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保健室で泣いていた15歳の私のために生きてる #1
ねむみえりです。
普段はフリーランスのライターとして仕事をしています。
これを書こうと思ったのは、ずっと続けているカウンセリングで、「えりさんのような学生時代を送っている人が読んだら、希望になるかもしれない」と、カウンセラーの先生に言ってもらえたことがきっかけです。
なので、私は15歳の私(保健室登校を始めた歳)に向けて、未来から手紙を送る気分で文章を書いていこうと思っています。
中学3年生の修学旅行までは行っていたから、学校に急にいけなくなったのは、文化祭が終わったあたりだったんじゃないかと思います。明確なきっかけは覚えていないけれど、教室に入れなくなって、玄関から出られなくなって、制服を着られなくなって、音楽ばかり聴いていましたね。BUMP OF CHICKENだけが私の心の支えになっていて、ちょうどその時はスペシャでバンプが特集されていたから、毎日テレビの前で、食い入るようにバンプのMVを見ていたのはよく覚えています。ラジオのSCHOOL OF LOCK!も毎日聞いていましたね。学校に行けない私にとって、SOLは第2の学校でした。
中高一貫校に通っていたから高校には進めるけれど、一応受けなきゃいけない試験があって、その時は親に半ば無理やり連れて行かれましたね。教室に入れないから、授業も受けられていない。分からない問題が沢山あるテスト用紙を見て、今すぐここから逃げたい、階段から落ちて死んでしまえばいいと思っていたのは、強く覚えています。
当時の担任は、私が試験を受けられたことを褒めてくれましたが、私はあまりいい態度をとっていなかったと思います。当時はうるさいと思っていましたが、今思うと、私を気にかけてくれた優しい先生でした。もっと相談しておけばよかったのに、と思うのは、未来の私のおせっかいで、その時の私は自分のことなのに訳がわからない状態に置かれていて、自分が抱えているものを言語化できませんでした。
そんな混乱状態の私を受け入れてくれたのが、保健室でしたね。T先生にはお世話になったし、辞めてしまうと聞いた時は大泣きしました。大人になってからもたまにT先生には会うんですよ。自分の思っていることを言語化するのが上手くなったね、と言われた時に、その最初の手助けをしてくれたのは、T先生だったなと思いました。
頭に靄がかかったように何も考えられず、とにかく不安で、自分の感情の起伏をコントロールするために自傷もしていましたね。それを見ても怒らずに、ゆっくりと話を聞いてくれたのがT先生でした。「大人になった自分が、今の自分に声をかけるとしたら、何と言うと思う?」と言ってもらったことをきっかけに、私は少しだけ客観性を身に着けたんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。もう既に、他の人ならその言葉をかけられるけど、自分には言えない、みたいな感覚を持っていたような気がしなくもないです。根深いね。それは大人になった今でもあります。
3学期はほとんど学校に行かず、行っても保健室登校ばかりだった気がするけれど、同時に、終わりの会とか、6限目だけ出る、みたいなことをしていた記憶もあります。なんなら合唱コンクールの練習にも参加していた気がします。もう15年以上前のことなので、そこの記憶はあやふやです。1限目に間に合わないと分かると、全てが終わりのように感じて欠席する日が多かったけれど、終わりの会だけでもいいから、とか、6限目だけでもいいから、出席してみようと、粘り強く言ってくれたのも、保健室のT先生でした。そんな終わりから教室に入ってもいいのか分からなくて怖かったけど、クラスメイトは意外とすんなり受け入れてくれた気がします。
思春期外来に通い始めたのも15歳からですね。あの時は電車に乗ると人の視線が怖くて、イヤホンをして、帽子を深く被って、通院していた気がします。待合室でもそうだったんじゃないかな。視線恐怖が薬でだいぶ良くなったのはびっくりしましたし、そもそも人に見られていると思うと冷や汗をかくとか、自分の背後で笑い声がすると自分のことを笑っている気がする、みたいなことが、普通ではないことに驚きました。その症状は小学生のときからあったから、割と長めに苦しみましたね。今もないことはないけれど、15歳の私に比べれば、気にすることは減ったと思います。
きっと驚くと思うけれど、私はまだ生きてます。大学も卒業したし、仕事もどうにかしています。15歳の私からしたら信じられないでしょう。私は、15歳のときの私が少しでも、生き続けてよかったと思えるように、生きています。実際に声をかけることはできないけれど、保健室で泣いていた私に、意外とどうにかなると言ってあげたい。どうにかなるとか、人に言われるの好きじゃないと思うけど、私だから許してほしい。
15歳の私の話はここまで。
次は16歳の私の話を、15歳の私に向けてします。