ルイアゲハ -涙を食べる蝶- その7
老人と少女4
「今度は紫の羽だよ、おじいちゃん!」
少女は、窓から入ってきた蝶を指差すと、老人に向かって嬉しそうに言った。
「紫の羽はどんな涙なの?」
「さあて、どんな涙だったかな。忘れてしまった。思い出したら教えてあげよう」
老人はとっさに嘘をついた。蝶の羽が紫色になるときは、恐怖の涙を食べた時なのだ。どこかの誰かが恐ろしい思いをしたと知れば、まだ幼い少女を怖がらせてしまう。
「うん。思い出したら、教えて」
少女は何も疑わずうなずいた。
「ねえ、おじいちゃん。また蝶を飛ばす?」
しかし老人は少女の言葉を聞いていなかった。紫の羽の蝶をじっと見つめ、初めて妻と出会った時のことを思い出していた。
大学に残り蝶の研究をしようと決めた、まだ青年のころ。妹が森で蛇に襲われ、通りがかりの女性に助けられた。女性は以前、羽の色が変わる不思議な蝶を見つけ、その蝶をまた見かけたので追いかけたら妹がいたのだという。蝶の羽は妹の恐怖の涙を食べて紫に変わっていた。
お礼にと妹が森の奥の泉まで招待して、そこで初めて2人は出会ったのだった。
「おじいちゃん、どうしたの? ぼーっとして」
少女の声に、老人は現実に戻ってきた。
「ああ、ごめんよお嬢さん。少し昔のことを思い出してね」
「ふ~ん」
その言葉に、少女は少し老人の過去に興味を持った。そしてこんな質問をした。
「おじいちゃんは、今まで見た蝶の羽の色で、どの色が好き?」
少女に無邪気な笑みを向けられて、老人はこう答えた。
「好き…というわけではないけど、もう一度みたい色ならあるよ」
「何色?」
「さあ…あれは何色だったんだろう。思い出せないんだよ。一度だけ、ほんのちらっと見ただけで……きっともう、見ることはできないだろうね」
「どうして? それはどんな涙だったの? うれしい涙? 悲しい涙?」
「う~ん……そうだなぁ……」
老人は考え込んでしまった。
(おじいちゃんまたぼーっとしちゃった……そうだ!)
少女は考えごとをしている老人の目を盗んで、グリーンの虫かごの屋根をあけてしまった。白い羽の蝶がまた空へと飛んでいく。
それを見て老人が少女に言った。
「これこれ。勝手にだめだよ、お嬢さん」
「ごめんなさい……でも、おじいちゃん。今度は、おじいちゃんがもう一度見てみたいその涙を食べてくるかもしれないよ」
老人は思った。
そうだろうか、そんなことがあるだろうか。あれは特別な涙だ……一生に一度、見られるかどうか……。
空へと羽ばたいていく蝶を見つめながら、老人は追憶の扉を開けた。
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