NEO表現まつりZ|クロストーク【散策者×隣屋×涌田悠】
-「まつり」に向けてあと少しですが、それぞれどういう作品をやろうとしているとか、こんな感じで準備してるみたいなことから伺えたらと思います。
中尾:僕らは去年の「まつり」で『西尾久を散策した』という作品をやって、そこから一年間今回の「まつりZ」に向けて作ってきました。前回の作品をつくる過程で、僕の中では食べることに関心があるんだということに気づいて。自分が普段食べているものがどこから来ていて、自分が食べた後どうなっていくのかみたいなこと。なのでこの一年間は、前回の作品から、より自分が気になっていることを取材したり、西尾久を散歩したりしながらっていう感じですね。今回は食べることや、自分の体の周辺のことについて、一年間考えてきたことを作品にしようと思っています。
-まさしくじゃあ西尾久で一年作ったっていう感じなんですね。
中尾:そうですね。前回、『西尾久を散策した』っていうタイトルで、なんでこうなるんだみたいな声をすごいいただいて。全然『西尾久を散策した』じゃないじゃないかっていう笑。創作の過程をタイトルにしちゃったんですけど、結果は全然そういうものとは思えないっていう受け取られ方をしてて。完全にタイトルの付け方をミスりました笑。
涌田さんたちがやった、『ヤッホー、跳べば着く星』っていう作品、これすごい好きで、めちゃくちゃ面白かったです。こちらはまさに西尾久を散策した経験が、素直な形で作品になっている印象で、むしろこっちの方が『西尾久を散策した』だと思ったぐらいです笑。涌田さんたちがこの作品をどういう風に作ったのか気になります。
涌田:私は去年の春に「乗る場」に入ってちょうど一年くらいなのですが、ここ数年の自身のテーマである“からだと世界が触れ合うこと”をベースとして、他者と協同しながら行う街歩きリサーチによる創作活動にゆったりとしたスパンで取り組んできました。
西尾久での街歩きリサーチは、ワークショップという形からスタートしました。去年の「NEO表現まつり」では、参加者の人と一緒に西尾久を歩いて、からだで感じたことから短歌を詠むというワークショップをやったり、いろんな人と関わりながら創作をしてきました。
『ヤッホー、跳べば着く星』のクリエイションも、「乗る場」の田上碧さん(ヴォーカリスト)と石原朋香さん(俳優)と共に半年くらいかけて西尾久を歩いて、からだと街の風景が触れ合うことから言葉や踊りを作ってゆきました。
中尾:僕が『ヤッホー』を拝見した時、ほんとうに街の風景が言葉と踊りで伝わってくる作品だなと感じました。上演台本を後で買ったんですけど、読んだらいわゆる上演台本ではなく、短歌や日記とかが書いてあって。一体ここからどうやってパフォーマンスを作ったんだろうっていうのが気になりました。
涌田:私は今まで〈短歌deダンスシリーズ〉という自身の短歌を踊る作品を主にソロを中心に10年間ぐらい創作してきたのですが、この2,3年で自分の外側の世界とからだが触れ合うことに関心を持って、いろんなジャンルのアーティストと協同することや、街を歩くということを始めました。
『ヤッホー』のクリエイションでも、街の風景や他者と触れ合う中で、自分の短歌が生まれ、短歌から田上さんの歌が生まれ、歌から踊りが生まれ、街の人の会話から石原さんの物語が生まれ、その物語からまた短歌が生まれていったり、街を歩くと思いもよらない面白いことがたくさんあるじゃないですか。自分が想像してたことじゃないことに出会う。風景だけでなく他者と触れ合った時もそうですけど、自分のからだが外側の世界と触れ合った時に思いもよらないことが起きるっていうところから自分の知らない景色にたどり着くみたいなことが最近面白いなと思って作っていますね。
中尾:田上さんと石原さんと一緒に散歩をするんですか?
涌田:一人での時もあるし、二人での時もあるし、三人で集まった時は三人で歩きますね。明確な目的を持たないで歩くことが多かったです。
中尾:演劇とかパフォーマンスの作り方っていろいろあると思うんですけど、結構メジャーなのって最初に脚本だとか戯曲がテキストとしてあって、それをどういうふうに舞台上で人間の身体を使って立ち上げていくかみたいな作業をすると思うんですけど。涌田さんたちの作品を見てる感覚では、そういう立ち上がり方をしてないのかなっていう印象があって。三人で散歩をすることである程度同じ風景みたいなものを共有できてて、そこから言葉や踊りが立ち上がったり、歌になったりっていうような。前提になってる風景とかその感触みたいなものが共有されてて、そこから作ってるのかなと思ったんですが、どうなんでしょう。作品を見てると、三人が見てるものを見てるような気持ちになったんです。
涌田:創作過程に関する質問として、よく短歌が先にあるのか、踊りが先にあるのか、どういう順番でできるんですかという質問をされることも多いのですが、割と同時に作ってゆくというか、言葉とからだが密接につながっている感覚があります。私の中ではからだと外側の世界が触れ合うということが一番大事で、その接触面に言葉と踊りが互いに絡み合いながら生まれてゆくような感じです。共作のお二人とも、街歩きリサーチを通してそれぞれのからだで風景と触れ合う体験の共有を積み重ねてゆく作業がとても重要でした。
言葉で説明するのが難しいんですけど、、そういう感じで作っています。
-街との関わりから作品を作っていくと、いろんな要素が入ってきて、作り方の部分からどんどん形を変えていけるし、構造やシステムだけじゃなく、街ごとにそれぞれの作品が出てくるみたいなことを思いました。
今回、隣屋のワークショップは、街を歩く、街を歩いて仮面を作るんですよね。
永瀬:僕がファシリテーターでやらせていただくんですけど、このワークショップ自体は今年の一月に、香川県の高松市でアーティストインレジデンスの枠でやらせていただいたやつで。このパッケージなら他の場所でもぜひ試したいと思って今回西尾久で開催させていただくことになりました。
僕は普段、舞台衣装をやってるんですが、その時に散歩しながら作るプロセスを踏むことが結構多くて。上演する場所から何かアイディアをもらうっていうこともありますし、あるいは戯曲の登場人物が普段どういった生活を送っててどういうふうに街を歩いて自分の身体と向き合ってるのか考えながら衣装を作ることが多いんです。それをWSとして昇華できたら面白いんじゃないかなって常々思っていました。WSでは最終的には仮面を作ることになっているんですけど、お散歩が主題にあるというと考えています。参加者の皆さんと一緒に西尾久を15分散歩するんですが、興味を持つ場所や部分に対する眼差しの手つきみたいなものが人によって違うと思うんですよね。例えば、同じ景色見てても、その輪郭が気になる人がいれば、表面のテクスチャーが気になる人、あるいはそこから社会的な構造を見出す人がいたり、成り立ちを考える人とかもいたりして。そういう手つきをまず見つけてもらって、街と対峙した時の自分だけの手つきによって見つけたスポットを仮面にしていただくというのが全体の流れです。
最終的には、場所と自分が作った仮面をつけたツーショットの写真を撮って、その写真も持って帰っていただきます。すごく親しみのある場所とかって自分自分の身体の一部のように感じられることがあるなと思ってて。自分の実家とか目つぶっても距離感とか素材感とか空気感とか、すごく分かるみたいな感じがあると思うんですけど。ある意味それをインスタントにやるみたいな感じですね。数時間のWSの中で、自分の身体にすごく接続したような場所を見つけ出してもらって、実際に仮面にして自分の身体の一部にしてしまうことによって、その場所と自分の身体との距離をグッと近づけるみたいなことを参加者の皆さんと共有できたらと思っています。
三浦:このWSは高松で私も体験したんですけど、すごい面白くて。皆さんも何名かで散歩をなさってるからわかると思うんですけど、気になるポイントって全然違うじゃないですか。まず散歩で気になるものが違うのがすごい面白いし、その後気になったものがどうやって物理的に作品になるのかっていう変換ももう一個あって、そこが面白いんですよね。街とも出会えるし、一緒に参加した人の違う側面もわかる。
永瀬:高松の時に小学生の皆さんも参加してくださったりして、興味引かれる対象がすごく多くて制限されないとどこまでも行っちゃうみたいな感じだったんです。。15分の散歩コース半分の段階で一時間ぐらいかかっちゃって笑。いろんな視点が知れて面白かったですね。
三浦の上演の方は僕あんまり把握してないんですけど、それは街とかとは関係ある感じですか?
三浦:私が海外で生活しながら見つけたものや感覚が戯曲に書かれていて、それを日本に送ってカゲヤマ(気象台)さんたちが上演するっていう感じです。だから私の生活の中の街の散策とか生活の体感が、海を渡って上演される。完全に現場に渡してるので、散策してる当事者から全くその土地を散策したことのない人たちが引き継いでます。なんか不思議な感じなんですよね。西尾久っていうすごく狭いエリアから、急に海の向こうの国みたいな、生活の範囲?の幅がある。
-すごい狭いエリアから急に海外にアクセスしてすごい幅ですよね笑。
三浦:どこまで行っても自分から逃れられないっていう当たり前のことに気づかされる経験って、誰しもあると思うんですけど。だからなんていうか、今は自分の身体と街の関係性、"街を歩くときに反射してくる自分の歩いてる身体”みたいなことに意識があります。
-街のことをやるとなると、もうちょっと街のモチーフや話をやる人がいそうですけど、みんな「食」とか「身につけること」とか、歩いてる「身体感覚」みたいなことで共通している感じですね。
岩下:話を聞いてて、涌田さんとか隣屋さんとか、散歩しながらつくっていくパッケージの強みがあると思うんですけど、そういう話聞いてると、なんかスルスルっと作品ができたかのように思えてしまうんですが、自分が作っている感覚は全然そんなことなくて笑。『ツレ〜〜〜』て思いながら作ってるなと思っているんですよね笑。その辺が皆さんどうなのかなっていうの聞きたいですね。
中尾:本当にそう。散歩だけしてて作品ができましたってことは絶対ないよね笑。どうなんでしょう。
それこそ、散歩して仮面が出来上がるっていうのが全然想像がつかなくて、すごいなって思ってるんですけど。それは歩いているうちに、仮面のイメージが浮かぶものなんですか。
永瀬:そもそもあんまり仮面を作るっていうことは前提に考えないようになってます。まず散歩して、自分が気になる場所を見つけるっていうのが一番重要なんですね。気になる場所を見つけたら、顔に見えない場所でも自分の身体に顔につけれるように作るっていうところで。それこそ小学生の方とかも何人かいらっしゃいましたけど意外とスルスルっとできちゃったりして。仮面にしなきゃと思って探すと大変かもしれないですけど、自分がとにかく興味を持つ場所を探す。その後は仮面にしようっていう目的は結構明快なので、そういう意味ではあまり悩まないんじゃないかなって。
中尾:それはすごい発明ですね。気になるところから顔を見出す能力が人間にあるっていうのを証明してる。
永瀬:興味を持った部分をそのまま仮面にするっていうことなので、街歩きする時に『仮面にしなきゃ』みたいなことを考える必要はないっていうのは、やりやすいのかなと思っています。。
三浦:作品作る時の苦しみとWS完成させるときの苦しみは別視点な気がします。
永瀬:そうですね。そういう意味で普段衣装をやってる時とかは本当に苦しいです笑。WSに関しては匿名性があるというか、みんなで上も下もなくこんなの作れたんだねっていうのを共有する場なので楽しいですね。
-永瀬さんはもう西尾久の街は歩いたんですか?
永瀬:歩きました。散歩ルート決めるのとどういう街なのかっていうのを改めて知りたいなと思って一日じっくり散歩したんですけど。
高松のワークショップをやった時に、同時に展示作品もやってて。仮面じゃなくて僕が個人的に気になった場所を衣装にするっていうやつをやってて。今回のWSであんま関係ないんですけど、西尾久の街で僕が興味持ったものを衣装にしようと思って、今ちょっとミニチュアを作ってるところですね。
(永瀬さんが画面越しに、街のモチーフから制作している衣装のミニチュアを見せる)
三浦:これなんだと思います?
中尾:「小台」って書いてる街灯?
永瀬:そうです、そうです!これをスカートにしようと思って。
中尾:スカート!
永瀬:なるべくその場所の形状は残しつつ、人間の身体の形状のちょうど中間地点みたいなところ探れたらいいなっていうふうに思ってて。人間からしても場所を着てる、あるいはその場所からしても人間に着られてるぐらいの塩梅を探りたいなって思ってるんですよね。
中尾:街を歩いてて、ここは着られるって思うわけですよね笑。そうやって街を見てる人がいるんだっていうことがとても感動的です。
永瀬:人によっての街の見方みたいなのを僕もたくさん知りたいなと思って。思った以上に人によって街の見え方が全然違うんだなと思って。それが面白いなと思ってるんですよね。
-散策者の皆さんと涌田さんは、西尾久をすごく長く見てきていると思うんですが、西尾久はどういう街に見えていますか?
中尾:いつも大体同じところを歩いてるんですけど、気になるものはその時々で変わってて、最近は精肉店とかが気になるようになりましたね。
岩下:一年前の公演を準備するために歩き始めた時は、一番最初に西尾久の外縁を一周歩いて、その時は都電とかはすごい面白いと思ったんですけど、最初は西尾久の街はなんて退屈の街なんだって思ったんですよね。当時は、高齢者と子供のための場所だって思ったんですよ。若者のための場所ではないかって思ったんですけど。今はその視線がやっぱ変わってきてる感じがあります。西尾久の街全体を見る視点よりかは、「乗る場」とか「おぐセンター」に向かうあの一本道の間に結構面白いことがあるっていうような視点になった感じがします。例えば、自分は動物が好きなんですけど、「おぐセンター」に向かう途中にすごい大きい犬を飼っている家があって、そこの犬は本当に人懐っこいので、近づくと添い寝させてくれたりするんですよね。その犬とじゃれ合って帰ろうとすると、『帰るな』みたいな感じで吠えられたりとかするんですよね。そこで犬との絆が芽生えたりとか。最近その犬がね、誰かにいたずらかなんかでまずいもの食わされたかなんかで仕舞われ始めちゃったんですけど。自分の中に西尾久の街の時系列が重なっている感じとかはやっぱ変わってきたところかなと思います。
―長く通うからこそ見えてくる部分ですね。一日行っただけじゃ全然わかんない部分というか。
中尾:岩ちゃんの質問をそのまま岩ちゃんにも聞いてみたいなと思って、歩いて犬と触れ合ったりみたいなことと、シーンを作ったりとか脚本を書いたり演技したりっていうことは、どのぐらい関わってるの?犬と触れ合うことは、創作のために必要だと思う?
岩下:全然必要ではないと思います。少なくとも必要ではない。そう思いますね。今作ってるものと犬が関係あるかと言われると直接的には関係ないと思います。
中尾:岩下と田中は日記を書くのにすごくハマってて、書いた日記をディスコードで共有してくれるんですけど、僕は二人の日記を読むのがすごく好きなんです。二人とも日頃気になっているものを書いているわけなんですが、やっぱり街のことがたくさん書かれてますね。街と作られるものはすごくリンクしてる。
涌田:散策者は一人ずつ歩くんですか。
中尾:そうですね。最近はみんなで歩くのはやってないです。
三浦:私が街で作品を創る時は、歴史とか郷土資料をものすごい読んでからクリエイションに入ります。それって、そうしないと適切なルートを踏めないんじゃないかとか、失礼に当たるんじゃないかと思って勉強するんですけど、皆さんはそういうルートを踏まえずに進んでいるように見える。しかもむしろそこは需要ではなくて、自分の感覚とか、自分がそこを歩いてるってことの方が大切で、それが作品にものすごく素直に現れているんだなと思いました。そしてそれは全く失礼なことじゃない。
中尾:三浦さんは街のことをやろうとしてるからなのかもしれないですね。僕たちは少なくとも街のことをやろうとしてるわけじゃないので、歴史とか郷土資料をあさらなきゃいけない、っていう感覚があんまりないかもしれないです。ただ無視はできないというか。人と人が顔を合わせている時に街の話とかがとっかかりになったりするじゃないですか。日常会話とかでやるようなレベルのものとして共有すべきものだったりとか、無視しちゃいけないなっていう感覚はあるんですけど、街のことを深くリサーチしなきゃみたいな感じは僕はないかもしれないですね。涌田さんはどうですか。
涌田:私は自分のからだを通して知りたいみたいな気持ちが大きいのかもしれません。私も街そのものというよりは、自分のからだと街との間にあるもの、間に生まれるものみたいなところに興味があります。もちろん歴史を知ってここに積み重なっている別の層にからだで触れたら、また新たなものが生まれるだろうという予感はありますが、、今のところこの2,3年でやっていることは、今の自分のからだで今まさに踏んでいる地面の感覚とか、今まさにここに触れているものから立ち上がるものに興味を持っている感じですかね。
三浦:涌田さんは去年のWSを見させていただいて、街歩いてる時にビルの輪郭を指でなぞってたりしていたじゃないですか。あれ物凄く気に入っていて、私も街歩きする時にたまにやっています。直接的に街に、目の前にある物理に触れるみたいな歩き方、地面にも寝転がっちゃうし自販機に抱きついちゃうしみたいな。
-ここの3組をはしごで見ると街のことすごい好きになれそうだなと思いますね。こんな人たちが街にいる、その人たちに会いにきてほしいなと素直に思いました。
最後に「まつり」に来てくれる方に向けて一言ずついただけたらと思います。
田中:街って知らない人がいっぱいいるところだけど、歩いてると、ちょっと馴染みのある場所が生まれたりとか、自分の手触り感のあるところができてきたりとかがあったりすると思います。そういう知らない感じとか、でもちょっと身近な感じとか、そういうのが混ぜこぜになったようなものが、散策者の演劇では作品になってるのかなという気がしているので、観客の皆さん見に来ていただけると嬉しいです。
涌田:一年間西尾久で街歩きをしてきて、いろんな人や風景に出会ってゆく中で、いろんな人の記憶や街の風景がからだの一部になってるみたいな感じがしています。この間の『ヤッホー、跳べば着く星』は三人での作品だったのですが、今回はソロで踊ります。でも私の中ではソロだけどソロじゃない、でもソロダンス!みたいな気持ちです。この一年間で出会ってきたものと一緒に、しかも野外ステージでまさに西尾久の街で踊れるんだっていうワクワクもありながら、一人で踊ってるんだけど、すっごいたくさんのものと踊ってるダンスみたいなものを披露できるんじゃないかと思ってます。見に来てください。
永瀬:街を歩いていて、自分がどういう手つきをもって街を見てるかってあまり自覚しないと思うんです。それに、見てるもののの素材感や成り立ちとかを改めて言語化したり、あるいは他の人が街のどういうところに興味関心向けてるのかを共有する場とかなかなかないですよね。そういうのに気づきとか、いろんな街の見方があるんだなって共有できる場になったらいいなと思っています。それが自分の身近な場所の新しい一面の発見につながったり、新しく訪れた土地から自分のお気に入りの場所も見つけることにつながるのではないかなと。僕自身もいろいろな人の街の見方に関心があるので、ぜひぜひお気軽にご参加ください。
三浦:上演作品は、隣屋では初めての、演出家が私ではなくカゲヤマさんが引き受けてくださってます。当然稽古場には行けていないので、今のところどうなってるのか全然わからなくて、今はただぜひ見てくださいしか言えないのですが、きっと面白いと思います。西尾久とそこから遠く離れた国、たぶん時間と自分の話になっていると思います。久々の新作戯曲です。ぜひはしごしていただいて、我々街歩きチームの作品をぜひご観劇ください!
インタビュー・編集:中條玲
散策者『グッとベター』
岩下拓海、岡澤由佳、田中優之介、中尾幸志郎、長沼航、原涼音の6名からなる「散策者」が、写真、日記、インタビュー、工作、身体運動などから集めた素材を用いて、上演作品を制作する。 本作では、荒川区尾久を拠点として行われたリサーチをもとに、食、排泄、生殖、着衣といった日常的な営みについて、私たちは何をどのように認識し、受け入れ、拒絶しているのか。あるいは、何を知り、何を知らなかったかという素朴な事実をめぐって対話する。
日程|上演時間80〜90分
6月22日㊏11:00〜
6月23日㊐11:00〜
6月30日㊐15:00〜
6月30日㊐19:00〜
会場|おぐセンター 2F
隣屋
『see you soon』(上演)
幾度めかのクビとなった主人公は、生まれ育った国の民族性が自分にあっていないのだと考え、少ない全財産を手に異国に渡る。様々な出会いの末、ようやくありつけた職場は、戦争で家を失った難民が住むホテルだった。自分は何者で、どこから来てどこへ行くのか。答えのない旅のスケッチを、空間と俳優によって上演。
日程|上演時間70分
6月21日㊎15:00〜
6月28日㊎11:00〜
6月28日㊎19:00〜
会場|おぐセンター 2F
『土地の記憶が歩く街 in 西尾久』(WS)
参加者と共に西尾久を歩き、普段はじっくりと見ない部分を注意深く観察。 アクション(座りたい・入りたい・登りたいなど)を起こしたくなる場所を探し、顔に見立て、仮面として作成します。 また当ワークショップでは、乗る場に出入りする方々、西尾久周辺の方々に着られていた衣類を材料として製作します。
日程|所要時間2時間程度
6月22日㊏11:00〜
6月29日㊏11:00〜
会場|サロン梅の湯
涌田悠企画
『いちばん近い宇宙』/回るから回りたくなるるるるるる風っていちばん近い宇宙ね /
昨年の春から約1年間、NEO表現まつりでの街歩きWSや、NEO表現サテライトでの西尾久を拠点とした街歩きリサーチによる共作『ヤッホー、飛べば着く星』の創作・上演などを通して、街の風景やそこで出会った命からたくさんの言葉と踊りをもらってきました。 西尾久の街で生まれた季節を巡る短歌と共に、西尾久の街と一緒に踊る<短歌deダンスシリーズ>最新作!
日程|上演時間30分
6月29日㊏17:00〜
6月30日㊐13:00〜
会場|旧小台通り防災スポット
『NEO表現まつりZ –技術開放!芸術家たちがなんかやる!!』
会期|2024年6月21日(金)〜6月30日(日)
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