【園館訪問ルポ】「智の森」――多摩動物公園 ボルネオオランウータン舎(東京都日野市)
東京郊外のオアシス、多摩動物公園。多摩丘陵の地形をそのまま生かした広い園の一番奥に、ボルネオオランウータンたちが暮らす展示施設があります。
オランウータンたちが樹上生活者としての特性を最大限発揮して「吊り橋」を渡る様子が観察できる「スカイウォーク」で知られるこの施設。
広い放飼場や「自然林をそのまま展示場として生かす」革新性、オランウータンたちの生活の質を高める(≒環境エンリッチメント)ための多彩な取り組みといった多面的な魅力に溢れた場所ですが、最大の特色は、「多様な主体の参与」が極めて高い密度で可視化されている、「集合智のアーカイブ・ギャラリー」としての側面を有している点にあると感じています。
本稿では、私が過去に訪問した際に撮影した写真と文章を通じて多摩動物公園を「仮想訪問」し、動物園内の一施設から広がる豊穣な「智の森」を画面上に再現することを試みます。拙い記事ではございますが、実際に多摩動物公園を訪ねて展示の醍醐味に触れるきっかけになれば、これ以上の喜びはございません。
※なお、展示内容に関する記述及び写真は、全て訪問当時のものであることをあらかじめ申し添えます。
1. オランウータンたちと出会う
多摩動物公園のオランウータン舎へ通ずる道は大きく3方面。シロテテナガザルの前を通る道、ユキヒョウなど高山地帯に暮らす動物の前を通る道、有袋類たちの前を通る道です。
本稿での「仮想訪問」では、タスマニアデビルやワラビーといった有袋類を観察してから、オランウータンたちに会いに行く場面を想定しましょう。
長く続いた坂道がようやく下りに差し掛かった頃、木の温かみのある看板が見えてきます。"ORANGUTAN"――マレー語で「森の人」を指すことはよく知られているけれど、改めて綴りを意識すると、不思議な響きだなぁと感じます。
向かって右手には大きな櫓の最上階が見えています。どっしり座っているオランウータンの姿が既に見えていますが、私たちに気付いたのか、ロープを握りしめて櫓を降りていきました。慌てずに、道なりに進んだ先にある観覧スペースへ移動してみましょう。
下り坂に沿ってぐるりと正面の観覧スペースに回り込むと、先ほどの位置からは部分的にしか分からなかった放飼場の全貌が見渡せます。
頑丈なロープ――消防ホースがリユースされています――で有機的に結ばれた複数の櫓に、緑が生い茂る地面。スウェイと呼ばれるばね仕掛けの遊具も設置されています。
屋内施設を挟んだすぐ隣、先程とは違うレイアウトの屋外放飼場にも、オランウータンが佇んでいます。こちらの放飼場も、ロープで緩やかに連結した木組みが印象的です。
2019年7月10日現在、多摩動物公園で暮らしているボルネオオランウータンの数は9人。日本一の飼育数です。
2.オランウータンたちを、もっと知る
ふたつの屋外放飼場で姿を見せてくれたオランウータンたちの様子をしばらく(心ゆくまで!)観察したら、先ほど通り過ぎたドーム状の屋内展示施設に入ってみましょう。
ここではオランウータンという種の身体的特徴や、生態についての基本的な情報が解説されていますが、壁面を埋め尽くすように貼られた写真の数々がそれ以上に目を引きます。
バラエティ豊かな写真たちは、多摩に暮らすオランウータンたちの様々な表情や個性的な行動を窺い知る「窓」の役割を果たしているように感ぜられます。
目を凝らして情報を追っていくと、昔の園内の様子や、かつてこの園で生まれ、他の地域の動物園に引っ越したオランウータンの近況を紹介する写真が飾られていることにも気付きます。
「今、ここ」から「過去」そして「未来」に至る記録と記憶が、分厚い層を成して積み重なる場所。情報の洪水を浴びながらふと上を見やると、屋内放飼場で過ごしているオランウータンたちと目が合うことも。私たちは「観察」する主体ではなく、「観察」される客体でもあるのだ――そんなことに気付かされて、はっとさせられます。
※2021年追記 2021年7月現在、展示更新によってかつて集積された写真や新聞記事は観覧スペースから撤去されていました。したがって上で挙げた写真は過去のものになっていることにご留意ください。
3.森の奥へ
午前11時30分を過ぎると、オランウータンたちがメインの放飼場から離れた「飛び地」――「オランウータンの森」へ移動するための空の道「スカイウォーク」が開放されます。
とは言っても、ショーやサーカスではないので、渡るか渡らないかはオランウータンたちの気分次第。また、オランウータンたちの健康や安全を考慮し、寒暖や気象条件が厳しい日は実施されません。
オランウータンたちの後を追っていくと、飛び地の鮮烈な緑が視界に飛び込んできます。ここでは多摩丘陵の自然林の一部がそのまま生かされ、「木々の上で暮らすオランウータン」の姿を観察できます。休憩所も併設されているので、歩き疲れたらここで靴を脱いでひと休みしてもいいかも知れません。
休憩所に入ると、1枚の掲示物が目に入ります。「アブラヤシってなんだろう?」という素朴な問い。この商用植物の企業的な大量生産が、野生下のオランウータンたちが暮らす東南アジアの熱帯雨林に深刻な影響を及ぼしていることが示唆されます。私たちの生活と、アブラヤシから作られた製品が密接に結びついていることも。
4.「双方向的な協創」の可能性――「インタラクティブな動物園展示」へ
変化に富んだ、それでいて穏やかな展示施設の中で暮らす多摩のオランウータンたち。一方、野生下のオランウータンたちの未来には暗い影が落ちていることを、飛び地前の休憩所で私たちは知ることになりました。……それでは、これからできることは何もないのでしょうか。
そんな問いを抱えながら再び屋内展示施設に戻ると、先程は見落としていた掲示物が視界に飛び込んできます。日本の動物園で使われている消防ホースの吊り橋が、ボルネオ島の分断された森をつなぐプロジェクトにも活用されていることを告げる新聞記事。さらに、来園した方が寄贈されたハンドメイドの人形とともに、ボルネオ島の環境を保全していくための、様々な取り組みも紹介されています。
とりわけ目を引くのが「ジプシーの森」への募金箱。今から60年以上前、多摩動物公園開園の年にボルネオ島から来日し、世界の動物園でもっとも長生きしたボルネオオランウータン「ジプシー」さんへの「恩返し」として立ち上がった試みです。
動物がいて、施設があるだけじゃなく、その場所を訪れて感銘を受け、実践に移した人たちがいました。多摩動物公園のオランウータン舎は、そんな「人々のそれぞれの形での未来へ向けた取り組み」も、限られた施設内のスペースを縫うようにして余すところなく伝えていました。
近年の博物館や美術館展示の文脈では、来館者ひとりひとりの行動や実践と連動して展示効果を高める「インタラクティブ」な展示が数多く登場しています。
一部のイベント等を除き生きものに直接触れることはできない動物園・水族館という場でも、施設を訪ねた人たちの実践の輪へと新たな訪問者が繋がるきっかけになっていく、そんな「生きた展示」の可能性はこれからもっと広がっていくのではないでしょうか。
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