【連作四十九首】うみテラス
ぐるぐると日々は表情変えながら反対向きに時針を回す
2019年08月19日 犬山
あのひととは、僕が主催した集まりの場で初めて会った。
ひどく暑い夏の日だった。
オンラインのやりとりでは同性だと思い込んでいた。
意識的に中性的、無性的で在ろうとしていたことを知ったのはずいぶん後になってからだ。
図らずも同じデザインのTシャツを着ていて(会場に選んだ動物園の公式グッズだった)、
顔なじみの飼育スタッフさんからペアルックですね、なんて茶化されたりもした。
あのひとは大好きだというオリーブ色のヒヒの群れをずっと見ていた。
並んでヒヒを見ていたら、放飼場に設置されたスプリンクラーの作用で虹が出現した。
傷を負った老齢と見られるヒヒが虹をくぐるのを見ながら、何も言わずただ時間を共有していた。
餌をあげてはいけません猿たちはさみしさで満たされてゆくから
ひび割れた柿ふわり舞い弧を描き狒狒我さきに駆けて頬張る
鮮血のにじむ尻尾に虹かかり 傷も痛みも洗い流す雨
また昇る若い太陽燦燦と 登り降りつつ暮れゆく夕陽
バナナ味アイス食べるのへたくそで 溶けかけを分け合った駅前
2020年01月26日 下北沢
犬山での集まりの後もオンラインで交流を続けていたが、
慌ただしく解散してしまったこともありまだ話し足りない気がしていた。
ちょうど2019年の暮れ、今読んでいる本を貸し借りしましょう、
という話になり、年明けに下北沢で食事をした。
あのひとが持ってきたのは河合雅雄先生の自叙伝だった。
その後訪ねた書店でも、あのひとは時に真剣に棚を眺め、
時にずんずん店内を回遊し、最終的にある詩人の書いたエッセイを選んだ。
自分にはない視点、やり方で本と向き合っていて、すぐれた読者だと直感した。
後にあのひと自身の持つすぐれた詩の才にも気付くことになるが、それは少し先の話になる。
別れ際、次の約束をした。すぐ会えるとまだ思っていた。
ほどなくして、感染症の拡大が始まった。
京王も小田急も縁遠いから集合は改札からぐるり
本のこと。ほんとうのこと。どちらでもいいことなんてここにないこと。
2020年03月21日 夢見ヶ崎
下北沢での別れ際、春には桜を見よう、
桜を見ることができる動物園に行こう、と話していた。
最初の計画では桜木町に行くつもりだったが、情勢は変わっていた。
新型感染症を警戒し野毛山動物園が休園していたため、川崎で会うことになった。
この日は晴天で、公園内はレジャーシートを敷いた人たちで賑わっていた。
迫りくる感染症の不安を忘れたかった、眼をそらしたかったのは、
きっとその人たちも、僕たちも同じだったと思う。
桜は満開だったが、何となく自分が悪いことをしているような気分になった。
次はいつ、とも約束できず、何ともなく解散した。
「夢見ヶ崎」の地名の由来は、太田道灌が見た凶夢だった。
徒歩十五分の微妙な遠ささえうれしく「たべっ子動物」を買う
もう春の息吹が薫るトンネルを夢見心地でくぐってみせた
足あとが描かれている石畳ふたり踏んではゆらゆら歩む
シャッターを自力で上げる猿が好き 今日は開店休業だけど
桜舞うなかに駆け出し唾棄をしたラマの瞳の燃え上がり方
2020年3月末~6月
コメディアン、志村けんさんの新型感染症による逝去が報じられる。
世相は本格的に暗く、厳しくなっていった。
それまで営業を続けていた動物園・水族館も一斉に休業を開始した。
あのひととは、ときどき暮らしぶりや、情勢が落ち着いたら行きたい場所、
手慰みに描いた絵などを交換した。ラジオに詳しくて、
音楽や文学を紹介する番組をたくさん教えてくれた。
いいですね!という返信が、いつのまにか定型句になっていた。
行きましょう!と返信してもらった場所のリストだけが連なっていった。
「行きましょう!」「『粋真将』って関取が居そうですね!」なんて 冗談
いいね!だけしていくことはいいことか分からない ただ言い訳がない
2020年06月27日 金沢文庫
次に会うときはもっと大きな動物園に行きましょう、と話していた。
1回目の緊急事態宣言の解除後、金沢動物園で会うことにした。
道中、駅前のパン屋さんでお昼に食べるパンを選んだ。
あのひとは笹井宏之さんの『えーえんとくちから』を貸してくれた。
何回も何回も読み返して、このときから短歌がぐっとすきになった気がする。
広い園内だったが休憩所は意外と混んでいた。
水場に寝そべってびくともしないインドサイの前のベンチが空いていたので、
サイに背を向け、初夏の万緑を見ながらふたり黙々とパンを食べた。
初夏というのに鶯がみんみん蝉と鳴き声をぶつけ合っていた。
帰り道、また会えなくなってしまうかも知れないと思って、好意を抱いていることを伝えた。
あのひとは少しだけ黙り込んだあと、友達からなら、という曖昧な返事をした。
あとで調べたら、初夏にさえずる鶯は春に行き遅れた雄が多いのだった。
引っ込んで角が見えないオリックス 尻尾ふりふり満足ですか
ユーカリの樹皮がはがれて剥き出しの薄い部分にそっと手をやる
この道を往く 非日常 にじむ初夏 季節忘れた鶯のこえ
なかよしになれたかな って 出口にて自動人形たちに目くばせ
2020年11月14日 平塚・小田原
金沢動物園を歩いて以来お互いに忙しく、
また何となくよそよそしい間柄になってしまって、
なかなか会う機会を持てていなかった。
すぐ会えなくなってしまうというのは、世相だけが問題ではなく、
関係性とか、温度感の問題だった。
うちの近所の博物館の中にあるプラネタリウムに行きませんか、
とあのひとに提案してもらったのは秋だった。
亀が池で日向ぼっこをしている八幡宮を通り、博物館を目指した。
プラネタリウムのチケットはあのひとが取ってくれた。
小さなプラネタリウムだったが、解説は本格的だった。
感染症対策のため、ひとりぶん席を離して座った。
地層や鉱物の標本が並んでいる棚が好きなんです、とあのひとは言った。
2時間も3時間も博物館で過ごしていたと思う。
そういう過ごし方ができるひとだった。
夜は小田原を歩いたが目的地だった小田原城下のレトロな遊園地は閉まっていた。
駅前のおでん屋で日本酒を飲んだ。
色々な話をした気がするが実のところ内容はあまりよく憶えていない。
いま思えば、平塚でゆっくり時間を過ごした方が楽しかったかもしれない。
通年でたなばた飾り揺れる駅 あなたの街を何も知らない
牽牛に引かれたひかり時をかけ幼き日々の夜市を照らす
引っ込んでしまうまふゆの星々を虫干ししたらちょうどいい夜
ざくろ石まんがん石にばら輝石 磨けば光る路傍のくすみ
愛だとか夢だとかすり潰してさ なうまん象の虫歯に詰める
天守閣前に猿の香ただよって浮かぶ秀吉公の猿顔
昨年は入れた子ども遊園地 バッテリーカーどこにも行けず
2021年3月21日 江ノ島・藤沢
海に行く予定だったが雨降りだったので水族館に予定を変更した。
当日は、予報が外れた。悪い方に。
台風さながらの嵐だった。
ちょうど1年前の夢見ヶ崎とは正反対の天気だった。
あのひとは小さな折り畳み傘で来てしまっていて、
どうにか相合傘の格好で水族館まで歩いた。
徒歩5分の短い道のりでもびしょびしょになってしまった。
つくづく天候が恨めしかった。
水族館は楽しかったけど、帰り道もまだ土砂降りだった。
藤沢の小田急でミモザのサラダを食べながら、
やっぱりよく考えたけど友だちで居ようと思う、とあのひとは言った。
きっぱりとした表情だった。
「雨に降られるのも楽しみ」に、しても、暴風雨なんて聞いてないよね
球形のブルージェリーを背に座りずっと漂うこころの惑い
相模湾大水槽でしゃがみ込みハタを見る眼が澄んでいたこと
チケットをペアで取ったら引けるくじ で、引き取った亀の人形
よいおともだちでいましょう ストールを巻いて鰓呼吸をひた隠す
あんなひどい日になったのに、
今度こそどこかで海に行こう、とその日のうちに連絡をくれた。
ひどい日だと思っていたのは僕だけだったかも知れない。
と、思ったのも、思い上がりだったかも知れない。
モノクロでなく灰色だ 日比谷線13000系のおはよう
フロイトを引いてあなたが口にした「備給」の意味をそっと調べる
翔びかけたかなぶんの翅なまはんかさわれないなら去ればいいのに
2021年7月11日 国府津
東京都に4度目の緊急事態宣言が適用される前日。
国府津海岸に行けることになった。
僕がずっと行きたいと言っていたビーチコーミングに絶好の日だった。
西湘バイパスの下をくぐるときらきらひかるうみが見えてくる。
江ノ島に行く時に贈ったヒヒのブローチを帽子につけてくれていた。
レジャーシートを広げ、持ってきてくれたラムネを食べた。
その後波打ち際に出て、しゃぼん玉を吹いた。
たから貝やシーグラスを拾った。
おだやかで静かな再会だった。
あのひとはビル管理に関わる資格を取ろうと勉強しているのだという。
また会おうと約束したけれど、それが何か月も先になることは分かっていた。
国府津駅のプラットフォームで名残惜しくて、
セブンティーンアイスを食べながら一本電車を見送った。
聞き馴染みない終着の駅前に広がるという透きとおるうみ
うみへ往く夢見たのです、不要でも不急でもなく浜辺は続く
木槿?芙蓉?どちらでもいい、空色のシャツに似合った刺繡でしたね
逆さまにキャップをかぶり少女より少年に似たあなたのひとみ
しゃぼん液こぼしてしまう みず糊の匂いが粘りつく指と指
フロートに浮く 爆弾であることを辞めた檸檬の輪切は銀河
よろよろと発つ揚羽蝶 潮風を受け海原へ羽ばたいてゆけ
セブンティーンアイスを舐めて青春と呼ぶには遅い温度と湿度
かけらさえもうみだ「だいじなもの入れ」の 外貨 軽石 シーグラス など
2021年11月20日 横浜高島屋前
国内での感染症動向が落ち着きを見せ始めた10月頃から、
外出する機会があれば一緒にどうかと声をかけていたが、
平塚から引っ越すので落ち着いたら、という返事だった。
11月に入り、ようやく都合がついたようだった。
妙蓮寺の書店へ行くことを決めたのが11月9日。
楽しみにしています、という前向きなことばが嬉しかった。
果たして当日、あのひとは来なかった。
確かに平日は既読が付くばかりだったが、引っ越したばかりで
種種の手続に追われているのだろうと気に留めていなかった。
しばらく待ち、電話をかける。
都合が悪くなったのだろうかと軽く考えていた。
電話にはご両親が出た。
あのひとは5日前に、突然この世を去ったと告げられた。
にぎわう横浜駅前から、色彩が急速にうしなわれたように感じられた。
昼前はどこかうつろな電飾の外骨格をさらした胡蝶
再会を喜ぶ笑顔、顔、顔、顔、顔、もうあのひとは居ない(居ない!)
あのひとはWeb上にたくさんの詩歌を残していた。
最後の更新は、11月12日だった。
100題つくる、と宣言して取り組んでいた詩作は、72題で止まっていた。
書きかけの詩を読み明かすあと二十八題残し途切れたページ
あのひとが駆けたことさえ知らないでランドマークはきょうもかがやく
喜望峰狒狒はひねもすのたりとのいつかのはなし いそがないでよ
春の嵐の新江ノ島水族館で撮影した写真が
ふたりで撮った最初で最後の一葉になった。
並んでややぎこちなく笑っている。
その写真を見返すたび、いろいろな感情が去来する。
うみの底照らすプリズム赤黄色緑群青オリーブの日々