一生リバイス 1 はじめに
仮面ライダーリバイスという作品は、私にとっての青春である。
忘れもしない、忘れられないあの1年。テレビにかじりついて30分を味わい、戦隊が終わったら仮面ライダーWEBをチェックし、タイムラインで大好きなフォロイーさんたちの話を聞き、思ったことをツイートし、それを繰り返していたらいつの間にか日曜は終わっていた。1週間いつタイムラインを覗いても、リバイスの新たなトピックがFFさんによって投下されていた。自分でも1週間食事中も寝る前も日曜の話のことをずっと考えて、見返して、膨大なメモをとって、ツイートして、noteにまとめて、キャストスタッフ陣の発信を隈なくチェックして、それを繰り返していたらすぐ次の日曜が来ていた。そのサイクルを1年間ずっと繰り返していた。それは生まれてからずっと特撮をただただ楽しく見ていた私にとって初めてと言っていいほどの熱であり経験であった。リバイスを見てリバイスを考えているときだけ脳のいつも使わない部分がめちゃくちゃ刺激されて異常にテンションが上がっていた。最近ふとあの熱気が懐かしくなる。現行のニチアサにももちろんドハマりしているが、それはあのときの温度感とはなにか違うのだ。もちろんそれはリバイスという作品の特異性もあるだろうけど、きっとそれだけではない。仮に2024年現在リバイスが放送されていたとしたら、それはそれで熱をもっただろうけど、あの1年の再現にはならないのだと思う。それは、リバイスという作品の特異性以上に、あのときの私があのときのリバイスに出会えたからというのが大きいのだろう。
私は仮面ライダーリバイスという作品に文字通り命を救われた身である。2021年、長びくコロナ禍に伴う私生活の変化が色々重なって、私は精神的な病気にかかった。2021年9月、ちょうどこのときは不調が出てきてベッドから起き上がれなくなってきた頃だったと思う。そこから1年間は動くことができずベッドの上でほとんど過ごしていた。何もできず人生に絶望して何度も何度も死のうと思った。それでもなんとか生きられたのは、日曜に仮面ライダーリバイスがあったからである。あの日曜を頼りに私は1週間を生き抜いていた。初めてtwitterで色んな人と繋がったのもリバイスがきっかけである。色んな人の素敵なリバイスの感想をたくさん読みたくて、公開垢をつくり、実際にそこでたくさんの大好きな方々に出会えた。今でも交流が続いている人も多く、この出会いもまた私がリバイスにもらったものである。リバイスには他にも本当にたくさんのものをもらった。初めてリアルで特撮関係のイベントに行った。初めて何かを創作したいと突き動かされた。みんなとリバイスの話をしているときは、リバイスのことを考えているときは、つらいことを全部忘れられた。その意味で、私はリバイスに命を救われたのだ。
リバイスの内容について。仮面ライダーリバイスは悪魔という人間の側面を使って人間を人間の繋がりを描いた作品である。善も悪もひっくるめて、不完全で不格好で愛おしい人間という存在を人間は変われるということを描いてくれたこの作品のことが、私は仮面ライダーシリーズで一番好きだ。ただリバイスは世間的には完全な作品ではない。そこがまた愛おしいと思うのだが、それでも過剰な誹謗中傷や叩きが当時は多く見られ、今でも怖くてトレンドのリバイスの文字をタップすることはできない。確かに私はそれらの意見とも言えない言葉に傷ついたし、めちゃくちゃミュートとブロックをしたし、今でもこの文章を出すことでさえ少し怖いけれど、それよりもずっと、あのときのtwitterの私のリストのタイムラインに流れるフォロイーさんたちのツイートに何十倍何百倍も救われてきた。だから私にとって誰が何を言おうと、仮面ライダーリバイスという作品は宝物なのである。
私はこれからの人生をずっと、仮面ライダーリバイスという作品と生きていくのだと思う。それにあたり、精神が少し回復し時間に少し余裕のできた2024年現在、仮面ライダーリバイスという作品は私にとって何だったのか、どんなメッセージを発していたのかを考える機会を持ちたいと思った。私にとって仮面ライダーリバイスという作品を見返すのはリアタイ以来初めてである。当時の自分のツイートやあの時間を共有したタイムラインをできる限りさかのぼりながら私の当時思っていたこと、今見返して思うことをつらつらと綴っていきたい。どこまでできるかわからないけれどできる限り、細く長く、目標は生涯、仮面ライダーリバイスのことを考えていくという連載にしようと思う。最後に、この連載はあくまで私個人の作品の感想・解釈であり、決して作品を中傷したり他の人の感想を否定したりすることを意図したものではないということを留意してほしい。仮面ライダーリバイスという作品に救われた人に届くことを願って。