人目の搭乗員を(ようやく)追加し、戦車長が任務に集中できるようになった点だ。そして最大の特徴として、傾斜装甲を採用し、装甲厚を肥大化することなく防御力を向上させた点にある。プジョー案は戦闘戦車(Char de Bataille )CBP-39(Char de Bataille Peugeot modèle 1939)として採用された。戦車は瞬く間にフランス戦車部隊の主役となり、防御力や機動性、火力のバランスが取れていると評判となる。
史実で39年に開発が検討されたAMX TRACTEUR BことCBP-39の設計図
では最後に、こちらが戦車研究ツリーの全容図です
公開された新しいフランス共和国の国旗
こちらは現在のバージョン