【園館訪問ルポ】台北市立動物園「教育センター」にて――謎の動物園(?)、「伊勢島動物園」の正体に迫る
東アジアを代表する巨大動物園、台北市立動物園。園内に置かれている「教育センター」(教育中心)では、動物園の歴史についても学ぶことができます。
中には、日本との動物交流が長く続いていることを示す展示も。日本語で書かれた、動物を送ってほしいという依頼の手紙も観覧することが出来ました。
……ところで、「伊勢島動物園」って、どこ?
もちろん「教育センター」では、相手方は「日本の動物園」としてしか紹介はされていませんでした。しかし、手紙には送り主と住所、年月日が記載されています。そこで撮影した写真を手がかりにして、聞き馴染みのない「伊勢島動物園」の正体についてリサーチを試みました。
まずは年月日の確認から。手紙は、1974年11月に出されています。戦後、高度経済成長の中で広がった動物園建設ラッシュが落ち着いた時代。ただし、東武動物公園や千葉市動物公園、アドベンチャーワールドなどはまだ開園していません。50年近く前のものなので、いまは閉園した動物園の可能性も残ります。
「伊勢島動物園」の住所は神戸市。現在神戸市内にある動物園としては神戸どうぶつ王国と神戸市立王子動物園の名前が挙がります。
しかし、神戸どうぶつ王国の「開国(開園)」は2014年。経営者交代前の神戸花鳥園も2006年開園ですから、この手紙の時代は存在しません。
次に王子動物園ですが、1951年開園なのでこの手紙が出された時代も存在しています。しかし、王子動物園が位置する王子公園は神戸市灘区。この手紙の住所は、神戸市生田区となっています。
神戸市生田区は、現在の行政区では中央区に位置付けられます。したがって、手紙の送り主は王子動物園ではありません。同じ市内ですが、少し離れています。
もう少し住所を詳しく見てみると、「生田区中山手通3丁目」とあります。現在の行政区では、「中央区中山手通3丁目」です。Googleマップでこの住所を確認しても、動物園の敷地があるような場所には見えません。
「伊勢島動物園」とは、何者なのか。「園長」として名前が記されている「吉川 敦」氏についても、Web検索では情報に辿り着けません。しかし、「吉川」という響きに、聞き覚えがありました。もう一度Googleマップを開いてみます。
あ り ま し た
この会社は、現在第一種動物取扱業廃業の届を提出しているようです。しかし、かつては動物商として、日本国内各地の動物園に動物を供給していた記録が残っています。
「園長」の名と会社名の符合、そして住所地が同じ行政区内に存在することは、「伊勢島動物園」と「吉川商会」との関連を色濃く映し出していました。
吉川氏が台北市立動物園と交渉する時に動物商と名乗らず、「動物園」の園長として手紙を書いたのが何故だったのかは知るべくもありません。
しかし、海の向こうの動物園で偶然見つけた一通の手紙から、ワシントン条約批准前の日本の「動物取引」の状況と、日本における「動物園」の曖昧さについて、考えるヒントをもらえたように思っています。