【短編小説】恭子の話①
恭子
恭子はこの名前がそんなに好きではなかった。
1969年生まれの彼女は、「”恭子”じゃなくて”今日子”だったらよかったのに」と思っていた。「だったらキョンキョンと一緒じゃん。恭賀新年の”恭”とか意味わかんないし」
本当に恭子は「恭賀新年」という言葉を知らなかった。
恭子はバカではないが飛び抜けた秀才でもなく、ブスではないが取り立てて美人というわけでもないごく普通の中学生だった。小学5年生の妹と高校1年の姉を持つ、三姉妹の真ん中だった。父親はトラックの運転手で母親は専業主婦。ごく普通の家族だった。
と、恭子は思っていた。
一家は”こちら葛飾区亀有公園派出所前”でお馴染みの東京都の葛飾区に住んでいた。恭子の記憶が確かなら、その後は江戸川区の瑞江、一之江、葛西、そしてやはりどこか江戸川区のどこかに引越しをした。父親はトラックの運転手で転勤はない。いやトラックの運転手に転勤がないとは言わない。日本全国に支店があれば転勤があるかもしれない(いやないだろう)。が、都内しかも江戸川区内だけをくるくると引越しをすることは転居であって転勤とは関係がない。恭子にもそれはうっすらわかっていた。ヨニゲという言葉もこのときに覚えた。
父ちゃん、なんかおかしい。
恭子の記憶が確かならば、父親は割とお金を持っていた。
父はトラックの運転手で仕事から帰るとよくお土産を買ってきた。土地の食べ物もあれば、何やら高そうなお菓子だったり。トラック運転手なのに、なぜか韓国や台湾のお菓子などがあったときは、トラックはどうしてたんだろうと不思議に思っていた。恭子は疑うことをこういうところから学んでいた。
父ちゃん、なんか怪しい。
恭子の母親は専業主婦だった。当時から働く母親はいたが、専業主婦も決して少なくなく、朝家族を見送り、掃除・洗濯をし、夕飯の買い物をし、家族の食事を作り、子どもたちの学校行事などに参加をする、ごく普通の母だった。しかし母には欠けているものがあった。母は父に対して「主張する」ということが全くなかった。父が「こうしろ」といえば「はい」と答え、「するな」と言えば「かしこまりました」というふうだった。主従関係のような、今でいうモラハラのようなDVのようなものではなかったと恭子は記憶しているが、母の主張のなさは晴れた空の向こうの曇天を見るような気がした。恭子は「何かが起きるかも」という予感をこうしたところから身につけていた。
母ちゃん、なんかやばい。
そんな恭子の家族だが、ある日父が投下した爆弾発言からこれまでの生活が一変することとなった。
つづく
*この物語はフィクションのようなフィクションじゃないような微妙なラインの物語ですが、登場する人物や団体、その他の呼称は、実在するソレとは一切関係がありません。