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10年前と比べて変わったこと、変わらないこと
最近、尾石晴さんの本を読んで、めちゃめちゃはまってしまい、Voicyを聴くようになりました。あの低音早口ボイスも素敵。内容も「聡明な方だなぁ」と感心しきりです。
その中で、「10年前によく買っていたけど、今は買わなくなったものがあるか」という話題が出てきました。聞けば、「そこに、価値観の変容がある」と。
なるほど、なるほど。
ならば、やってみようじゃないですか(笑)。
せっかくですから、10年前(中学校勤務の頃)、2年前(支援学校勤務の全盛期、一番忙しかった頃)、今、の3つで比べてみます。尾石さんが言っていた「価値観の変容」とは随分かけ離れてしまいますが、「教員ってそんな生活なの?」とか「介護ってそうなのね」とか、ふむふむ、なるほどと読んでいただければ嬉しいです。
※ちなみに私の家は、私の実家の敷地の中に建てましたので、お互いに「お願い」はしやすい環境です。
変わったこと
中学校勤務の頃
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中学校教員を23年やっていましたが、そのうち娘が生まれてからはだいたいこんな過ごし方をしていました。
「家事」なんて言っていますが、洗濯物の取り込みは母にやってもらっていたし、娘の夕飯も母に任せていたし、娘の宿題は父にお願いしていたしで、私は料理と後片付けしかしていませんでした。料理も、できないことが多かったですね・・・お惣菜やお弁当に頼っていたことも多かったです。夫の方が私よりも帰宅が早い日が多かったので、好きな物を買ってきてもらっていました。おかげで、食費がすごく高かったです。
娘と一緒に食事をとるのは朝だけでした。それを「当たり前」だと思っていた娘は、私が中学校教員を辞めてから、夕飯を毎日一緒に食べられることを楽しみにしていたそうです。
掃除も全然できず、休日にやっと掃除機をかけて、平日は床の上に荷物がたくさん置いてあるのを片付けられない有様。それが「気にならない」というわけではなかったのですが、「気にしていたら生活が回らない」という感じでした。
持ち帰り仕事も多く、繁忙期には「朝3時に起きてこなす」なんてこともよくありました。自分の体のメンテナンスができず、休日に整骨院によく行っていました。体のバランスも悪くて、整形外科にも通っていましたから、そこにお金をたくさん使いました。
ご覧の通り、私が自由に使える時間はありませんでした。休日に部活動の大会などで出勤することも多く、休みの日も娘を両親に預けることもよくありました。家にいても、娘を一人で遊ばせながら、教材研究をずっとしていました。
支援学校勤務の頃
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仕事の時間があまり変わらないように見えますが、実は通勤に1時間30分ほど使っていますので、実働時間はかなり短くなっています。帰宅は中学校勤務のころよりも1時間近く早くなりました。
そのため、娘と夕飯が食べられるようになりました。これは、嬉しかったですね。夕飯を食べながら、あれこれ話ができますから。夫の夕飯の準備もできるようになりましたので(夫の帰りは私よりも遅い)、自炊する分、食費は安くなりました。
相変わらず、洗濯物の取り込みは母に(たたむのは娘がやってくれたこともあったそうです)、娘の宿題は父にお願いしていました。
支援学校の仕事は、中学校よりも体力勝負、というところはありますが、パワー系の「作業学習」で体を使い、「体育」や「自立活動」で身体のメンテナンスを生徒と一緒に活動しながらできたので、整形外科には通わなくなりました。ときどき整骨院に行くぐらいです。ただ、年齢的に更年期真っ最中になりましたので、それに伴う通院はあります。そこにはお金をかけざるを得ません。
一日の中で40分程(早朝、私は4時30分に起きるのがもう何十年も日課です)、自分の時間が持てるようになりましたので、読書や手芸をしていました。これで気持ちを整えていた、という感じです。(この時間がなかった中学校勤務の頃は、どうやって日々を乗り越えていたのか、不思議に思います。若さで乗り切れたのでしょうか。)
休日出勤は全くなくなりました。相変わらず教材研究はやっていました。
今(介護休暇中)
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まず、仕事に行きませんから、以前使っていた「約12時間」がどうなったのか、と言いますと、もちろん「介護」が増えました。介護のために実家にいる時間が長いわけですが、ずっと介護をしているわけではない(必要があればする、という感じです。食事の準備、水分補給、リハビリ、トイレ、掃除、ゴミ出し、買い物、探しものなど)ので、だいたいこのぐらいの割合なのではないかと思います。
それから、自宅の「家事」を溜めなくなりました。今まで週に1回しかできなかった掃除は、毎日やりますから、床に直置きするようなことはなくなりました。洗濯物も全部自分でやります(娘もお手伝いしてくれます)。
娘とは朝食と夕食だけでなく、なんと帰宅後の「お茶」も一緒にでき、そのまま宿題を見てあげられるようになりました。
平日と休日の区別がつかなくなりました(笑)。娘がいる日が「今日は休日なのね」みたいな感じです。土曜日は母がデイサービスに行くので娘と過ごせますが、日曜日は実家と家を行ったり来たりしながら過ごしています。
働いていた頃と圧倒的に違うのは「動かない」ということです。そのため、一日に8000歩という目標を立てて、意識して動き回っています。Youtubeで室内散歩動画を流しながら足踏みしたり、簡単なエアロビクスをしたり、筋トレをしたり、という時間を作るようにしています。これは、私の健康維持のためです。「自由時間」という枠でやっています。
「自由時間」が結構あるように見えますが、実は、かなり細切れです。先ほど「介護」のところで書いた通り、「介護」をしていない時間というのが、自由時間になっていますので、一日の中で「介護も家事も食事も入浴も睡眠も身支度もしていない時間」と考えていただければと思います。30分まとまってとれたらラッキー、みたいな感じです。細切れではありますが、読書も手芸も筋トレも工夫次第でできます。休憩もできます。もちろんnoteも書けますし、読めます。むしろ、外に出ない分、家族以外の人と話をしなくなりますので、noteでは積極的にコメントするようにしています。
お金をあまり遣わなくなりました。収入がないので、無駄遣いできないというのもありますが、遣わなくてもなんとかなってしまうのです。「本当に必要な物は何か」を考える時間があるので、「とりあえず買っちゃおう」みたいなことが全然ないのです。「家にあるもので何とかなるかも」と思えば、探す時間も作る時間もあります(以前は探すくらいなら買ってしまえ、と思っていました。だから、後になって「実は持っていた」みたいなこともよくありました)。
あと、一番の違いは「突発的なことが起きても、いらいらしたり、焦ったり、怒ったりしなくなった」ことです。突発的なこと、というのは、自分のことではなく、娘だったり、両親だったり、夫だったりのことです。自分も仕事をしていて、余裕がなかったものですから、急に何か(頼まれごととか、通院とか、予定変更とか)を言われると「今言う?もっと前からわかっていたよね」といらいらしたり、「どうしよう、今日は仕事に穴開けられないよ」と職場のことを考えて焦ったり、怒ったりすることがよくありました。それが、今は全然ないのです。
理由は簡単で、1つ目は「時間があるから」です。週の始めに予定をすり合わせる時間、夜のうちに翌日の予定を再確認する時間があるから、急な予定変更はほとんどないです。「急」なのは、コミュニケーション不足から来ていることも多かったんだな、と実感しました。
そして2つ目は、「職場に電話をする申し訳なさがないから」です。朝になって体調不良がわかっても、「すみません」と職場に電話をしなくてよい、というのは本当に気持ちが楽です。職場が手が足りないのはよくわかっているからこそ、「介護や育児をしているとはいえ、職場に迷惑をかけるのは申し訳ない」となってしまいます。私自身は、同僚には「そんなこと気にしなくていいから、家族のために休んでね。」と言っていましたが、いざ自分が、となると、申し訳なさを通り越して悔しくなってしまっていました。今は、そういう気持ちを感じることがなくなり、本当に楽になりました。
変わらないこと
・毎朝4時30分に起きている(習慣で体が覚えているようです)
・入浴に1時間かけている(お風呂が一番のリラックスです)
・睡眠は6時間~6時間半
・身支度は働いていてもいなくても割と雑(笑)
・仕事にしても介護にしても、「やっていて満足感がある」(やりたくないと思ったことがない)
これは、私の性分なのかもしれませんが、「やっていて大変だな、苦しいな、つらいな」と思うことはあっても(寧ろ思わないことがない)、「だからといって辞めたいとも思わない」のです。仕事は「お金がもらえるからかな?」と思っていましたが、介護はお金はもらえません。だから、お金は私の生活上あまり大切な価値観ではないようなのです。また、介護は「娘の私がやらなければならないもの」でもありません。でも、「私がやるのが今の両親の状況を考えるとベスト」であり「それを私が嫌だと思っていない」し「介護を通して考えること、学ぶこと、自分が成長することがたくさんある」というのを考えると、すごく満足感があるのです。
仕事をしていた頃も、「他人の役に立てる感覚」が私の満足感となり、モチベーションになっていたのかな、という気がしています。
まとめ
自分で円グラフを作ってみて、びっくりしました。ワーカホリックもいいところです。どんなに仕事が好きで、満足感があったとしても、頑張り過ぎていたと思います。育児は今しかできません。親の介護も今しかできません。自分を取り巻く環境を大切に「今の自分はどのフェーズにいるのか」を考えながら生きていくことが大切だと思いました。と同時に、「私はどう生きていくとハッピー(ご機嫌)なのか」という感情面にも目を向けて、おそらく私をハッピーにしてくれるのは「満足感」だと思うので、自分自身が満足できるように生きていきたいと思いました。
かなりの長文になってしまいましたが、今回の記事は我ながら力作です(笑)。これからもときどき読み直して、自分を大切にしていきたいと思います。
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