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仮面ライダーアマゾンズ シーズン2 13話(最終話)感想

やがて星がふる星がふるころ

心ときめいてときめいてくる

懐かしい出来事を忘れないでね

目覚めては思い出す暖かな顔





※仮面ライダーアマゾンズシーズン2、最終話の感想です。勿論ネタバレを含むので、未見の方はご注意ください。






決まっている結末に向かって歩を進める千翼とイユ。この結末は、千翼がオリジナルだと分かった時点で避けられないものだったと思う。人間からしたら、人をアマゾンに変えてしまう存在なんて危険すぎる。でも、それは人間の都合なんだよな...。だけどそれしかなかった。悠と仁は千翼(と七羽さん)を殺さなきゃいけなかったし、その千翼を庇った時点でイユも千翼と運命を共にしなきゃいけなかった。されど、「なんで、俺たちは生きてちゃだめなんだ」と叫ぶ千翼を、生きたいと叫ぶアマゾンを否定することはできない。人間も生きるために千翼を殺したから。

全てのアマゾン(=自分の子供)を殺すという執念。アマゾンになったときから決まっていた苦しい旅路。最愛の人さえも手にかけなきゃいけない哀しみ。全ての原因を「俺だ」と背負う仁は、本当にまじめで、だからこそつらそうで見てられなかった。だから七羽さんに最期に、千翼の、アマゾンの「親」である自身を、「いいお父さん」として肯定してもらったことは大きな意味があると思った。残るアマゾンは自分と悠だけ。もう悠を殺して自分が死ぬか、自分が殺されるかの2択しかない。

仁を圧裂弾から庇って死んだクラゲアマゾン、七羽。仁と千翼のために生きたヒロイン。クラゲの触手はまるで仁を抱く細い手のようで。ラストシーンでは、天使の絵が、息子とその恋人を優しく見守るように、腕輪の上に描かれていた。

「千翼を殺す」という線引きをした悠。その悠とちゃんと向き合うために、自分の手でアマゾンを殺してきた美月。彼女については劇場版の感想のほうで詳しく触れようと思うが、悠の苦悩も分からず、ただの傍観者でいることしかできなかったシーズン1と比べ、今回悠の命を握ったのが彼女というのが成長を感じる。圧裂弾を介して悠と「食うか食われるか」の関係にあったことを踏まえ、彼女が出した結論「生きて」は、結果だけ見ればシーズン1とは変わらないが、重みが全然違う。それはまた、悠を「最高傑作」とみなす母親の、悠へ願う「生きてほしい」よりも、他の誰よりも悠のことを思った「生きて」だったのだと思う。

七羽さんと仁を庇って死んだマモル。ここでなぜ庇ったのかは、私は、もう駆除班と共にいた頃には戻れない、アマゾンを殺してきた人類の側には戻れないので、せめても駆除班に殺してもらうためととったが、この解釈には自信がないので、これを読んだ方、ぜひ貴方の解釈を教えてください。マモルが駆除班に殺されることも、決まっていた結末なのかな。それ以外には考えられないというか、マモルが独りになってしまった時点でもう駆除班に殺されるというのを覚悟していたのだと思う。マモルのことを思う駆除班ひとりひとりの言葉が沁みる。マモルのそばにいるために、今度こそ目をそらさないために、5年前引き止めなかった後悔を胸に、駆除班のみんなはマモルに向き合いに来た。1度問題から目を逸らすと、その目を逸らした瞬間は楽かもしれない。だがその後目を逸らした後悔は日に日に増してくる。されど、そこからもう一度問題に向き合うというのは、とても勇気のある行動だと思う。

「仮面ライダーアマゾン」で仮面ライダーアマゾンの仲間になったモグラ獣人は、あるとき出現した、人体を蝕んで溶かしてしまう「人食いカビ」を生成するキノコ獣人に、アマゾンを裏切ったふりをして解毒剤を作るために近づく。その目論見は失敗に終わり、彼は全身に人食いカビを浴びてしまう。モグラ獣人は最後の力を振り絞りアマゾンのもとへ戻り、自身が浴びた人食いカビから解毒剤を完成させ、多くの人の命を救いながら絶命したのだった。

モグラ獣人は仲間のために死んだが、マモルもまた、アマゾンの、そして人間の仲間のために亡くなったのだろう。彼が死んだ跡地からは、五円玉のネックレスが出てきた。マモルも駆除班のメンバーと同じように、それを捨てられなかった。モグラ獣人の墓には「勇気の士(ひと)」と刻んである。マモルもまた、仲間思いの、勇気の士であった。

千翼の壮絶な生き様と会長の狂気を目の当たりにした黒崎。札森に対して「お前、死にたくないって思ったことあるだろ?」「生きたいって思ったことあるか?」と尋ね、札森からの「同じでしょ」という答えを聞いた黒崎は、劇中初めての笑顔を浮かべ、立て掛けていた銃を残して立ち去った。このシーンはほんと解釈が難しい。黒崎からしたら「死にたくない」と「生きたい」は異なる意味を持った。前者はネガ方向の望みで、後者はポジ方向の望みだから、そういう違い?「生きたいって思ったことあるだろ?」という質問は、「生きたい」と必死に訴える千翼を見て思ったものだろうが、銃を置いてったっていうのは戦いをやめよう、生きようと思ったってことか?公式によると「イユへの思いが詰められているように思えます」ということだが、イユへの弔いとして銃を置いてったのか?これに関しては演じた木村さんと田崎監督に聞くしかない(脚本ではないらしい)ので、誰かこのシーンについてもお話しましょう。

千翼の背中で笑うイユ。

「千翼、あたし、楽しい」

2人が笑い合う時間は確かにあった。

最後、2人の腕輪は寄り添うように置かれていた。

この2人の終わりさえも、会長の言ったとおり、何かの始まりなのだろう。

彼らの終わりを見た人間は、生きるということを考え始める。



やがて星がふる星がふるころ

心ときめいてときめいてくる

やがて星がふる星がふるころ

心優しさに微笑んでくる




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