高等遊民になりたい僕ら
働かなくてもいいならニートでいたい。
夏目漱石『それから』を読んでいたとき、こんな一文が出てきた。
『それから』(1910年)の主人公長井代助は、親の遺産で暮らす30代男性である。「遊民」という言葉の意味は『日本国語大辞典』によると
と説明されている。また、夏目漱石『彼岸過迄』(1912年)にはこう書いてある。
ここで注目すべき点は「高等遊民」という言葉にある。「高等遊民」の意味について『日本国語大辞典』には
と、説明されている。つまりニートのことである。とりわけ、高学歴の人をさして言うことが多い。
「高等遊民」の初出は、僕が調べられた範囲では1904年5月に出版された徳富猪一郎『日曜講壇』に出てくる。
この言葉がもつ背景には「大学には出たけれど就職できない若者」が後を絶たなかったことにある。明治44(1911)年の新聞でもすでにこの「高等遊民」問題を報じている。
親がお金持ちであったり、世俗的な苦労を嫌い、自由気ままな生活をするためにあえて定職に就かない人もいるが(志賀直哉など)、それはごくわずかの話である。
とはいえ、うらやましい。僕も俗世間から離れてずっと本を読んでいたいし、図書館に通い詰めたい。出世を望んでいるわけでもなく、日々の暮らしが充実していればよいので、仕事だけで一生を終わらせたくない気持ちが強い。とはいえ、高等遊民の実態を知りたいとも思えたのである。
どの時代でも学校を卒業したらその先の進路があるはずである。就活の今昔を知る上で、明治時代から就活というものがどのように行われ、「高等遊民」と呼ばれる人たちの実態、時代を伴って抱える若者の就職難の実態を調べてきた。
いざ過去の就活の実態を調べようと思うと、過去の新聞記事や当時の日記、雑誌でしか知る余地がない。まず、当時の状況を知る手掛かりとして当時の新聞記事を見てみよう。
見出しに「新日本の根底を揺るがす 有識青年の失業時代 学校を巣立った若人の四割は春も花もない煉獄へ」と大きく書いてある。「煉獄」とはなんと若者に辛辣な。関東大震災、昭和恐慌を経た未曽有の大不況により、大学を卒業しても就職できない若者が後を絶たない。学生の数に対してなり手が少ないいわゆる「買い手市場」の時代だった。
ここで昭和5(1930)年3月に、東京帝国大学経済学部を卒業したある若者の回顧録を見てみよう。
上記の引用は、いわゆる著者の「覚書」で書いているので、すべてが本当かどうか定かではないが、さっきの新聞記事の内容と照らし合わせてみても、信ぴょう性を裏付ける貴重な証言である。この証言によれば
・大学生の数ははるかに少なかった。
・大半の大学生の希望就職先は官庁や大企業がほとんどだった。
・自分の信念を捻じ曲げてでも、自分が希望するところ以外では働きたくなかった。
また『東京朝日新聞』1929年3月24日15面の記事を見てみよう。
当時の早稲田大学理事であった田中穂積もこの就職難に関して、「ただ学生が甘えてるだけなのでは?」という辛辣っぷりである。非常に世知辛い世を過ごした学生は肩身が狭い。
調べてみると、就活の今昔はどちらも抱える悩みは一緒であることがよくわかる。今の学生の就活事情は把握できていないが、売り手市場と言われている今、働きたいと思っている職種に就くことができている今の学生がうらやましく思う。新卒の就職は重要なイベントではあるが、ひとつの通過点に過ぎない。全員が就職しなくてはならないというわけではないが、いつかは進路について、学歴や親の期待、社会のまなざしといったものにつぶされずに、覚悟を決めなければならない時がある。その先に、新しい出会いがあるのだと思う。就活を経て社会人となった人も、現役の学生さんも、自らの就職を自分の力だけと思わずに、今後の就活や就職の今後を、日本社会の一員として常に問い続けたいところだ。
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