手放すからこそ見えるもの【私が残したいもの】
こんばんは!書くンジャーズ木曜担当 のせ です。
今週のテーマは【私が残したいもの】。
毎回難しいテーマだなぁ。
残したいものって「書くこと」に関してかなぁ。。
残したいからだから書いてるんだしなぁ。。。
と思っていたら、ふと頭に浮かんだこと。
我が家には断捨離マニアの妻がいて、日頃からとてもきれいに整理整頓されている。余計なものを増やさない暗黙のルールがあり、服などは新しいものを買ったら代わりに何か代わりに捨てることになっている(妻の名誉の為に言っておくが勝手に捨てられることはけしてない)。
元々、収集癖のある私には初めとても抵抗があった。特に本については学生時代から集めたものがたくさんあり、処分するということは考えられなかった。
妻に調教された息子が定期的に、いるものといらないものを選別し躊躇なく捨てていくのを見て、すごいなと感心していた。工作が好きなのに、自分が作ったものをどんどん捨てていくことが信じられなかった。
不思議なもので、そんな人たちと生活してると自分も処分できるようになっていく。今の家に引っ越す前には本棚3個分あった本が、いつの間にか1.5個分までに減っていた。
何の話をしていたんだっけ…そうそう、残したいもの。
処分するときは1冊1冊手にとって必要かどうか考える。「"今"必要だから」と残すものもあれば、「"今"は必要ではないけれど」残しているものもある。
例えば、「サクリファイス」シリーズを始めとする近藤史恵さんの作品。
これは、社会人になってからpodcastで毎週のように聞いていたラジオ「SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI」で紹介されていて、そこからハマったもの。
例えば、平田オリザ「演劇入門」「わかりあえないことから」「対話のレッスン」あるいは、國分 功一郎「暇と退屈の倫理学」「来るべき民主主義」。
これらは、演劇や哲学カフェに没頭した副産物として。
最後に、福岡伸一「動的平衡ダイアローグ」やマーティン・ウィンドロウ「マンブル、ぼくの肩が好きなフクロウ」といった、南日本新聞で書評を書いた作品たち。
最近は結構な数を処分しているのだけれど、今あげた本たちで悩むことはまずない。こうやってみてみると、これまでの人生の中でハマった時期があり、私という人間を形成しているものが残っていると言える。
書くことに関してもそうだ。自分が好きなものやおもしろかったことを誰かに伝えたいことを綴っているに過ぎない。
・・・これって、書くンジャーズの第1回目のテーマ「私が書く理由」で書いた内容とほぼ同じなような気がしてきた。いや、毎回同じことを書いているような気すらしてきた。
というわけで、何が言いたいかっていうと「断捨離は気持ちがいい」ってことです。