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自分を快適な状態に置くことの難しさ

ついこの間、ニトリで涼しくて重い布団を買いました。季節の変わり目は特に眠りが浅く、ある程度重い布団は安眠をもたらすという話をどこかで聞いたのと、単純に夏用のちょうどいい布団を持ち合わせていなかったからです。

涼しくて重い布団を買うのは、結構悩みました。眠りが浅いとか、そもそも夏用のちょうどいい布団がないというのに、その不便さを前にしても、でも去年買ったタオルケットを被ればいいんじゃないか……とかどこかで言い訳をして、買うのを引き止める自分がいました。

結局、いい買い物をしたなと思いました。ちょうどいい重さで涼しく、安心感がある。これならさっさと買っておけばよかったと思ったのですが、そこで、自分は自分の「生活」を「快適」にするもののために一定額以上の買い物をしてはいけないと思っていることに気が付きました。

引っ越した時には、すのこベッドや仕事用の机など必要なものは買いましたが、布団などは実家から持ってきていました。この、「実家から持ってきているもの」というのが自分の中で大きな引っかかりになっているようで、自分は実家から持ってきたこれらで、どうにか生活をしなくてはいけない、と思っていたのです。そんなことないのに。

布団の下に敷くための追加のマットレスや、足のむくみに良い足枕を買った時も、勝手に買っていいんだろうかと思いました。一人暮らしなんだし、親からお金を借りて買うわけでもないから、自分が不快だったり不便だったりしたら買えばいいのに、我慢できるんじゃないかとか、誰かに怒られたりするんじゃないかと思っていました。

仕事で使うものは買えるし、100均で食器も揃えられる、スーパーに買物にも行ける。ただし、「生活」と「快適」が揃うと、急にブレーキがかかるようです。これは「娯楽」もそう。私もスプラトゥーンを買ってもいいんだ!と気づいた時は、青天の霹靂でした。

自分を快適な状態に置いてあげる、というのは、ここ最近自分の中で掲げている目標です。でも、今でもエアコンをつけるのは少し抵抗があるし、ちょっと暑いぐらい我慢すればいいじゃないと言う自分もいます。これが一体どこから来た自分なのかはまだ分かりません。

でもとりあえず、涼しくて重い布団は手に入れました。これで1つ私は、自分を快適にしてあげられるものを得たことになります。多分気付いていない不便さや不快さはまだあるのだろうけど、それにぶつかった時に、取り除けるなら取り除いてやりたいなぁと思います。

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