ルイアゲハ -涙を食べる蝶- その6
蛇と女子高生
薄暗い森の中、わたしは蛇に睨まれていた。足がすくんで動けなかった。ちなみに蛇に睨まれたカエルということわざがあるけど、わたしはカエルじゃない。
花の女子高生だ。
日曜日だった。わたしの家は都心から少し離れた田舎にある。遊ぶところは都会と比べると少ないけれど、自然が豊かなところで、そこはわたしも気に入っていた。テストも終わったので、Tシャツにジーンズというラフな格好で、散歩がてらに森に入った。
多分この辺に住んでた昔の人がこさえたんだろう細い道を歩いていると、薄暗い木々の間から木漏れ日が降り注いで、それはとても美しい風景だった。そんな風にまわりの景色に見とれていたからだろうか、それとも薄暗い森の中だったからか、近くによるまで蛇がいるとは気づかなかった。
シャー、と威嚇する声が聞こえた。嫌な予感がして目をこらすと、数メートル先、森の影にカムフラージュされたような黒いウロコの蛇がとぐろを巻き、赤い二つの目がこちらを睨みつけていた。
正確な大きさは分からなかったが、長い胴体の蛇に思えた。時折チロチロと見せる真っ赤な舌は、まるで蛇の口の中が地獄とつながっていて時折そこから炎が漏れ出しているかのようだった。
全身の毛穴が開いて、そこからあらゆる困難に立ち向かう気力がぬけて行った。尻もちをつくと二度と立ち上がれそうにないので、すくむ足を必死にふんばる。
しかし、ふんばるだけでは事態は好転しない。逃げなければ。でも逃げられない。足が動かない。
蛇の顔がどんどん近づいてくる気がする…。いや、実際には近づいてないのかも。わたしの恐怖心が蛇の顔を大きくしてるのかも。
いややっぱり、近づいてる! 蛇の顔が近づいてくる!
恐ろしさに肺が空気をひゅーっと搾り出した。涙があふれて視界がぼやける。蛇の姿がにじむ……。
その時、頬を何かがかすめた。
涙のフィルターがかかってよく見えなかったが、それはヒラヒラと舞う蝶のような気がした。そして続けざまに、女の人の声がした。
「あなた、大丈夫? どうしたの? どこか具合が悪いの?」
わたしより背が高くて、長い黒髪の顔が、ぼやけた視界に入ってきた。年上のしっかりしたお姉さんのように思えた。
「は、へ、へび……」
わたしが喉から声を絞り出すと、お姉さんは蛇に気づいてくれて、地面に落ちている木の枝を拾って振り回した。
「シッシ! あっち行きなさい!」
蛇はお姉さんの剣幕に怖気づいたのか、逃げていった。
それと同時に、わたしの腰がストンとぬけた。
「ありがとうございました」
お姉さんの手をかりてようやく立ち上がり、涙をぬぐいながらお礼を言った。改めて見ると長いストレートの黒髪がとてもきれいなお姉さんだった。白いTシャツにジーンズ、わたしと似たような格好だったが、スラっとしたスタイルの良さはとてもかなわなかった。いわゆる美人さんだ。
お姉さんは辺りを見回すと、残念そうな顔をした。
「蝶を見かけなかった? こっちの方に飛んで来たと思ったんだけど、見失っちゃって」
「蝶? ひょっとしてさっきの?」
「そう。不思議な蝶でね。前に見たときは、白い羽が青に変わったの。その……信じてもらえないかもしれないけど。それでさっき見つけたのは、白い羽が紫っぽい色に変わったように見えた。ちょうどあなたの側を通り過ぎたときに」
「ああ、そっか。あの蝶って……」
「知ってるの?」
わたしはちょっと誇らしげに、お姉さんに自慢した。
「その蝶なら、うちのお兄ちゃんが研究している蝶ですよ」
助けてくれたお礼にと、その蝶のことを教えてあげるために、お姉さんを森の奥にあるきれいな泉に案内した。そこに蝶がいるのだ。道すがら、お姉さんにその蝶は涙を食べること、涙を食べると羽の色が変わること、お兄ちゃんが小学生のときに発見した新種の蝶だということを教えてあげた。
お姉さんは蝶に興味をもったようだった。
泉に着くと日曜日だというのにお兄ちゃんがいた。自分の見つけた蝶をもっと研究したいと言って、大学に残ることをこの間両親と話していた。
お兄ちゃんは、わたしを助けてくれたお姉さんにお礼を言って、蝶のことをたくさん話してあげた。
お兄ちゃんは完全にお姉さんにまいってしまったようだ。無理もない、お姉さん美人だし。ちょうどお姉さんも悲しい恋から立ち直ったばかりらしく、2人はあっという間に恋に落ちたのだった。
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